第6話 うつくしき狂気~歪んだ運命の赤い糸~ (2)


 放課後、私は深紅ちゃんに連れられてビルの谷間の路地裏を歩いていた。

陰泣駅前の大通りを横に逸れて細道に入った先。日の当たる大通りを少し逸れるだけで、別世界に来たかのように街並みがガラリと変わった。


路地裏には居酒屋やバーの看板が立ち並んでいて、

明らかに私とは縁の遠い"大人の遊び場"といった空気が一画から漂ってくる。

こういう浮ついた場所に来るのは正直言って怖い。

だけど、そんな素振りを見せるわけには行かない。

今の私は、人知の及ばぬ力を身につけたバケモノ―――。

……という設定になっているのだから。


「着いたよ。この中に、アタシの『巣』がある」


深紅ちゃんが足を止めて、私のほうへと振り返る。

彼女が指を差したその建物は、

ピンク色の派手な外壁をしたお城のような建物―――ラブホテルだった。




食堂で私が『鬼』であるとウソをついた後、

私は深紅ちゃんにある"交換条件"を持ちかけた。


深紅ちゃんはすっかり目の前に居る私を『鬼』であると思いこんでいた。

『嗅覚』が通用しない私の事を、普通の人間だとは悟れずに居る。

私は、混乱している深紅ちゃんに対して考える隙を与えないよう言葉を続けた。


「私は別に貴女を脅かそうとしているわけではないのよ?数少ない同類ですもの。

同じ『鬼』同士、助け合って生きていければそれでいいと思ってる。だけど……」

「だけど……?」

「貴女は禁断の果実に触れてしまった。

―――赤月美桜。私が狙っていた人間を攫ったことだけは絶対に許せない」

「狙っていた……?だから最近、アイツとばっかりつるんでたってワケ?」


ええ、と頷いて深紅ちゃんの肩に手を置き、耳元で囁く。


「赤月美桜を返して頂戴。そしたら、貴女とは戦わないで居てあげる」

「ふ、ふふ。……戦う、って。アンタがアタシと喧嘩して勝てると思ってるの?」


見下したような目つきで私を舐めてかかる深紅ちゃん。

いじめっ子といじめられっ子という印象が強いのだろう。私が『鬼』だと知ったところで、彼女の中でそのヒエラルキーが崩れることはない。

だけど……。


「……舐められたものね。貴女がいつ頃『鬼』として目覚めたのかは知らないけど、私は『鬼』の力を使うことに関しては貴女よりも上手よ?

……赤月美桜がいつの間にか転入生として扱われていたのは、

一体誰のチカラなのかしらね?

私は彼女を『肉』として肥えさせるために、

クラスメイトだと皆に認識させてそばに置いていたのよ」


私の言葉を聞いてハッとする深紅ちゃん。

殺すことでしか人の存在を書き換えられない深紅ちゃんからすれば、

自由自在に認識を書き換えられる『鬼』が存在するということは

目から鱗な情報だろう。


彼女が最近『鬼』として目覚めたらしいことを私は知っている。

新田くんが美桜ちゃんに食べられた翌日、深紅ちゃんは新田くんのことを認識できていなかったからだ。


『は?誰それ?そんな奴ウチの学校に居ないっしょ?』


あの時の反応が演技でないのだとしたら……。

深紅ちゃんが『鬼』の力に目覚めたのはごく最近……。ここ2週間の間ということになる。美桜ちゃんによって歪められた諸々の記憶を取り戻したのは、『鬼』と化した以降なのだろう。


だったら、いくらでもハッタリが通じるはずだ。

彼女は自分の力について何も知らないのだと思う。

『鬼』についての豊富な知識を持っている美桜ちゃんの傍に居た私よりも。


「それに、私が貴女に倒されたとしても、

私には『鬼』のお友達が他に何人も居る。

……私が急に消えたと知ったら、彼らが黙っていないわよ?」


ハッタリにハッタリを重ねる。

こんなに嘘をつくのが上手かっただなんて、自分でも驚きだ。


段々、額に汗を滲ませ始めた深紅ちゃんの顔を見て、ちょっと可愛そうだという気持ちが湧いてしまったけど、今彼女に優しい言葉をかけてあげるわけにはいかない。


私はなんとしても、彼女の『巣』にたどり着かなければいけないんだ。

彼女に捕らわれた美桜ちゃんたいせつなおともだちを助け出すために。



「ねえ深紅ちゃん、どうする?人の認識を自在に操る私の力なら、深紅ちゃんに食べられた人のことを皆に思い出して貰う事だって出来るのよ?

ケーサツの人たちに深紅ちゃんのこと、追い回してもらおうか?指名手配でもされたら、いくら『鬼』の貴女でも易々とは人間を喰らえなくなるでしょう?

それとも、私のお友達たちに躾をしてもらおうかしら?彼らは私よりもずっと残酷だもの。きっと、い~っぱい酷いことしてもらえるわよ?」

「……分かった。赤月美桜をアンタに返してあげる」



渋々条件を飲んだ深紅ちゃんに『巣』へと案内してもらうよう約束させて、私は今こうしてラブホテルの前に立っている。



『売り物件 立ち入り禁止』

とデカデカ書かれたプレートを無視して、

深紅ちゃんはガラス張りの自動ドアを強引にこじ開けた。

停電時に困らなくて済むよう、

電源が落ちている場合にはドアロックの外れるタイプの自動ドアだ。


ドアの先にはエレベーターがあった。

だけどそこには稼働中であることを示すランプが表示されていない。

さっきの自動ドアといい、この建物全体の主電源が落とされているのだろう。


「この建物さ、2年前に持ち主が手離したとかで、今は使われてないんだ。

だから変な奴らのサカリバになってて、時々乱パとかやってる」

「乱……パ?」

「乱交パーティってこと。ここで隠れてクスリキメながらヤッたりすんの。

ベッドも沢山あるし」

「ク、クスリっ!?」


深紅ちゃんの放った言葉に思わず絶句した私だったけど、

そんなことで一々動揺する素振りなんて見せるわけにはいかない。

なにせ今の私は、人知の及ばぬ力を身につけたバケモノ―――。

……という設定になっているのだ。

すぐに余裕の表情を取りつくろい、平然とした表情を浮かべた。


―――やっぱり、そういう危ない世界にも関わってたんだね、深紅ちゃん。

そんな道に進まなきゃいけないだけの理由が、この子にはあったんだろうか?

中学時代のある時期を境に、この子の雰囲気はガラリと変わった。

きっとあの時期すでに、そんな危ない遊びを誰かから吹き込まれていたに違いない。


当時の彼女になにがあったのか、私は何も知らないまま、疎遠になってしまった。

もしかしたら、私が力になれることだってあったかもしれないのに。

そんな道に進まないで居られるように、

悩みを分かち合うことも出来たかもしれないのに。


"もしも"を考え出すと、キリがなかった。

心を鬼にしたはずなのに、

その意思までもが揺らいでしまいそうになる。

―――いけない。私の、悪いクセだ。

美桜ちゃんを助け出すまでは、彼女に情けを掛けるわけにはいかない。


エレベーターを避け、非常階段を上りきった先で、

深紅ちゃんが防火扉を押し開ける。

扉の向こうには、雪国と見間違うほどの真っ白な世界があった。


「ようこそ。ここがアタシの『巣』の中だよ」


元々はこのホテルのエントランスだったんだろう。

広々とした間取りの玄関ホール。天上にはシャンデリアが備え付けられている。

まるで、『豪華なお屋敷』といった風体だ。

部屋の一角には私の倍の身長を誇る四角いモニターのようなモノがあって、その横には受付と思わしきカウンターテーブルが備え付けられていた。


……というのは全部、私の想像だ。

実際のこの部屋は、その内装の全てが白い糸によって覆われており、

どこに何があるのかハッキリとは分からない。

シャンデリアもモニターもカウンターテーブルも、

それっぽいシルエットから、私が連想した光景でしかなかった。


部屋の真ん中には、

人間が一人、すっぽりと入ってしまえる位の大きさの白い繭が5つある。

―――白い繭が、5つ。


つまり、これまでの4人の失踪者と美桜ちゃんを足した数だ……!


「……あ、赤月美桜はどこに居るの?」


私の質問を受けた深紅ちゃんが、右端の1つの繭を指差した。

あの中に、美桜ちゃんが捉えられているの……?

くり貫かれた繭の一部分から、中に入っている人の顔を見られそうなことに気づいた私は、恐る恐る繭の傍へと近寄った。


「うぅ……ああああああああああああああ!!!!」


繭の群れへ私が近づこうとした瞬間、

耳をつんざくような甲高い悲鳴が部屋中を襲った。

悲鳴はたぶん、繭の一つから聞こえてきた……と思う。

一体、あの繭の中で何が行われているっていうの……?


「……今のはいっしーの悲鳴。こうやって獲物を苦しめて苦しめて泣き叫ぶまで苦しめてから食べるとマジ美味しいの。

そんなのアタシ、『鬼』になってから初めて知ったよ」


笑顔でそう語る深紅ちゃんを見て、私は制服の下で鳥肌が立つのを感じた。


『『鬼』には目を付けた人間エサのことを

自分好みの命に『調理』する習性があるのよ』


美桜ちゃんは以前、そんなことを言っていたはずだ。

―――獲物を苦しめて苦しめて泣き叫ぶまで苦しめること。

それが、彼女の『調理』方法だってこと……!?。


だとすれば美桜ちゃんも、あの繭の中で苦しめられているということになる。

そう思うと居てもたっても居られなくて、窮屈そうな繭から早く開放してあげたくて、私は深紅ちゃんが指し示した繭に駆け寄った。


「必死な顔……。そんなにあの女のことが大事なワケ?」

「えっ……?」


深紅ちゃんがぼそぼそと呟いた言葉が気になって、

繭に駆け寄りながら、私は後ろを振り向いた。

その瞬間、私は脚をもつれさせてしまって、盛大に転げてしまう。


「うぅ……あいたた……何もこんな時にドジ踏まなくてもいいのに……」

すぐに立ち上がろうとした私は、

何かが引っかかっているような感触を覚えて、足元に視線を向けた。

私の足には今、糸が巻き付いている。その糸を辿った先には、深紅ちゃんが居る。

糸は深紅ちゃんの手のひらから伸びて、私の足に巻きついていた。


「……な、なんのつもりかしら?私に手を出せば、

貴女もタダでは済まないと言ったでしょう?」


困惑と恐怖を無理やり押さえつけて、私は今までの人生で一度もしたこと無いような威圧の表情で深紅ちゃんをにらめ付ける。

無表情の深紅ちゃんは私の足を糸で掴んだままゆっくりと近づいてきて、

2発目、3発目と、新たな糸を連続で発射して私の身体を白濁に染めていく。


「わっ、わっ、何をするの!?いい加減にしないと、本当にどうなっても……」

「どうなっても、いいよ」


え……?

その一言に、私の頭は真っ白になった。


「どうなってもいい。ももちーのことどうにか出来るなら。

アタシはもうどうなってもいい」


ついに私の眼前まで迫ってきた深紅ちゃんが、私の顎を持ち上げる。

なんで?なんで私は今、深紅ちゃんに攻撃されてるの?

私をどうにか出来るならどうなっても良い、ってどういう意味?


良くわかんないけど、

これはとても不味い状況だ。命を失いかねないほど。危険な状況。

……それなのに。

幼馴染が久々に私のあだ名を呼んでくれたことが、ちょっと嬉しい。

そんな場違いな感情が一瞬だけ私の胸をよぎった。


「アタシね?ずっとももちーのことが欲しかった。

昔からずっと、ももちーのことが好きだった」


そう言って深紅ちゃんは、私の唇を断りも無く奪った。

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