至高の雪華

 良縁奇縁、数奇な運命。この物語は少年が七歳の頃に遡る。


 ある意味で少年は幸運であり、同時に不幸であった。何故ならば幼い少年は、偶然に立ち寄った封花瓶ハーバリウム専門店で『たからもの』を見つけてしまったのだから。


 それは魔女が『雪華の精』と呼ぶとても美しい精霊であった。


 封花瓶は雪白にある氷が花となった不思議な封花で造られ、まるでしんしんと降り積もる雪景色を見ているようだ。宿る精霊は封花と同じ薄く蒼く、また長く艷やかな髪を持つ少女だ。肌もまた雪のように白く、まるでおとぎ話のお姫様のようだと少年はおもう。彼女が纏うドレスひらひらして可愛らしく、後にエンパイアという種類であることを魔女に教えてもらった。


「――いらっしゃいまし。今日もいらっしゃったのですね」

「うん。こんにちは、まじょのおねえさん」


 ぺこりとお辞儀する少年はお土産と言って茶菓子を手渡し、『雪華の精』の元へと歩いていく。彼女は封花瓶専門店でも特別な部屋で一人、恭しく封花瓶とともに飾られていた。『雪華の精』は少年を一瞥すると、興味を失ったように顔を背けてしまう。しかし少年はそんな事を気にせずニコニコと彼女を見つめていた。


 しかし少年は程なく視線を外してしまう。少年の中でその時間は一週間に一度、土曜の午前九時に五分だけと決めているのだ。


「ではおひめさま、またあいましょう」


 拙くもうやうやしく礼をする少年は、さながら小さな騎士といったところか。少年は魔女にお礼を言うと颯爽と店をあとにした。



 今日は雨だった。しとしと降る水模様は雪のようにふわふわしておらず、『雪華の精』はあまり好みではない。それでも少年は定刻通りにやってきた。


「こんにちは、うるわしのおひめさま」


 すこし、背が伸びただろうか。子供の成長は特に早く忙しない。歳を取らぬ精霊から見ればなぜ生き急ぐのかわからないけれど、今日もまた少年は『雪華の精』を嬉しそうに眺めて帰っていった。相も変わらず飽きもせず、殊勝なことだと『雪華の精』は思った。



 今日は晴れだった。さんさんと降り注ぐ太陽は雪のようにしっとりしておらず、『雪華の精』はあまり好みではない。それでも少年は定刻通りにやってきた。


「こんにちは、うるわしの姫様」


 最近黒い学生服を纏うようになった少年は少し大人びただろうか。声がいつかと変わって太くなり、とても可愛らしいとは言えない。人の変化とはこの様に性急なるものか。しかし少年の笑顔だけは変わらぬようす。

 少年はニコニコと『雪華の精』を眺め、お辞儀をして帰っていく。彼は決して『雪華の精』に手を伸ばそうとはしない。少年もまた『雪華の精』が高嶺の花だと理解しているのだ。不思議な関係は何時までも続いていく。



 今日は風が吹いていた。びゅうびゅうと吹き荒れる風は雪を舞い散らすばかりで、『雪華の精』はあまり好みではない。それでも少年は定刻通りにやってきた。


「今日は、麗しの姫様」


 制服を変えた少年は精悍な顔つきとなり、好男子と言える姿になっていた。笑顔は爽やかになり、しかして笑顔はあの時と何も変わらない。もはや少年と言うには大きくなりすぎていたが、『雪華の精』にとってはどこまでも少年は少年のままだった。今日もまた五分だけ眺めてから『雪華の精』の元を去っていく。


 だが『雪華の精』は思う。こんなに長く己を慕ってくれる者があれば、一声くらいかけるべきであろうかと。その時少年が如何程に驚くだろうかと。

 少年は笑うだろうか、泣くだろうか。やあれ、きっと面白いことになるに違いない。考えるだけで『雪華の精』は楽しい気持ちでいっぱいになった。


 だからだろうか。雨の日も、風の日も、晴れの日でも『雪華の精』は不機嫌にならなかった。次の土曜日、午前九時。それが楽しみでならなかったのだ。無意識に鼻歌など歌いながら、ドレスの着付けを何度も確かめる『雪華の精』を見て、魔女は嬉しそうに微笑んでいた。



 今日はからりと晴れていた。けれど『雪華の精』は少しも嫌な気分ではなかった。むしろ少し緊張するほどで、あまりのことに魔女にクスリと笑われてしまったほどだ。どうにかしてやろうかしら。そう思う『雪華の精』だが実行には移さない。一時の情動に襲われて騒ぐなど雪華のあるべき姿ではないし、とても機嫌が良かったのだ。


 けれどその日、少年はやってこなかった。『雪華の精』が待てども待てども、笑顔の少年は店に来ることはなかった。たちまち『雪華の精』の機嫌は悪くなり、ふて寝するように姿を消してしまう。魔女は困り顔で頬に手をあてるも、へそを曲げた『雪華の精』をどうすることもできない。


 それからというもの、『雪華の精』はずっと不機嫌であった。次の土曜日も、また次の土曜日も少年はやってこなかった。流石におかしいとは思うものの、封花瓶の精霊たる『雪華の精』には何もすることは出来ない。

 かといって魔女に頼むのも癪だ。あの魔女は意外とお節介なところがある。不要なことをされてはたまったものではない。だから『雪華の精』は不機嫌なまま、ずうっとずうっと特別な部屋で身を横たえていた。


 だから時折、魔女が申し訳なさそうにこちらを見ていても話を聞く気に慣れなかった。何故なら少年が来ないから。ずっとずっと待っているのに、少年が来ないから。『雪華の精』は不機嫌なままでいた。


 こうして七回も土曜日は過ぎていく。


 その日はやはり『雪華の精』は不機嫌で、イライラして、どうしようもなくムカムカしていた。だから魔女が黒い礼服を纏い、『雪華の精』を連れ出した事、その理由にも気づかず不機嫌なままだった。


『あ……』


 果たして少年は其処に居た。少年はとても、とても小さくなっていた。綺羅びやかな金糸であしらわれた四角い袋、真っ白な壺の中に収まってしまう程に。『雪華の精』はそれをみて、頭の中が真っ白になってしまった。此処に至り『雪華の精』は何故魔女が此処へ連れてきたかを悟る。


 少年は土曜日に来るはずだ。どんな日であっても、同じ笑顔でやってきたはずだ。だがもう写真の中ですら、あの笑顔は何処にも見当たらない。


 体が震え、どうしようもなく感情が溢れ、心の内側をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。だが泣き喚くことはしない。少年の前では『雪華の精』はお姫様でなければならない。お姫様は気高く、そして至高の存在なのだ。


 けれど、けれど。少年はもう居ないのだという事実が、ほんの少しだけ彼女の挟持を緩めてこぼれ落ちた。魔女はそれを手に取り、少年の家族へと手渡す。


「これは精霊が流す至高の結晶、愛しき宝珠リュトスでございます。どうか少年の側に置いてくださいませんか?」


 魔女の言葉に家族は頷き、雪の結晶を模した宝珠は一緒に供えられる事となった。魔女は会釈をすると、少年の家を後にした。



 ……毎週土曜日、午前九時。特別な部屋で身を横たえる精霊は、身だしなみを整えて息をつく。大切な時間はたったの五分だけ。その間はどんな事があっても彼女は『至高の雪華』であり続ける。至高の姿はとても美しいもので、まるで絵画を見ているような心持ちにさせる。だがそれを見る資格を持つ者は居ない。


 何故ならば、至高のお姫様に傅くを許されたのはただ一人の騎士だけだからだ。

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