第6話 うつくしき狂気~歪んだ運命の赤い糸~(1)

 真っ白な部屋の中に、4つのまゆ聳えそびえ立っていた。

そのうち1つの繭は脱皮を終えたかいこの繭のように、一部にぽかりと穴が開いていて、中が空洞になっている。


部屋に帰ってきた主―――蘇芳村深紅アラクネは、

新たに持ち込んだ繭を地面に置いた。

繭の重みが部屋を覆っている白い糸たちに伝わり、ささやかな協奏曲を奏でた。


「私を、どうするつもり?」


新しく置かれた繭の中から、女が声を発する。

苦痛に喘ぐ女の顔をよく見るために顔の部分だけ切り抜かれた繭の中から、

美桜が抗議の声を上げた。


「イチイチ教えてあげないと分かんないワケ?

アンタをどうするつもりかなんて

この部屋の"センパイ"たちを見てれば分かるでしょ?」


蜘蛛の胴体だった下半身を人間の両脚に変異させ、

瞳と髪から赤色が抜けた―――元の人間の姿に戻った深紅が、

まだ中身の入っている3つの繭を顎で差した。


「あぁ……ううう……あああああああああーーーーー!!!」

「やだぁぁ!!帰して!!お外に出してよぉぉ!!!いやああああああああ!!」

「もっと頂戴……?もっとぉ!!!あは、あはははははははは!!!!」


3つの繭から聞こえてくるのは、すでに攫われた女たちの悲鳴。

深紅は自身の毒液を試すため、様々な種類の毒を、攫った女達に注入していた。


佐藤こずえに使ったのは即死の毒。

流し込めば相手を即座に殺せてしまう、猛毒。

高村葉月に使ったのは麻痺毒。

麻痺させたい部位を念じるだけでその部位を麻痺させることが出来る。

―――美桜に使ったのもこの毒で、

希釈すれば相手の意識を奪う程度にとどめることが出来る。


宮前すず子に使ったのは麻薬の毒。

危険ドラッグのような依存性のある毒で、注入されると脳を変形させるほどの異常な快楽を得ることが出来る。―――だがそれによって深紅の大好きな"苦痛の表情”を浮かべなくなってしまったすず子に、深紅は若干飽きてしまっている。

吉田景子と石原あずさに使ったのは全身に痛みを走らせ続ける毒だ。


「ね?素敵でしょ?アタシのお城……。

アンタは、どんな毒がいい?どんな毒で、いじめて欲しい?」

「全然素敵なんかじゃないわ……こんな酷いことをして一体何になるというの?

今すぐ皆を解放しなさい!」


命を握られているこの状況で、

なおも凛とした表情を崩さない美桜の姿に、深紅は苛立ちを覚えた。

―――強い女。この状況で減らず口を叩けるなんて。……イライラ、する。


憤慨する深紅の掌から、二束の糸が飛び出した。

その内の一束の糸は鋭利な刃物の如く研ぎ澄まされており、

鋼鉄すら切り裂けるほど硬く鋭く精製された斬糸ざんしだ。


斬糸が伸び、宮前すず子の繭を切り裂いた。身体の支えを失って地に伏せようとしたすず子の身体を、遅れて飛んできたもう一束の糸が巻きついて捕らえる。

すず子を捕らえた柔らかい糸は、深紅の手元へとすずこの身体を手繰り寄せた。


「ねえ赤月さん……あんまりアタシのこと怒らせないほうがいいよ?

……じゃないと、すずセンパイみたいになっちゃうから」


そう言って深紅は、すず子の首に喰らいつき、肉を噛み千切った。


「ひっ……!」


美桜はすず子の肉に喰らいついた深紅を見て、小さな悲鳴を上げた。

人の形をした者が人を喰らっている。

あまりにも残酷すぎるその光景を前に、美桜の目に恐怖が張り付く。

そんな美桜の怯えた表情を見た深紅の胸の中に、嗜虐の悦びが満ちた。


腹が満たされるまで、ひとしきりすず子の身体を貪った深紅は、

首半分と右肩、右の胸部を失ったすず子の遺体を、

白い糸で覆われた床に放り投げる。

遺体から染み出した血だまりが、

床に張り巡らされた糸にべったりと張り付いて白を赤に染めあげた。


妖しい笑みを浮かべながら、深紅が美桜の繭に接近する。

美桜の顔からは先ほどまでの凛とした表情がすっかり失せてしまっていた。

深紅は人差し指を自らの唇の横に当てて頬肉を持ち上げ、

その鋭い犬歯を美桜に見せ付ける。


「アタシの毒で、アンタも狂わせて上げる」

「や、やめて……こないで……いやああああ!!!」


白い糸に包まれた深紅の『巣』の中に、美しい女の悲鳴が響き渡る。

悲鳴は糸のクッションに阻まれ、決して『巣』の外に漏れることはなかった。




 昨日の夜、美桜ちゃんが私の前から忽然と姿を消した。


プラットホーム脇のベンチに座って待ってると言っていた美桜ちゃん。それが、私が最後に見た美桜ちゃんの姿だ。

お手洗いから戻った私は美桜ちゃんの姿が見えなくなったことにショックを受け、駅中を探し回って美桜ちゃんの姿を求めた。


「美桜ちゃん!美桜ちゃん!どこに居るの!?返事してよぉ!!」


会社帰りのサラリーマンやOL.駅員さんまでもが私の事を怪訝な目つきで見ていたけど、私は叫ぶのをやめなかった。

私を守ってくれると約束してくれた美桜ちゃん。

傍に居てくれるといってくれた美桜ちゃん。

……美桜ちゃんが、私を置いていったなんて信じたくない。

きっと、何かあったに違いない。


首から提げたスクールリングを強く握り締める。

そうすればどこかに居るはずの美桜ちゃんが、私の存在を感じてくれる気がした。



今朝はいつも通り、早い時刻に教室の前へとやってきた。

スマホの画面を見ると、時刻は7時15分を差している。

美桜ちゃんのせいで私は随分と早起きにさせられてしまった。

一人ぼっちだった頃は、学校なんかに早く来たって何の意味もないくらいに思ってたような気がするのに。


いつもなら、

私より早く登校している美桜ちゃんによって解錠されているはずの1年C組の扉。

今、私の目の前にはカギが掛かったままの扉がそびえ立っている。


職員室で鍵を貰い、誰もいない教室の中に入った私は、

美桜ちゃんの席に座って鼻歌を歌った。

いつもこうして鼻歌を歌ったり本を読んだりして私を待っていた美桜ちゃん。

……私を待ってる間、いつもどんな気持ちだったんだろう?

私に会うのを、少しでも楽しみにしていてくれただろうか?

会いたいと思っていてくれただろうか?

私が今、彼女に会いたいと思っているみたいに。



「小泉」「ハイ」「後藤」「ハイ」「桜内」「ハイ」「東雲」「……はい」


朝のHRが始まり、担任の佐々木先生が生徒達の点呼を取り始める。

機械的に生徒の名前を読み上げていく先生は、やがて最後の生徒の名を呼んだ。


「赤月」「……」

「赤月?居ないのか?」


返事なんて当然あるわけがない。

美桜ちゃんは、今日学校に来ていないのだから。


「ウソだろ……」


先生の顔が真っ青になっていく。明らかに動揺しているようだった。

せきを切ったように、クラス中がガヤガヤと騒がしくなっていく。


「え……マジ?」

「赤月さん、無断欠席なワケ?」

「今の時期にそれってヤバくない?」

「美人だもんね、彼女」

「まさかとは思ってたけどマジかよ……」


当然のことだ。

この時期にクラスの中でも飛び切りの美人である美桜ちゃんが居なくなれば、

皆が想像することは一つしかない。

『連日の美女失踪事件に関与してしまった』……皆きっとそう思ってる。


「お前ら、静かにしろ!まだ決まったワケじゃないだろ?

……なあ東雲、お前のほうには何か連絡とか来てないのか?」

「えっ?……あっ、いえ、何も……」


急に名前を呼ばれて驚きながらも、私は佐々木先生の質問に答えた。

どうやら私はすっかり、美桜ちゃんと仲がいい生徒だと認識されているらしい。

……あれだけ一緒に居れば、当然か。

こんな状況じゃ無ければ、そのことを嬉しがれたかも知れないけど、

私も先生と一緒で、美桜ちゃんが居なくて不安だから素直に喜べない。


美桜ちゃんのことだ。

あんなに強い力を持った人が『もう一人の鬼』に簡単にやられてしまうわけがない。

そうは思ってるけどこうして突然行方をくらました以上、

昨日の夜に何かがあったことには変わりはないんだろう。

他の皆が思ってるほど彼女がか弱い女の子じゃないことは分かってる。だけど、相手も同じく強い力を持った『鬼』なのだとしたら、何があってもおかしくは無い。


不安は不安だけど、皆がまだ美桜ちゃんのことを覚えていたことで、

少しだけ安心した私が居る。

まだ、美桜ちゃんが生きてくれているという何よりの証拠だ。

だけど他の失踪者と同じように、

どこかに監禁されて『調理』されている可能性は充分に高い。

もしそうだとしたら、私はどうしたらいいだろう?

美桜ちゃんに、何をしてあげられるだろう?



 ずっと、引っかかってることがある。

昨日のお昼、深紅ちゃんに責められて涙を流したあの時。

怖くて悲しくて、心が痛くて苦しくて、

それでいっぱいいっぱいだった。何かを考える余裕なんてなかった。

何も言い返せずに涙を流すしか出来なかった。


でも、時間が経ってよくよく思い返してみると、あの時の深紅ちゃんは何かとても気になることを言っていたような気がする。

私の頭の隅には、あのとき覚えた違和感がずっと残ったままだ。


ようやく訪れた昼休み。

食堂に居る生徒達は皆、肩の力を抜いてにぎやかしく会話をしている。

色んな学年の人たちが集まっているけど皆は仲のいいお友達と一緒になっていて、

隅っこの席でレディースセットを食べている私だけが一人ぼっちだった。


美桜ちゃんと初めてランチを共にしたとき、彼女が頼んでいたレディースセット。

小さなロールパンが二つと、ミネストローネ。

トマト料理が好きだと言っていた彼女の笑顔を思い出しながら、

私はスプーンでそのスープを掬う。

そうして俯いたままご飯を食べていた私の前の席に、

ゴトリ、とお盆を置かれる。誰かが椅子を引く気配がした。


―――きっと、来ると思っていたよ。

美桜ちゃんのことを苦手としているのか、

私が美桜ちゃんと一緒に居るとき、貴女は近寄って来なかった。

だけど私が美桜ちゃんと一緒に居ないとき、貴女は決まって私をイジメに来る。

顔を見上げると、そこには深紅ちゃんが座っていた。


「今日はあのスカした女は居ないワケ?……ってユーカイされちゃったんだっけ?

あー!ゴメンゴメン~!不謹慎だったね~ぎゃははははは!!!」

「……」


いつもなら、いつもの私ならこうして深紅ちゃんに絡まれたとき、怖くて何も言えなくなるんだけど、今日はそういうわけには行かない。

私はこの子に、聞きたいことがある。


「あの女、今頃変態ロリコンのキモいユーカイマにヤられまくってるんじゃない?

無理やり抑えつけられてさ~」

「やめて!……私のお友達を侮辱しないで」


語気を荒げて睨みつけた私に、深紅ちゃんは豆鉄砲を喰らったような顔で驚いた。

私がこうして彼女に反撃するのは初めてのことだ。よっぽど予想外だったんだろう。

怯んだ深紅ちゃんに、持ち直す隙を与えないように、私は言葉を続ける。


「ねえ蘇芳村さん。……いいえ、深紅ちゃん。

深紅ちゃんは昨日、私に言った台詞、覚えてるかな?」

「は、はぁっ!?台詞?

……あー、アンタがチューガクの頃に変態ロリコン教師とヤリまくってたって話?」

「『アタシが会う予定入れてあげたリューとそのバンド仲間』。

……深紅ちゃんは確かにそう言ってたよね?」


深紅ちゃんの煽りを一切無視して、私は言葉を続けた。

怖い。こんな風に口喧嘩をしたりすることも、意図的に相手を傷つけて追い詰めてしまうような言葉を吐くことも。私は怖くて仕方が無い。

でも、もし美桜ちゃんが彼女の『巣』の中に捕らえられているのだとしたら、

私はなんとかして助けてあげたい。

その為なら私は……お友達を助けるためなら私は……。


心を、鬼に出来る。

弱くて甘ちゃんの私を捨てられる。優しい人を辞められる。


「そ、それが!?アンタがあの夜、リューたちと遊んだのは本当のことで……」

「新田くん達は、もうこの世に居ないんだよ?


悪い『鬼』に食べられた人は、皆存在を消されて、

神隠しに遭ったみたいになっちゃう。

深紅ちゃんだって知ってるでしょ?

貴女に食べられた佐藤さんと高村さんと宮前先輩がどうなったか。

もう誰も、3人のことなんて覚えてない。

……そんな人たち、最初から居なかったみたいに」


深紅ちゃんの顔が段々青ざめていく。

―――こいつは、アタシの正体を知っている。誘拐事件の犯人を知っている。

彼女は恐らくそう思っていることだろう。

そして、確信を持って自分を追い詰めてくる私に恐怖の感情を抱いているはずだ。


「食べられた人のことを覚えていられるのは、『鬼』だけなんだよ?深紅ちゃん。

……私は覚えてる。佐藤こずえ。高村葉月。宮前すず子。

皆は覚えていないけど、貴女が食べた美女たちのことを、私は覚えてる」

「……なんで、何でアンタがそんなこと知ってるワケ?

……あ、あんた、一体何者なのよ」


自分の語る情報を意図的に小出しにして、深紅ちゃんを惑わせる。

本当は、『鬼』に食べられた人のことを覚えていられるのは『鬼』だけじゃない。私のように、彼女達の『妖力チカラ』に対抗する『霊力そしつ』を持った人間だって覚えていられる。

でも、あえてそのことを口にしなかった。

そのほうが、彼女の『巣』に導いてもらえるようにするには都合がいい。


「ふふ。愛らしい子。……これだけ語れば、もう分かるでしょう?」


美桜ちゃんの喋り方を真似て、美桜ちゃんの笑い方を真似て。

私は必死に魔性の女を演じる。


「私が、貴女の同類だからよ」


そう言って私は、メチャクチャ頑張って妖艶な笑みを作った。

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