#10 一週間。

 『ピピピピピピッ』


 目覚まし時計の音で目が覚める。月曜日の朝、今日からまた憂鬱な一週間が始まる。


 土曜日のあの日の夕方、二人が逃げるように立ち去った後、結局僕は何をするでもなく、家に戻ってきてしまった。美浜家のインターホンを押すと、両親が走り寄ってきて僕を抱きしめた。僕は悲しくないのに、なぜだか涙が溢れてきた。

 

 「渉!!良かった...!本当に良かった...!どこも怪我してないわね!?」

 「うん...心配かけてごめんなさい」

 「悪かった!!渉の事を何も分かってなくて、本当にすまなかった!」

 「大丈夫だよ、僕の方こそごめんなさい」


 最近泣いてばかりだ。もう小学校高学年という事を考えると恥ずかしくなる。僕は溢れる涙を止める事ができず、両親に促されるまま玄関を跨いだ。こうして僕の初めての家出は幕を閉じる。


 一階に降りると、すでにお父さんが少し早めの朝食をとっていた。お母さんは僕と自分の分の朝食を作っており、僕がおはようと言うと、二人はニコリと笑って、いつものようにおはようと返してきた。はたから見れば、蟠りはとうに消えたように見えるだろうけど、今回の件で、僕の心の中に小さなしこりが出来たのは確かだ。


 僕がダイニングテーブルの椅子に腰を下ろすと、それと同時に朝食が運ばれてきた。


 「お母さん達、今日も遅くなりそうだから、帰ってきたら冷蔵庫に夕飯があるからそれを食べてね」


 お母さんが申し訳なさそうな顔で言う。夕飯をひとりで食べるのにはもうとっくに慣れたけれど、この申し訳なさそうな顔には、いつまで経っても慣れそうにない。


 「わかった。仕事頑張ってね」


 そう言うと僕は目の前の朝食に手をつけて、少し早めに家を出た。


 玄関を開けると、今日は秋晴れで、澄んだ空気と太陽の陽射しがなんだか心地よかった。外に出ようとするだいきちさんを咎めていると、少しだけ憂鬱な気分が和らぐ。僕はいつもの道順を、少し顔を上げて、どこまでも青い空を視野に入れながら歩いた。曲がり角を曲がると、少し先にポニーテールが揺れる後ろ姿を見つける。柏瑠美だ。


 ここで会えたのはラッキーだった。彼女には聞きたい事が山ほどあるからだ。僕が話しかけようと早足になると、彼女は後ろを振り向き僕に気が付いた。僕に合わせて歩幅を縮めてくれた。


 「おはよう」


 いつもの溌剌とした声が、今日はおとなしい。きっと一昨日の件が関係しているんだと僕は察した。


 「おはよう。あの...」


 いざ話してみると、何から話せばいいのか分からず、僕は言い淀む。すると、彼女の方から事の詳細を話し始めた。


 「私の両親、離婚しているの。でも私がその事でいじめられないように、性は柏のままなんだ。内緒だよ?」


 僕は無言で頷く。いつも元気でみんなの人気者が、こんな悩みを持っていたなんて意外だった。


 「大変だったんだね。でもなんで一昨日は佳香さんと柏はお互いを避けるように逃げたの?」


 僕は言い終わってから、深入りしすぎたと反省した。でも、当事者なんだから知る権利はあるんだと思う。それに僕は、余計なお世話かもしれないけれど、そんな二人が心配だった。


 「渉くんこそ、どうしてお姉ちゃんと一緒にいたの?というよりなんでお姉ちゃんがこの町にいるの?」

 「最近お父さんの転勤で引っ越してきたみたいだけど…聞いてないの?」


 彼女は目を見開き、驚いている様だった。


 「そうなんだ…あのっ...」


 彼女が口を開こうとした瞬間、後ろから同級生数人の声が聞こえてきた。


 「瑠美おはよー、今日日直でしょ?早く行かないと遅刻しちゃうよ!」


 そう言うと彼女達は柏の腕を引っ張り、小走りで先に行ってしまった。ポツンと一人取り残された僕は、また、澄みきった青空を見上げながら歩くことにした。


 放課後になると、僕は家にカバンを置き、急いで給水塔に向かった。いつも通っている道がやけに遠く感じる。線路沿いから田んぼ道に入る途中、僕は肩で息をしている事に気がつく。僕は自分の胸に手を当てて、数回深呼吸をすると、田んぼ道をゆっくりと歩いて、給水塔の前に着く。


 来たのはいいが、なかなか中に入る決心がつかない。一昨日の佳香さんを思い出すと、なぜだか顔を合わせるのが申し訳なく思ってしまう。僕は給水塔の前で数分ばかり考えあぐねいた末、意を決して中に入る事にした。


 結果から言うと、中は空っぽだった。そこに佳香さんはいなかった。


 一週間前。一ヶ月前。一年前と同じ景色がそこにはあった。僕は電源の切れたロボットの如く、茫然とその場に立ち尽くす。数秒経つと電源がまた入り、僕は床に座って顔を覆うように、小さな三角座りになる。


 僕は一昨日からずっと、佳香さんの事を考えていた。あの逃げ出す時の『ごめん』と言う言葉が頭から離れない。あの時の悲しそうな顔が、瞼に焼き付いて離れない。僕は寂しい時や、嫌な事があったらここに来るけれど、佳香さんは違ったのかもしれない。それとも、僕がいるから来れないのかな。


 結局夕方まで待ってみたけれど、佳香さんが来ることは無かった。僕は夕日を見ながらタバコを吸う真似をしてみるけれど、心に空いた穴が埋まることは無かった。


 それから一週間、僕は佳香さんに会う事は無かった。


 この一週間、柏にあの時の事情を何度か聞く機会はあったけれど、答えはいつも同じで

 『両親の離婚』それ以上の答えを聞く事は出来なかった。日を追うごとに、僕の中の友達がどんどん遠ざかって行くのを感じた。


 佳香さんは今どこで、何をしているんだろう。

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