♯5 分からないことだらけ。

 学校が終わり家の前に着くと、いつもの様に植木鉢を退かして鍵を拾う。それを鍵穴に入れ回すと、何故か手応えが無い。既に鍵が開いていた。玄関にヒールが脱ぎ捨ててある。僕はそれを正すと玄関を上がった。この時間帯には珍しく、お母さんが帰って来ている様だ。洗面所に行き手洗いうがいを済ませてから、ただいまと少し大きな声で言う。すると、寝室の方からおかえりと声が聞こえた。どうやらお母さんはベットで寝ていた様で、僕の声で起こしてしまったらしい。


 「あ、起こしちゃってごめん」

 「ううん、大丈夫よ。手洗いとうがいした?」 

 「お母さんまで子供扱いしないでよ。ちゃんとしたから安心して」

 「お母さんまでって...他の誰かに言われたりしたの?」

 「いや、なんでもない」


 寝室に行くと、少し顔を赤くしたお母さんが布団の中に入っていた。少しだけ息が荒い。首筋にほんのりと汗をかいているが、僕を心配させない為か、表情はそこまで辛くはなさそうだった。


 どうやら体調が悪くなり早退して来たらしい。母はただの風邪だと言うが、普段風邪を引かないお母さんの前で、僕は何をすればいいのか戸惑ってしまった。するとお母さんは、氷枕を交換したいから冷凍庫から取ってきて。と言った。


 氷枕を渡された僕は、言われた通りに冷凍庫から氷を取り出し、少し砕く。冷んやりとした感覚がゆっくりと手を通して身体中に広がる。氷枕にそれを入れて持っていくと、母はすでに眠っている様に見えた。ゆっくりと起こさないように枕に頭を乗せようとするが、お母さんは自分で頭を浮かせた。


 「ありがとう、しばらく寝てれば大丈夫そうだから。夕飯食べたくなったら起こしてね」

 「夕飯なら僕が作るよ。お母さんは安静にしててね」 


 お母さんはありがとうと呟くと、また目を閉じた。僕が部屋から出て行く為にドアノブに手をかけたその時、背後から、夕飯期待してるよ。と言われた。俄然やる気が出てきた。


 今日の夕飯は、炒飯とサラダを作る事にした。と言ってもこの二品しか作れない。学校の調理実習と、一人でお腹が減った時に何度か作った事がある程度で、あまり自信が無い。


 「炒飯とサラダって、男の一人暮らしのメニューじゃないんだから」


 ドアを閉めた後、誰も聞いていないのに僕は小さい声で自分に突っ込んでみる。

時刻はまだ16時前で、調理をするのにはちょっと時間が早かった。僕は自分の部屋に行くと、お父さんから借りた音楽雑誌に目を通す。しばらく部屋で音楽を聴きながら雑誌を読んでいると、ゆっくりと瞼が重たくなり、そのまま僕は睡魔に襲われて目を閉じてしまった。ぼんやりと視界が開けると、時計の針は19時を回っていた。けれど、丁度いい時間に起きる事は出来たみたいだ。僕は大きく欠伸をすると、寝ぼけ眼を擦りながら階段を降りた。


 僕はキッチンに着くと、お米を洗って炊飯ジャーにかけた。次に冷蔵庫を開けて、炒飯に必要であろう材料を順繰りに並べる。まず初めに、野菜をみじん切りにしていく。人参、ピーマン、それから玉ねぎの順。玉ねぎを切り刻んでいると、涙が出てきて目が痛い。けれど、二人が喜んで食べてくれているところを思い浮かべると、不思議とそこまで苦では無かった。フライパンに油を引き、細切りにしたちょっと多めの豚肉と野菜を炒める。


 僕が右往左往?四苦八苦?...して、使い方は大体合っているはずだ。とにかく、なんとか三人分の炒飯を作り終えると、丁度いいタイミングでお父さんが帰ってきた。僕は急いで簡易なサラダを作り終えると、寝室で寝ているお母さんの様子を見に行った。お母さんはもう既に起きていて、どうやら本調子に戻ってきている様だった。夕飯が出来たと言う旨を伝えると、パジャマの上から上着を羽織り、楽しみね。なんて言いながらリビングに入る。 


 僕たち3人は、キッチンに隣接しているダイニングテーブルに腰を下ろすと、頂きますをしてからご飯を食べ始めた。


 僕の手料理を食べてもらうのは久しぶりだけれど、それと同じくらいに、三人で夕飯を食べるのは久しぶりだった。味見は何度もしたけれど、2人に喜んで食べてもらえるか心配で、僕はさり気なく2人の様子を伺う。


 「美味い!渉は将来コックさんになれるな」

 「こんなの誰だって作れるよ」

 「そんなことないぞ。お前は自慢の息子だ」


 大袈裟なお父さんの言葉に僕は照れる。お世辞だとしてもとても嬉しい。料理を作る側は食べてくれる人に反応してもらうと、こんなにも嬉しいものなのかと関心した。これからはもっと気持ちを伝えながら食べようと思った。


 「あら、この炒飯味がしっかりしててとても美味しいわね」


 僕は半分生焼けで、ゴロゴロしている人参を奥歯で噛み潰す。もっと手を込めて作ればよかったな、なんて思いながら、2人の食べている姿を見つめる。大袈裟なくらい美味しそうに食べるので、僕は嬉しくなって2人にサラダをこれでもかと取り分ける。我ながら単純だ。


 僕らは和気あいあいとした食事を終えると、リビングのテレビでバラエティー番組をただ何となく見始めた。少しの間見ていると、お父さんが改まる様な顔をしながら、ソファーに座っている僕に近づいて来る。さっきまでの柔らかい表情が崩れていた。僕の目線までしゃがむと、お父さんは低いトーンの声で切りだす。僕は嫌な予感がした。


 「渉、話がある。」

 「何?」


 直感的に聞きたくないと感じた。 


 「今週の日曜日だけどな、お父さん急な仕事が入っちゃって、旅行、行けなくなった。」

 「ーーーっ!」


 僕は茫然として言葉を失う。急いでお母さんの顔を見ると、既に知っている風で、申し訳なさそうに下を向いている。


 「なんで!先月から約束してたじゃん!」

 「すまない」


 口調が荒くなる。さっきまでの穏やかな家族団欒が嘘のようだ。


 「お父さん、今仕事で大変なのよ。分かってあげて」

 「お母さんは黙ってて!」


 お母さんが柔らかい声で悟す様に言う。それでも僕の落胆と怒りは収まらない。


 「本当に悪い、今度新しいCD何枚か買ってやるから、」

 「CDなんて欲しくない!あんなの独りを誤魔化すだけだ!いつも仕事ばっかりで、お父さんもお母さんも僕のことなんてどうでもいいんだ!」


  お父さんの声を遮って、僕は立ち上がると走って玄関まで行き、きっちりと揃えられたお母さんのヒールを倒し、靴の踵を履き潰すと、ドアを開けて勢いよく外に飛び出した。


 「待て渉!待ちなさい!」


 背後からお父さんとお母さんの声が聞こえる。僕はひたすらに走った。声がどんどん遠くなっていく。後ろを振り向くと、走るお父さんの姿が見えたが、どうやら僕との距離を詰める事は出来なさそうだ。何から逃げているんだろう?僕は何をしているんだろう。街灯の光を次々と追い抜いていくと、胸がドキドキして涙が溢れそうになる。頭の中の『何で』が止まらない。さっきまでの夕食が偽物の様に感じた。


 家を出てから10分程全力で走りきると、綿のように疲れた僕は、住宅街にある公園のベンチに1人座った。まだ涙が止まらない。旅行は楽しみだったけれど、お父さんの仕事が大変なのも分かる。でも、裏切られた事に変わりはない。


 「そりゃ、仕事が忙しいのは前から知ってるよ。でも、でも...

  結局お父さんもお母さんも、僕の気持ちなんておかまいなしなんだ」


 僕は数分程うな垂れていると、散歩中の犬の吠える声で急に現実に戻された。これからどうしよう。家を飛び出したのが20時過ぎ、こんな時間に町をたむろしていたら警察に補導されてしまう。僕は怖くなって、隠れる事の出来る場所を探した。


 どこに行くか悩んだ末、結局給水塔に行く事にした。夜のせいなのか、いつもの道のりがやけに長く感じた。田んぼ道に着くと、足元は殆ど見えない。月の光を頼りにどうにかたどり着くと、窓から一瞬光が見えた。


 他に行くところがないので、ビクビクしながら音を立てない様に入口から中を覗いてみると、そこにはタバコを吸っている佳香さんがいた。

 

 「よっ、不良少年。もう21時回ってるぞ」

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