第6話 うつくしき狂気~歪んだ運命の赤い糸~ (4)


「舐めるなぁぁぁぁ!!!」


怒り狂ったアラクネが、再び糸のマシンガンを炸裂させる。

美桜を蜂の巣にするためだけに吐き出されたその斬糸たちは、その全てを鬼の右腕によって切り裂かれ、叩き落とされ、美桜の身体を傷つけることなく霧散した。


ならば……!

アラクネは手を変え、打ち殺すためではなく拘束するための粘着性の糸を吐き出そうと手をかざす。……しかし手をかざした先―――美桜が立っていた場所には、彼女の姿は既にない。その横で、腰を抜かして震えているももかが居るだけだった。


「くっ……!アイツ、一体どこに……?」


首を回し、身体をひねり、

部屋中を探し回るアラクネだったが美桜の姿はどこにも見えない。

焦るアラクネは、何かが頭上から迫ってくるような感覚を覚え、顔を上げた。


空中で、右手の爪を構えた美桜が、アラクネに向かって飛び掛かってきていた。

咄嗟に両手をかざし、

美桜を打ち落とそうとマシンガンを炸裂させるアラクネだったが

美桜は空中においても糸の銃弾たちを全て見切り、

右手を振るって弾を叩き落した。


そして一閃―――。

振り落とされた美桜の右手は、その爪は、

アラクネの肩を切り裂き、赤い血を蜘蛛の体から噴出させる。


「ぐああああ!!!お、お前……!!!」


慣性に従うまま、自分の真後ろに降り立った美桜に対し、

後ろ回し蹴りの要領で蜘蛛の足を叩きつけようとするアラクネ。

アラクネの体躯と比べて小柄な美桜は回し蹴りを難なく避けたが、

蜘蛛の足は8本ある。最初のキックが避けられた後、

アラクネはすかさず二発、三発、四発目のキックを放ち、

美桜に追撃の隙を与えなかった。


キックを放つと同時に身を切り返していくアラクネ。

背後に立つことで有利なポジションについていた美桜をけん制し、

二人は正面で向き合う形に戻った。


向かい合う、『鬼』と『鬼』。

アラクネは後方の4つの足で大地を踏みしめると、

前方の4つの足を持ち上げ、腕のように構える。

それは蟷螂とうろうの威嚇―――自分の体躯をより大きく見せ、相手を威圧するポーズに似ていた。


蟷螂の構えをとったアラクネが、美桜を倒す算段を練る。

―――持ち上げた4つの前足と両手から放たれる硬糸と粘糸。

アタシには合計6つの手数がある。

対してあいつの手数はどうだ?

蜘蛛のアタシと違って腕が二つしか無い。

足を持ち上げてキックを放ったとしても軸足は固定されてしまう。

どれだけ頑張っても手数3つが関の山だ。

殴り合いならこっちが有利だ。接近戦を仕掛ければ必ず勝てる……!


勝算を握ったアラクネは、美桜に接近戦インファイトを仕掛けた。

4本の前足で素早い突きを繰り出す。

その全てを美桜は見切り、身のこなしで避け続けた。

しかし、アラクネの激しい攻撃が止むことはない。

繰り出され続ける怒涛の突きに、

美桜はアラクネから距離を取ることすらままならなかった。

―――行ける……このまま押し続ければ、やがて赤月のほうが根負けするはずだ!


やがて、アラクネの予想通りに攻撃をかわし切れなくなった美桜は、それまで紙一重で避け続けてきたアラクネの突きを、避けることなく手で捌くようになった。

そのことに気を良くしたアラクネが、さらに手数を増やす。

4つの足で突きを繰り出しつつ、ヒトの両腕から糸のマシンガンを炸裂させた。


「……!」


攻撃のリズムが変わったことに驚愕する美桜の表情を見て、

アラクネは勝利を確信し、攻撃の手を強めた。


糸。糸。足。足。糸。足足。


流れるような連続攻撃が美桜に襲い掛かり、そしてついに……アラクネの黒い足が、美桜の身体を叩きつける確かな手応えを得た。……かに見えた。


「取ったぁ!!!……な、に?」


アラクネの足が"何か"に接触したのは確かだ。

しかし、それは美桜の身体を刺し貫いたわけではない。足は美桜に掴まれたのだ。

二つしかない美桜の両腕……ではなく、美桜の長い黒髪に。


―――触手のように長く伸び、意思を持った別の生き物の如く蠢いている、

美桜の……長い黒髪に。


「残念ね。……手数なら私のほうが上よ」


"触手"が美桜の頭から伸び、アラクネの体を拘束していく。

持ち上げた4つの前足。支えにしていた4つの後ろ足。

ヒトの両腕。胴体。

アラクネから自由を奪った髪たちはアラクネの巨体を持ち上げ、

自在に伸び縮みし、蜘蛛を空中で弄んだ。

壁に叩きつけ、天上に叩きつけ、床に叩きつけ引きずりまわし、

アラクネを好き放題なぶり回す。


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


その光景はまるで、加減を知らない子供が乱暴に玩具を扱うかのようだった。


美桜の手数は自在に操れる髪の毛の本数分ある。

そして、ヒトの頭皮に生えている髪の毛は10万~20万本ほどだ。

手数が多ければ接近戦に勝てるというのならば、

6つしか手数の無いアラクネが20万もの手数を誇る美桜に勝てるわけは無かった。


"触手"がアラクネに巻きつくのを止め、美桜の元へと帰っていく。

"触手"は元通りの―――美桜の腰まで届く程度の長さに収縮し、

主の後姿を艶やかな黒と赤で彩った。


「……もう終わりなの?蘇芳村深紅アラクネ。もっと私を楽しませてよ。

貴女が覚醒するのをどれほど楽しみにしていたと思っているの?」

「ぐぅ……ぐぐぐ……」


散々痛めつけられたアラクネは、すでに意識を朦朧とさせていた。

全身から伝わってくる痛みを耐えるのに必死なアラクネは、

美桜の言葉に耳を傾ける余裕などない。


そのことが、美桜のかんさわった。


ヒュンッ!パシンッ!

鞭で何かを叩きつけたような渇いた音が鳴り響く。

美桜の髪が、地に伏せたアラクネの臀部でんぶを激しく叩いた音だった。


「ねえ、聞いてるの?」


ヒュンッ!パシンッ!

渇いた音が再び鳴り響く。

美桜の髪がアラクネの背中に叩きつけられ、赤い痣を刻み込んだ。


「痛いっ!痛いぃぃぃっ!!!

き、聞いてるっ!聞いてますからっ!

やめて、やめてくださいぃぃぃぃぃぃ……!」

「本当に聞いてる?……なら、もうやめてあげようかしら」


ヒュンッ!パシンッ!

渇いた音が再三鳴り響いた。

美桜の髪がアラクネの顔―――赤い瞳以外は蘇芳村深紅そのものであるその鼻筋の整った顔を、頬を、激しく叩きつけた。


「な、んで……?

……何でぇぇぇぇ!?

もうやめてくれるって言ったじゃん!!!!!!!」


ヒュンッ!パシンッ!

四度目の渇いた音が響いた。

美桜の髪は再び、アラクネの臀部を叩き、赤く染めた。

『鬼』の『女』の言うことなど、決して信じてはならないのだ。


「あは……あはははははは……あはぁ……」

「あら?もう壊れてしまったの?」


倒れたアラクネに近づいた美桜が、アラクネの髪を掴んでその頭を持ち上げた。

瞳から光の消えたアラクネを恍惚の表情で見つめていた美桜が、

その耳元に軽い口付けをして、天使の声で悪魔の如く囁いた。


「……壊れたらつまらないじゃない。

思い出してよ。貴女が抱いていた欲望を」

「よく、ぼう……?」

「そう。欲望。……貴女は『鬼』になって何がしたかったの?何を欲していたの?」

「あたしが、ほしかったもの……ほしかった……もの……」


アラクネの頭の中に、今までの人生が走馬灯のようによぎった。


色んなことがあった。

自分を偽る為だけに、これでもかというくらい自分を穢し続けてきた。

どれほどアタシが穢れても、

どれほどあの子を穢しても、

その欲望からは逃げることが出来なかった。

―――ずっとずっと、アタシの頭の中には、あの子が居続けた。

ももちー。アタシが、一番欲しかったヒト


「うおぉアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


叫びだしたアラクネの全身から熱気が立ち上った。

アラクネが内包していた『妖力』が一気に外へと放出されたためだ。

赤いオーラがアラクネの全身を包み、

体中の怪我―――打撲痕や切り傷、骨折を修復していく。

まさに全身全霊。自分の持てる全ての力を使って、アラクネは再び立ち上がる。

アラクネの元から飛び退いた美桜が、歓喜の声を上げた。


「ふふっ、うふふふふ!!!

良いわぁ……。良いわよ蘇芳村深紅アラクネ!!!

すさまじい欲望!

すさまじい昂ぶり!!

貴女は今この瞬間、私に食われるべき最高の食物へと昇華された!!!!」


美桜が鬼の右腕を腰の真横に引き、左手を前へと突き出した。

腰を落として半身で構えたそのポーズは、

引き手となった右腕に己の体重を乗せ正拳突きを放つための構えだ。


腰の真横に据えた右拳を、ギリギリと握り締める美桜。

―――やがてその右拳から、熱く滾る地獄の業火が噴火した。


「終わりにしましょう。

……貴女の命を、私のモノにしてあげる」



アラクネの視界から、美桜の姿が消え去る。

それと同時に、腹部にミサイルを打ち込まれたかのような激しい衝撃が広がって行くのを、アラクネは感じ取った。

衝撃が腹を貫き、アラクネの意識が一瞬途切れる。

全身の細胞が止まってしまったかのような感覚がアラクネを襲った。

5秒ほど、アラクネは何も感じることが出来なかった。

やがて意識を取り戻したアラクネが腹部へと視線を下げると、

まさにいま、腹部から右手を引き抜こうとしている美桜の姿が映った。

―――なんだろう?おなかとせなかがスースーする。


「ゴフゥッ!」

美桜が腕を引き抜いた瞬間、

アラクネの口からは、多量の血液が漏れ出した。

それと同時にアラクネの身体が収縮していき、

元の人間サイズ―――蘇芳村深紅の姿に戻っていく。

ヒトに戻った深紅の腹部には、満月のような穴がぽっかりと開いていた。


「頂いたわよ。貴女の魂を」


そう囁いた美桜の右手の中で、青白い炎がメラメラと燃え滾っていた。




 ヒュー、ヒュー。

深紅が息をするたび、笛を吹くような喘鳴ぜんめいを発している。

もはや彼女は長くない。抗いがたき眠気と疲労感が深紅を襲い、

命の灯火は消える寸前だ。

彼女の視界は霞んでおり、もう辺りに何があるのかすら分からなかった。


消えていく意識の中で、深紅はチョウチョの幻覚を見た。


―――あぁ、綺麗なチョウチョ。あれは……たぶん、ミヤマカラスアゲハだ。

あの日のチョウチョが、私を迎えに来たんだね。

……ごめんね。あの日、アタシがアンタをジョロウグモから助けてあげてたら、

アンタはもっと長生き出来たはずなのにね。

綺麗なお花畑で蜜をすすって、幸せに生きられたかもしれないのにね。


深紅が見たミヤマカラスアゲハの幻覚は、一匹のみだった。

しかし深紅の懺悔を聞くなり、アゲハは何匹にも何十匹にも分裂し、

深紅の身体を覆いつくす。

最期くらいは、蝶の花束に包まれて幸せに逝けるのだ―――と深紅は思っていた。


しかしアゲハたちは、深紅の期待を裏切った。

あろうことか深紅のカラダにストローを突き刺し、

その血液を吸い取っていくではないか。

大好きなチョウチョに裏切られてしまった深紅は、泣き叫んで命乞いをした。


「痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃ!!!

いやぁぁぁ!!!やだぁああああ!!!

ごめんなさい……!ごめんなさいぃぃぃ!!!

誰か助けてぇぇっっっ!!!イヤだ!!!こんなのやだよぉぉぉぉぉ!!!」


痛みに喘ぐ深紅は、わらにもすがる思いで手のひらから糸を飛ばした。

最後の力を振り絞って放たれたその糸には、

深紅の血液がべったりとこびり付いている。

血に染まった赤い糸が"何か"を捉えたような手応えを感じた深紅は、

その"何か"に対して助けを求めた。


「ムシが!!ムシさんが襲ってくるのぉっ!!

やだ、いたいよぉ!こわいよぉ!

だれか!!だれかぁっ!!


あっちにやって!!!

早くあっちにやってよぉ!!!」


"何か"は神々しい光を放ちながら、泣き叫ぶ深紅の傍にゆっくりと近づいてくる。

アゲハたちは光の塊を恐れ、深紅の身体から離れていった。

アゲハを追い払ってくれた光の塊が、深紅の頭を優しく撫で、

その身体をそっと抱き寄せる。


「大丈夫だよ……」

甘ったるいアニメ声だった。

深紅は、その優しい声に聞き覚えがあった。


―――幼い頃、虫が現れるといつもこうして、

アタシのナイトになってくれた人が居た。

忘れるわけない。忘れられるはずがない。

アタシが、世界で一番好きな人の声だ。


「ほら、ムシさん、もう居ないよ?」

深紅の頭の中で、幼いその人の姿が浮かぶ。


「私が、追い払ったから」

あの時と同じ声色で、同じ台詞で。

ももかが深紅に語りかけていた。

―――深紅が放った赤い糸は、ももかの右手の小指に繋がっていたのだ。


「ももちー?ももちーなの?」

「うん」

「ごめんね。ごめんなさい。ずっと貴女が好きだった。好きだったの」

「……最初から、素直にそう言ってほしかった。

そしたら私も深紅ちゃんも、こんなに辛い想いしなくて済んだのに」

「ごめんなさい。怖かったの。周りから異常だって思われることも……。

想いを伝えて、ももちーに嫌われることも……。

怖くて、勇気が出せなかった……!」

「よく知ってるでしょう?……私は深紅ちゃんのこと、

そんな簡単に嫌いになったり出来なかったと思うよ。

私なら、周りがどう思おうと貴女の居場所になってあげられた」

「ごめんなさい……ごめんなさい……うわあああああああん」

「私こそ……深紅ちゃんの気持ちに気づいてあげられなくてごめんね」


ももかはしばらく、黙って深紅の頭を撫で続けた。

深紅の体を抱き寄せて、"かたつむり"になってあげた。


「ずっとももちーが欲しかった。欲しかったよぉ……」


手のひらの中心から出た赤い糸を、深紅は己の小指に巻きつけて、手繰り寄せる。

何重にも赤い糸が巻きつけられて、深紅とももかの手のひら同士が、近づいていく。

やがて、二人の手のひらが接触する―――その寸前。


ブチッ!

と、音を立てて糸が引き千切られた。


「駄ぁ目」


二人の赤い糸を断ち切って、冷たい声がこだまする。

―――この声……この冷たくて残酷な声。

忘れるわけない。忘れられるはずがない。

アタシが、世界で一番恐れている女の声だ。


「ひぃぃっ!?アンタ、アンタは、赤月美桜……!」


天国のような幸福から一転、

地獄に叩き落されたような心地になった深紅は、恐怖に顔を歪ませる。

そんな深紅の表情を見て、美桜はサディスティックな快楽を感じていた。


「貴女にはあげない。

……ももかはもう、私のモノだもの」


美桜はそう言い放って、右手に持っていた深紅の魂を果実のように齧った。

その極上の命の味に舌鼓を打ちながら、

頬に手を添えて『美味しい』のジェスチャーをする。


「あ……あぁ……いやだ……ももちー、もも……あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


深紅の身体が発光しながら透けていき、闇の中へと溶けていく。

その姿を見て、魔女は心底楽しそうにわらっていた。

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