黄昏の片割
良縁奇縁、数奇な運命。この物語は彼女が二十五歳の休日に始まる。
彼女は兎に角疲れていた。就職した会社が運悪くブラックだったのだ。責任感の強く放っておけない気質の彼女は、哀れな後輩たちを見捨てられない。故に体がボロボロになっても彼女は働き続けていた。
たまの休みも寝てばかりだが、今日は珍しく買うものがある。仕方なく彼女は外に出て、ふと
(へぇ、こんな所にあるんだ)
虚ろな彼女はぽやんと考え、なんとなく冷やかそうと店の門を叩いた。買えはしないけれど見るぐらい許されるだろうと。
ちりん、ちりんと鈴がなる。
店内には芳しい香が焚かれ不思議と居心地が良い。何となく気持ちが軽くなり、彼女はすぐにここが好きになった。
「――いらっしゃいまし」
「へ?!」
当たり前だが店には主がいる。単に彼女が気を抜いていたに過ぎない。深呼吸して魔女に向き合うと、そこには金色のコインをあしらうスカーフを被り、透き通るヴェールで口元を隠した褐色の女。瞳も髪も黒く、装いは深い紫のヴェリーダンスの衣装にショールを羽織るものであり、ひと目で『魔女』と察せられる。
透き通る声の魔女は
「はひっ?!」
「おやおや、貴女は欠けていらっしゃる……これは妙なることです」
そう言うと魔女は音もなく店内を歩き、一本の封花瓶を手に取り差し出した。それは橙色の封花瓶だ。憑いている精霊は夕焼け色のショートヘアを持つ大人しげな少女――彼女は初めて精霊を見たが、本で読むより余程可愛らしいと思う。だが何処か憂いていて、疲れているようで……どこか彼女と似ている気がした。
しかしとても彼女に手が届くものではない。だからだろう、魔女はおかしな事を言い出したのだ。
「貴方に一つ、お願いが御座います。こちらの封花瓶……黄昏の精を一時預かっては頂けませんか? この娘もまた、欠けたる者なのです」
彼女は押し売りか何かと思ったが、それにしたって正真正銘本物の封花瓶を預けるなど正気ではない。彼女は裏を疑ったが、魔女は正式な魔法契約書を取り出してみせた。彼女が読む限り特におかしな点は見つからない。ただ二つだけ注意点が書かれていた。
一つ。封花瓶は年に一度、手入れが必要なので持ってくること。
二つ。休日で良いので、封花瓶を持って外出すること。
期間は指定されていないが、噂に聞く封花瓶を手元に置くには破格といえる。外出は億劫だがもとより不健康に過ぎるのだ。彼女は疑いつつも契約書にサインし、封花瓶を預かることにした。
トワイスと名付けた夕焼け色の精霊を手にしてから、彼女の生活はいっぺんに変わってしまった。
まず勤めていた会社が潰れた。会社役員が愚かにも横領に手を染めて軒並み逮捕されたのだ。また悪辣非道な労働環境も詳らかとなり、実質上の経営破綻を引き起こした。もともと脆い城、崩れる時はあっという間である。
幸運だったのは次の職にすぐ付けたたことか。彼女に目をつけていた取引先の営業が彼女のことをスカウトしたのだ。打って変わってホワイトな職場にドギマギしつつ、次第に慣れていった。
次に外出の機会が増えた。最初は面倒に思いつつもトワイスとの散歩は中々に楽しい。トワイスはいつもキョロキョロと周りを見回し、気の向いたものに近づくよう彼女に頼んだ。導かれるままに進むと、そこには何時だってすてきなものが眠っている。
例えば朝露に輝く草花であったり、美味しい紅茶を出すカフェであったり、あるいは知らなかった街の風景であったり。とにかくトワイスが指し示す先には、必ず『すてき』があった。そしてそれに倣うように、彼女は素敵なレディに変わっていった。
彼女も、彼女の周りも大きく変わった。これが精霊の加護かと彼女は思ったが、だからこそ気がかりがある。それは散歩の帰り道、トワイスは何時だって寂しそうな顔をするからだ。
「ねぇ、楽しくなかった?」
問えばふるふると首を振る。けれど何故悲しげなのか、面倒見の良い彼女はどうしても気になってしまう。きっとトワイスは何かを探しているのだろう。何時だって『すてき』を探してくるくる回っているのだから。でもトワイスにとって『一番のすてき』が見つからないから悲しげなのだろう。
彼女はすぐさま立ち上がった。猛烈な仕事の末に一週間の休みをもぎ取り、トワイスに微笑みかける。
「今日から一週間、トワイスの『すてき』を探しに行こう! 沢山歩くから覚悟してね!」
彼女の言葉にトワイスは目を瞬き、意味を理解すると満面の笑みを浮かべた。
それからの一週間は彼女にとって怒涛の日々となった。トワイスは真剣な顔で『すてき』をさがし、違うとわかれば次に行く。正に虱潰しと言った体で街中を歩き回った。ときには旅行してでも探したが、トワイスの『すてき』はどうしても見つからなかった。
結局一週間はあっという間に過ぎてしまう。彼女とトワイスは夕暮れの公園でブランコに座りため息を付いていた。この時間ともなれば子供の姿もなく、彼女はふたりぼっちで黄昏ている。
「見つからないねぇ……」
しょんぼりする彼女に慌てて大丈夫だよと身振り手振りで伝える。彼女よりトワイスのほうが落ち込んでいるだろうに。彼女は気を使う精霊の頭を指で優しくなでてやる。その時、公園に誰かがやってきた。
その男性は彼女を認めると一直線にこちらに駆け寄ってきた。すると手元のトワイスが驚くように戦慄いて男性を見つめていると気づいた。確かに彼は自分の『すてき』を持っている人だと思う。だがトワイスが正しく注目しているのは男性の手に在るものだ。彼女はそれを見てひどく驚き立ち上がった。
「それ、封花瓶?」
男性の手にあったのは彼女が持つ封花瓶とよく似たデザインのものだ。憑いている精霊もトワイスと同じ夕焼け色の精霊だ。二人の精霊は驚いたように手を差し伸べ、おっかなびっくり触れ合って、確かに其処にいるとわかるとポロポロと涙を流して抱き合った。
一体どういうことなのか。彼女に分かるのは、トワイスにとってその精霊が『一番のすてき』であるということ。そして同じことを男性が思っているということだ。
「あの、貴女もシノン――いえ、東雲の精霊をお持ちなのです?」
「東雲? いえ、トワイスは黄昏の妖精と聞いています」
「黄昏ですか……?」
このやり取りで二人は成る程と納得した。夕暮れ時たる黄昏と、朝焼け時たる東雲。似て非なる二つは決して交わることはない。だからいくら探しても見つかることはなかったのだ。これは奇跡のような偶然で、在り来たりの運命に違いない。
彼女と男性は即座に決断を下す。連絡先を交換すると直ぐさま二人は別れた。珍しく駄々をこねるトワイスをなだめつつ、彼女が向かうのは何時かの封花瓶専門店だ。
ちりん、ちりんと鈴がなる。
そして魔女が現れるや否や、彼女はお財布を握りしめて叫ぶ。
「封花瓶の魔女さん! この
魔女はトワイスを見てやんわり微笑み、嬉しそうに頷くのであった。
その後交わるはずのない黄昏と東雲は、同じ窓辺で静かで幸せな日々を送ったという。
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