#9 邂逅。
西日が眩しい。窓から射し込むオレンジを見るに、どうやらもう夕方の様だ。隣に体温を感じる。僕は寝ぼけ眼を擦り、ぼーっとする頭を横に向けると、そこには佳香さんの寝顔があった。あまりの近さに僕は何が起こっているのかわからず、気が動転してしまい、慌ててベッドから身を起こす。そしてゆっくりと、今朝の出来事を思い出す。
「元に戻った...体も僕のままだ」
自然と独り言を呟く。僕の目線はいつもの高さに戻っていて、今朝は低く感じたCDと雑誌の山が、今にも崩れ出しそうな高山の様に感じた。ミニチュアの世界は、何の前触れもなく終わった。
まだベッドで寝ている佳香さんを覗くと、頰に涙の跡があった。何か怖い夢でも見たのだろうか?僕が起こしていいものかと考えていると、モゾモゾと布団が動き、ゆっくりと彼女の目が開いた。
「おはよー...」
「もう夕方です。」
「ん?え?戻ったの!?流れ星は?寝たら治るなんて風邪感覚か!」
「佳香さん、急に元気になりましたね」
元に戻れた安堵感からか、佳香さんの一人ツッコミに僕がはまっていると、彼女は気怠げに上半身だけ起こし、虚ろな目で辺りを見渡した。
「お父さん、帰って来てないよね?」
声のトーンがいきなり沈んだ様に感じたけれど、寝起きだからだろう。僕もさっき起きたばかりだから、そこのところはわからない。けれど、隣の部屋から物音がしないから、多分まだ帰って来ていないんだと思う。
「帰って来てないか」
「そうみたいです。お仕事大変なんですね」
「...そうだね」
佳香さんは素っ気なく答えた。まだ眠いのか、頭を下に向けて呆けている。
「渉くん...送らなきゃ...」
そう言うと、佳香さんはガバッと起き上がり僕を見据える。少し目が据わっていた。僕が戸惑っていると、彼女は笑いながら「本当に戻ったんだね」と言った。
佳香さんは部屋の窓を少し開けると、ポケットからくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出した。
「一服したら行くかぁ」
窓枠のサッシにタバコをトントンと小突き始める。僕は佳香さんの一言で、両親と喧嘩をしていた事を思い出す。途端に、自分の家に帰るのが憂鬱で堪らなくなった。できればこの一服が一生続けばいいとさえ思った。
タバコの煙が風に乗って部屋に入る。佳香さんのお父さんは、娘がタバコを吸っている事を知っているのだろうか?多分バレているだろう。部屋からはわずかだがタバコの匂いがする。もし、僕の両親だったらどんな反応をするだろうか。グレてしまった息子に悲しむか、怒るか、それとも知らんぷりを決め込むか。僕はタバコを吸っている自分を想像してみるも、虚しいだけだと気づく。
「あーたーまーがー働かなーい。もう一本吸っていい?」
佳香さんが素っ頓狂なメロディーで尋ねてきた。多分ダメだと言っても吸うのだろう。僕が無言で頷くと、彼女は2本目を小突き始める。
「親御さんに会うの怖い?」
「少し怖いです。警察騒ぎにもなっちゃったし、どんな顔して帰ればいいのか分からないです...」
「そっか。でもそれはね」
佳香さんは短く煙を吐くと、タバコを左手に持ち替えて、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「血眼になって探すくらい、渉くんが大好きなんだよ。君は両親が嫌いかい?」
「僕は...」
返事に戸惑っていると、彼女は横目で僕を見てから、携帯灰皿に吸い殻を入れた。残煙が夕日に揺れて綺麗だった。しばらく無言が続く。
「きっとどうにかなるさ」
そう言うと佳香さんは、僕の手を引っ張って玄関まで連れて行く。佳香さんの手が少し温かい。
「怒られそうになったら、私も一緒に謝ってやるから心配すんな」
「佳香さん...」
「あ、今ちょっと惚れそうになった?」
「どうやったらそんな思考になるんですか」
ローファーのつま先を鳴らしながら彼女は言った。僕は泣き出しそうになりながら自分の靴を履くと、佳香さんに一言、ギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの小声で言った。
「ありがとう」
佳香さんの家から僕の家までは30分程離れていた。途中、国道を歩いていると、僕と同い年くらいの子達が自転車で仲良く一緒に走っていった。多分、この子たちも家に帰るんだろう。いつもなら少し寂しく感じるこの光景も、今は違った。隣にいるこの人はきっと友達だから。僕はちょっぴり嬉しかった。それと同時に、同一化が終わっていてよかったとも思う。こんな感情を読まれたら、恥ずかしくて死んでしまう。いや、感情だけなら分からないかな?なんて物思いに耽っていると、佳香さんの足が止まる。
「あっ」
国道から住宅街に入る曲がり角を曲がると、佳香さんが声をあげた。正面には、見慣れた同級生がいる。後ろに括ったポニーテールがピョンと揺れた。
「お姉ちゃん...?」
「えっ?」
思わず声が出た。目の前の小柄な同級生が言ったお姉ちゃんとは、佳香さんの事なのだろうか。僕は目の前の同級生の性が柏なのを思い出す。二人の顔色を伺うに、どうやらそのようだった。
「ごめん」
「え、あ、あの」
そう言うと、佳香さんはもと来た道を走って帰ってしまった。僕は何が起こったのか分からず立ち竦む。目の前の柏瑠美は、目に涙を溜めていた。それからハッと我にかえったかと思うと、佳香さんと同じく走って逃げてしまった。
僕は一人残され、何が何だか分からぬまま帰路に着いた。
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