第2話 二度目の裏切り (1)


 数日振りに帰宅した私の足元に、ごみ袋が転がっていた。

袋を触ってみると明らかに燃えるゴミのものではない、固い感触がある。

本来分別しなくてはいけないはずの硬いものが、黒い小袋の中に入れられて、燃えるゴミとして出されている。


―――違う……!

外側からは袋の中身が見えないし、ごみ収集の業者さんもそのまま収集車に突っ込んでくれるかもしれないけど、そういう問題じゃない!


もぉ~!私が居なくなった途端にコレだよ!我が母親ながらだらしなさ過ぎる。

これじゃ私が親元から離れようものならどうなることか。


高校を出た後どうするかなんてまだ決めては居ないけど、母がこの体たらくじゃ進学するにしても就職するにしても私は親元からは離れられない。


こうなったら……!

なんとかして私が高校生であるうちに宍色さんに母を押しつけ……ゲフンゲフン。

貰って頂かなければならない……!


決意に燃える私の目の前に、

さっきまでリビングで飲んだくれていただろう母が、

のっそのっそと玄関まで歩いてきた。


「……ももか?ももか!ももか!良かった!!!ももかぁ!!!!」


酔っ払った母が私めがけて突進してくる。

まるでオリンピックのレスリング選手並みに恐ろしく速いタックルに、

私は思わずうめき声を上げた。

床に倒れた私の首に両腕を巻きつけ、

「ももか!ももか!」と狂ったように私の名を呼び、涙を流している。


「痛い痛い痛い痛い!!ちょっと!!!離れてよママ!!」

「心配したのよももか!!

貴女が警察に捕まったって聞いてもう大変だったんだから!!

良かったぁ……!本当に良かった……!」


私を抱きしめて頬擦りまでしてくる母。

私はというとここ二日間、ずっとお風呂に入れていないので

密着されるのが恥ずかしかった。

だけど母にとっては私がフケツだろうが清潔だろうがどうでも良いみたいだ。

母は、私がいくら嫌がっても離してくれなかった。



逮捕から48時間以内の警察での取調べ、

その後検察に引き渡されてからの24時間以内の取調べ。

―――逮捕直後、最大計72時間の取調べ中は、

たとえ家族であろうと逮捕された人に会うことは出来ない。


母は、宍色さんに泣きついて私を早く解放してくれるよう頼み込んだらしい。

必死の形相で宍色さんに泣き縋る母の姿が、私の脳裏に浮かぶ。

……彼に申し訳ないなと思うと同時に、

自分が母にそこまで思われていることが、嬉しかった。


私が釈放された時間帯にヤケ酒をしていて身元引受人として出頭できなかったのはちょっとアレだけど……まあ水に流そう。


恋愛に依存していた頃の母は私に冷たかった。

でも最近はどちらかと言うと過保護気味なところがある。

宍色さんと付き合い始めて余裕が出来たのも大きな原因だろうけど、

前原先生との一件も、母の過保護に拍車をかけた。


私が地元の高校じゃなくて『陰泣の巳隠学園に通いたい』って言ったときも、

母は否定せずに受け入れてくれた。電車で一時間も離れたところにある、しかも私立の学校に毎日通おうだなんて、交通費や学費もバカに出来ないはずなのに。

母は文句一つ言わずに、『……そうね。地元の高校はやめたほうが良いかもね』なんて言ってあっさり承諾してくれた。


過保護になったと言っても食卓にインスタント料理が並んだり家中にゴミが散乱するちゃらんぽらんさは相変わらずだ。

父の蒸発前、三人家族だったときはもう少ししっかりしていた記憶があるんだけど、

その後、『恋愛』依存症になった後にかなり酷くなった。


今の母を見ていると、なんとなくだけど父と出会う前の母がどんな生活をしていたのか分かる気がする。……"三つ子の魂百まで"というやつだ。

一桃かずとさんの前ではずっと、ネコを被ったまま過ごしていたのだろう。


だからもっぱら、家事は私の仕事だ。

―――ごく稀に母の気が向いた時だけ家事をしてくれるときはあるけど本当にごく稀だ。だけど私は、そのことでちょっと安心していたりもする。

この家の中で役割を持っているということは、私が精神的に自立できている証拠のようなものだから。


「うええええええん良かったぁぁぁぁぁ帰ってきてくれて良かったぁぁぁぁぁぁうわあああああああん」

「はいはい。心配かけたね。ごめんなさい」


私に抱きついたまま大声を上げて泣く母。

そんな母の頭をそっと撫でて、

「宍色さんに頼んでくれてありがとうね」と私は優しく囁いた。

その言葉を聞いて更に大粒の涙を流す母の背中をそっと撫でてあげる。

泣き叫ぶ赤ちゃんを優しくなだめるように。私は母が泣き止むまでずっとその背中を抱いて頭を撫でてあげた。


まったく……。

これじゃどっちが母親なのかまるで分からないや……。




「聞いたかよ?1年の女子から逮捕者が出たんだって」

「それ知ってるー!あの子でしょ?東雲ももかとかいう……」

「なんでも連続失踪事件の犯人である可能性が高いらしいぜ」

「えー!?はづきんと吉田センセーってあんなか弱そうな子に攫われたの!?」

「いやほら……前から噂あったじゃん?あの子、スゲービッチだって。たぶんセフレとかにやらせたんじゃねーの?」

「うわー!ありそー!『私の言うことに従ったら好きなだけヤラせてあげる』とか言ってオトコ騙してそうだもん」

「なんで石村と吉田なんだろうなぁ?……自分より綺麗だから嫉妬したとか?」

「絶対オトコ絡みだよオトコ絡み!」



視線を、感じる。

周囲から私に向けられる視線が、とても痛い。


今日の私は、学園中の注目の的だ。

―――もちろん、悪い意味で。


学校の近くでママの車から降りた瞬間からずっと、誰かしらの視線を感じている。


校門前の長い階段を上る途中。

校門をくぐった後。

校舎内に入ってからも、

学年を問わずずっと皆に見られている。

―――皆の、好奇の眼差しに私は晒されている。


無理もないだろう。私が逮捕されていたことは、きっともう学校中に広まっている。

その後無事に釈放されたし、別に前科者とかじゃないはずなんだけど……。

その辺の事情をまったく知らない子たちからしてみれば、

"逮捕された女"なんてものは前科を持ってるのとそう変わりないだろう。


『あれー?前科者じゃん!いつ刑務所から脱走してきたの?ぎゃはははは!!』


そんな意地悪なことを面と向かって言ってくる深紅ちゃんはもう居ない。

みんな私に直接関わろうとはしないまま、

視線や仕草や陰口だけで私の事を非難してくる。

まるで、安全なところから石を投げつけるかのように。


教室の前の廊下。視線を上げると、後藤さんと目が合った。

後藤さんは汚物でも見るかのような目で私を見た後、露骨に目を逸らす。


今日学校に来て楽しいと思えた唯一の事は、

入学して初めて学校指定のカーディガンを着てきたことくらいだ。

これを着た私を可愛いなんて言ってくれる人は誰一人として居ないけど、

その新鮮な着心地を自分ひとりで楽しむ位のことは出来る。


……ブレザーが帰ってこないから、仕方なくカーディガンを着ているんだけどね。





「おはようももか。そのカーディガン、似合っているわね。

ねえ、周囲を御覧なさい?

貴女があまりにも可愛いものだから、皆の注目を集めてしまっているわよ?

くくっ、うっふふふふ……!」


聞きなれた、天使のようなウィスパーボイスが、私をからかってくる。

……そうだった。

私に意地悪なことを言ってきそうな人は深紅ちゃん以外にもう一人居るんだった。


意地悪な深紅ちゃんの命を奪った、この世で最も意地悪な女の子。

赤月美桜……さんだ。


今朝、学校に復帰するに当たって心配だったことが二つある。

一つはこうして皆に奇異の目で見られるだろうこと。

そしてもう一つは……この人に出くわしてしまうことだった。


正直、赤月さんはもう学校に来ないのかな、なんて思ってた。

深紅ちゃんを喰らったことで彼女の目的は達成されたのだから。

だけど彼女は、今こうして学校に居る。

私の目の前に立って、私の幼馴染の命を奪ったことになんの罪悪感も感じていない様子で笑っている。


「お、おはようございます……赤月さん」


形だけの挨拶を交わして、私は彼女の横をすり抜けて教室へ入って行った。

小走りになった私の胸元で、赤月さんから貰ったペンダントが跳ねる。


……別に、贈り物だから大事に持っているというわけじゃない。

ただ、これを持っていると便利だから持っているだけだ。

なんたってバリアが張れるし。危険人物に襲われたときには身を守れる。

赤月さんみたいな、危険人物に。

……位置情報が彼女にバレてしまうのだけは、ちょっと玉に傷だけど。


背中越しに赤月さんの視線を感じる。彼女は今きっと、

その美しい顔を歪め、不満げな顔をしていることだろう。


「……ももかがまた名前で呼んでくれなくなった。寂しいわ」


なんとも愛らしい猫なで声で言った赤月さんを放って、私は席に座った。

私が席に座るなり、赤月さんも負けじと私の隣の席に座り込む。


そうか、赤月さんの席は私の隣だった。

気まずい。離れようにも距離が近すぎる。


赤月さんが私に顔を近づけてくる。その綺麗な顔を私の顔に近づけてくる。

近い。近い近い近い。気まずい。必要以上に距離が近すぎる。


「ねえ」


赤月さんが声を発する。彼女の吐息が頬に触れた。


「いつまで無視するつもり?」


赤月さんが私の視線を遮るように顔を近づける。

私の目は赤月さんを完全に捉えていたけど、

私は赤月さんの事が見えていないフリを続けた。


「そう。あくまで無視を続けると言うのね。良いわ。それなら私にも考えがある」


考えって、なんだろう?

赤月さんも私を無視するとか、その程度のことであって欲しい。

彼女が私に飽きてくれるのなら、それに越したことはない。

別に、寂しくなんかないし。……ないし。


「今から貴女にチューするわね。皆の見てる前で」

「それはダメ!!!!絶対にダメ!!!!」


大声を出し、思わず席から立ってしまった私を、

教室に居た皆が驚いたような顔で見ていた。

さっきまでガヤガヤしていた教室が、一気に静まり返る。

私の顔は火が出そうなくらいに熱くなっていた。


「うふふ……やっと反応してくれた」

「……急に変なこと言い出さないで!」


席に座りなおし、私は小声で赤月さんに訴えかける。


「貴女が悪いのよ?私に構ってくれないから」

「自分のしたことを良く考えてみてよ!私、怒ってるんだからね!」

「?……あぁ、ごめんなさいね。お泊りの約束をすっぽかしてしまって」

「そっちじゃない!」


美桜ちゃんはやれやれ、とでも言いたげな様子で

両手の平を天井に向けて肩を落とす。

―――そんな芝居がかった仕草も、

美人がすると様になるものだからなんだか悔しい。


「貴女に責められるいわれなどないわ。

私がどういう存在か、貴女だって知ってるでしょう?

私は食事をしただけ。人間の皆さんだって牛や豚を殺してお肉を食べてるじゃない」


周囲の目を意識しているのか、

赤月さんは直接的な言葉を極力使わずに弁解を放った。


「謝ったりしないわよ、私は」

「納得、出来ないよ。貴女の手口は惨すぎる……」


私に言い返された赤月さんが、意外にも傷ついたような顔をする。

……ちょっと言い過ぎたかな?

相手を傷つけるような言葉を放つのは、私はやっぱり苦手みたいだ。


だけど。

そう易々と彼女を許して甘い顔をするわけにもいかない。

ごめんなさいと言いたくなる気持ちを抑えて、

私はまた、赤月さんから視線を逸らした。


「……あーあ!!!

つれないのねぇ!!!!

今まであんなに愛し合った仲だというのに!!!!!」


周りにも聞こえるよう、声量を上げて。

赤月さんが周囲の誤解を招きかねないようなことを言い出す。

騒々しさを取り戻しつつあった教室内が、再び静まり返る。

……いや、いやいや。

この人、いきなり何言ってるワケ!?


「ちょ、ちょっと!!

へ、変な言い方しないで!!また妙な噂が立っちゃうでしょ!?」


私は彼女に対して抗議の声を上げたが、時すでに遅しだった。

クラスの皆は赤月さんが放った言葉に反応し、すでにあらぬ想像を始めている。

当の赤月さんはというと、周囲の視線などモノともせずに余裕の表情を見せていた。



「えっ、嘘……あの二人ってそういう関係なの?」

「なんか妙に仲が良いなぁと思ってたらそういうことか……」

「よく二人っきりで居るもんね……」

「赤月さんはソッチっぽい雰囲気あったけど、東雲さんもなんだ……」

「えっ。ちょっと待ってよ。だって東雲さんって相当の男好きだって聞いたけど」

「本当の性癖を隠すためのフェイクだったんじゃね?」

「もしくは男を漁りまくった結果、真実の愛に目覚めたか……」



教室内は再び、騒々しさに包まれる。

その話題の中心にあるのは、紛れもなく私と赤月さんについてだ。

ある男の子は顔を赤らめてうっとりとしたような表情で私達を見つめ、

ある女の子は……これまた顔を赤らめて私達のほうをチラチラと見ていた。


なんなの?この反応……。

周りから遊んでると思われるのも嫌だけど、

"そういう人"だと思われるのもそれはそれでイヤだ。

というか私には、その二択しかないの……?

Lez or bitchレズ オア ビッチdo or dieドゥー オア ダイ

私の顔はまた、火が出そうなくらい熱くなっていた。


「もう知らない!!!!」


居ても立っても居られず、私は教室から走り去る。

去っていく私を見つめる赤月さんは、今きっと満足げな表情をしていることだろう。


『"男をとっかえひっかえしてる売女"だなんて酷い風に思われてるよりも、

私の彼女だと思われてるほうが、ずっといい』


以前、彼女が私に言ってくれた言葉が、頭の中に浮かんでくる。

全ては赤月さんの目論見どおり……らしい。


チクショーめ!私はやっぱり彼女のことが嫌いだ!

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