#13 ご機嫌直し。

 「お邪魔しまーす」


 家に帰ると、緊張の糸が解けたのか、どっと体が重たくなった。同一化の件もあるし、今日は夕飯まで寝ていようと決めた。クタクタに疲れた体をすぐにでもベッドに持っていける様に手洗いうがい、着替えを手早くすませ、ベッドに潜り込んだ。


 「渉くん、今日はありがとう。おやすみ」


 そう言うと、佳香さんは心の奥の方へ行ってしまった。目を閉じると、今日の出来事がフラッシュバックの様に、次から次へと頭をよぎっていく。つまり、眠れない。寝ようとすればするほど、どんどん頭が冴えてくる。


 「佳香さん?」

 「なに?子守唄でも歌う?」


 眠れないのがバレていた。エスパーかな?佳香さんの察しの良さにはいつも感心する。それと同時に、自分の心が見透かされている様で怖くもあった。


 「眠れないんで何か話しましょう」

 「おけ」


 それから僕らは他愛のない会話で盛り上がった。


 「UKバンドならやっぱりレデュへでしょ、彼らがNo. 1だね」


 「昔はクレープの一発屋って呼ばれてたじゃないですか。今のUKバンドなら僕はホットプレイを推しますね」


 「はぁ、わかってないなぁ。ホットプレイはレデュへのフォロワーな訳で、尊敬の対象だよ?」

 「でも僕はホットプレイの方が好きなんです!」

 「UKロックはレデュへ!」

 「全然活動してないですか!ホットプレイ!」


 なんて話をしているうちに、お母さんが帰ってきた。時計の針を見るといつの間にか19時を回っていた。階段を降りて下に行くと、少し疲れた様子をしていた。


 「ただいま。今から夕飯作るから先にお風呂入っちゃいな」


 そう言うとお母さんはキッチンに向かった。僕は言われた通りバスルームに向かう。その途中「奥にいて下さいね」と無機質を装い言う。けど、恥ずかしがっているのは見破られているんだろうな。


 僕がバスルームから出ると、さっそく佳香さんにからかわれた。


 「男の子の体ってあんなんになってんだー驚きだねー」

 「…...」

 「嘘だよ!うーそー他人の裸なんて見たくないしね」


 僕は佳香さんの冗談をスルーしつつ、ダイニングに向かった。ちょうど夕飯ができた様で、お母さんがお皿を並べている。僕がそれを手伝っていると、玄関の開く音が聞こえた。どうやら、お父さんが帰ってきた様だ。


 「おかえり」


 玄関まで行き僕がそう言うと、何故だかお父さんは困った顔をしていた。僕はこの顔を何回も見た事があるから、少し察しがついた。


 「渉、ごめんな。お父さん日曜日お仕事が入っちゃたよ」


 今週の日曜日、僕ら家族は遊園地に遊びに行く予定だった。なのに、また裏切られた。僕は怒る気にもなれず、物憂げに自分の部屋へ向かった。途中、お母さんに夕食が出来たと言われるも、僕はそのまま階段を上がり自分の部屋に入った。


 「お父さん仕事なんでしょ?しょーがないって...」

 「...」


僕は何も言わずにベッドに潜り込んだ。仕事だからしょうがない。何回聞いた台詞だろう。仕事と僕のどっちが大切なの?なんて手垢のついたセリフは言いたく無いけれど、それでもたまには僕を選んで欲しい。


 「機嫌直せってばー。またなんか話でもしよーぜー」

 「いいです。何も話したくありません」

 「贅沢なガキだな...」

 

小さい声でそう言うと、彼女は心の奥に行ってしまった。


 それから僕がふて寝をしていると、下の階から階段を上る足音が聞こえてきた。廊下を歩く音が。僕の部屋の前で止まると、静かにドアが開かれた。そこにはお母さんが立っていた。どうやらお父さんから事情を聞いたらしい。お母さんは何を言うでもなく、ベッドまで来て、僕の頭を撫で始めた。僕は溢れ出そうになる涙を必死に堪える。


 「夕飯出来てるから、お腹空いたら降りて来なさい」


 数分間僕の頭を撫でてから優しい声でそう言うと、静かに立ち上がりドアを開け、ゆっくりと下へ降りて行った。


 お母さんがいなくなってしまった瞬間、部屋の中の時間が止まってしまった様に感じた。僕がまた布団に潜り込むと、時間を動かす様に佳香さんが困った様な声で言う。


 「ねぇ渉くん?遊園地だけど、もしよかったら今度私と一緒に行かない?」


 思いがけない言葉に僕は被っていた布団から頭を出す。


 「ほんと?」


 か細い声で僕は尋ねる。


 「本当は家族と一緒に行きたかったんだろうけど、私でよければ付き合うよ」


 さっきまでの憂鬱な気分が、少しだけ晴れていくのが自分でも分かった。佳香さんの言う通り、確かに家族と行きたかった。けれど、今は友達と行くなんていう初めての体験に胸が高鳴った。我ながら単純だと僕は自分が可笑しくて仕方がない。


 なんて考えていると、ドアの向こう側からカリカリする音が聞こえてきた。だいきちさんが部屋に入りたがってる音だ。僕はベッドから起き上がり、ドアを開けようとした。


 「ちち、ちょっと待って!犬をいれるなら心の準備させて!」

 「何ですか心の準備って、芸能人登場とかしないですよ」

 「嬉しくてこうなってる訳じゃないんだよ!犬苦手なの!に・が・て!どれくらい苦手かって言うと!」


 パニック状態の佳香さんは、部屋の隅に避難すると、聞き取れないくらい小さな声でよく分からない独り言を呟き始めた。これじゃどっちが子供なのか分からない。僕はおかまいなしにドアを開けて、だいきちさんを部屋に招き入れた。


 「よしよしだいきちさん。君はやっぱりあったかいなぁ」

 「あぁぁあ犬が!犬が!目の前にいるよぉぉ!」

 「ちょっと佳香さん、静かにして下さいよ。びっくりするじゃないですか。あ、よかったらだいきちさんも来るかい」

 「嫌だぁ...勘弁してえぇ...」


 僕は心底おかしくて笑ってしまった。だいきちさんはお腹を抱えて笑っている僕をきょとんとした顔で見ている。そりゃそうだ、いきなり笑い出したんだから。


 そんなやり取りをしている中、ふと先ほどの事を思い出す。一つ小さな問題が発生した。本当に小さな問題なんだけれど、お父さんが職場の人から貰って来た遊園地のチケットは3枚である事だ。佳香さんと僕とでは1枚余ってしまう。僕は少し考えてから、なかなかの良案を思いついた。佳香さんにはこの案を当日に言う事にした。


 だいきちさんと佳香さんのやり取りを見て機嫌が落ち着いた僕は、下の階に行ってさっそく佳香さんと遊園地に行く話を両親に伝えた。すると、罪悪感が薄らいだのか、お父さんは嬉しそうに承諾してくれた。この話を聞いていたお母さんは「デートね」なんて茶化してきたけれど、浮き立った今の僕にはあまり効果がなかった。


 「デート楽しみだね、渉くん」


 ようやく落ち着いてきたのか、佳香さんまで茶化してきた。僕は「そうですね」と言って軽くあしらった。けれど、なんだか少しずつ恥ずかしくなってきてしまった。そんな中、お父さんが助け舟を出してくれた。


 「チケットは3枚あるから、佳香ちゃんさえよければもう一人はクラスメートでも誘いなさい」


 僕は首を縦にふる。佳香さんは何も言ってこない。きっと気を使ってくれているんだろう。


 僕は少しだけ冷めてしまった夕飯を食べ終わると、歯を磨いて自分の部屋へと戻った。布団に入り目を閉じると、佳香さんが話しかけて来た。


 「余ったチケットだけど、渉くんクラスメートに呼ぶ相手なんているの?」


 全く、デリカシーの欠けらもない人だ。なんて思いながら僕は「いるよ」とだけ言い寝返りをうった。そこで僕は思い出す。そういえば、同一化は今回も寝ればまた元通りになるんだろうか?今の今までその事を忘れていた。佳香さんにその事を話すと、「わからん」と、なんともそっけない返事をもらった。


 若干の不安を覚えながら、いつの間にか僕は眠りについていた。

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