第3話 狂気のイントロダクション (2)


「赤月さん、ちょー歌上手いんだね。聴いててマジしびれた。プロになれるんじゃない?」


カタカタ、コトコトと、静かに揺れながら走る電車の中で少女が言った。

長椅子の上に大人びた黒髪の少女と派手な外見をした少女が二人、横並びに座って談笑に耽っている。―――美桜と深紅だ。



 カラオケを終えた帰り際、深紅は他のクラスメイトに「お疲れ~!」と言って手を振り、駅の中に入っていった。

人ごみを掻き分け、改札機にICカードを掲げ、自動改札の扉をくぐる。


改札を抜けると、そこには美桜が居た。

さきほど駅前で手を振って別れたはずの美桜の姿を見た深紅は、奇術に騙された観客のように、目を見開いて驚いた。


人ごみの中に在っても美桜の美貌は埋もれることなく、一際の存在感を放っている。

まるで無数の星の中で輝き続ける、一等星のように。


「あらら?赤月さんも電車なワケ?」

「そうよ」

「えー?先に言ってよー!てっきり駅前で別れるモノだと思ってたから手ぇ振ったりしちゃったじゃん!

赤月さんの家ってどっち方面?」

「私の家?……うふふ。どこだと思う?

たぶん、貴女の家から近い所にあると思うわ」

「えー!?絶対ないって!アタシ、清衣きよいから来てるんだよ?さすがに遠すぎるっしょ?」

「……あら、奇遇ね。私も清衣の方から来たの」

「うっそ……マジで?」


巳隠学園みかくしがくえん陰泣おんなき市の中心―――真華津上まがつかみ中央区にある学校で、深紅やももかの住む清衣きよい市は地図上では陰泣おんなき市よりも南側に位置する。

距離にして約30Kmは離れており、電車で一時間弱はかかる地域だった。

清衣に住む中学生たちはその大半が地元の学校に進学する。

ももかや深紅のように、清衣きよいから陰泣おんなきの学校にまで毎日通う者は稀だった。


「奇遇にもほどがあるっしょ!えっ?なんでなんで?なんで赤月さん、清衣から来てるワケ!?」


若干興奮気味に語りかける深紅は、目の前で清衣行きの電車の扉が開いたことに気づいていない。

車両に乗るよう深紅に手で促した美桜は、電車の中の長椅子に二人分の空席を見つけるなりそこに座り、質問に答えた。


「私の親の職場が陰泣市なの。つい最近転勤してきてね。それで私も巳隠学園に通うことになったから市内の物件を探していたんだけど中々いい家が見つからなくて……。

それで、一時的に清衣にある祖父母の家に厄介になっているのよ」

「へえ~そうなんだ」


流暢に答えた美桜だったが、もちろん、彼女の言っていることは全てデタラメだ。

美桜の家―――赤月邸は真華津上まがつかみ北区の外れにあって、南側にある清衣方面とは正反対に位置する。

その上、天涯孤独のバケモノである美桜には、親も祖父母もなかった。


「蘇芳村さんは、どうしてわざわざ清衣から?」


美桜から質問返しをされた深紅は目を見開き、視線を泳がせる。

美桜の嗅覚はその時、深紅の心に焦りが生じるのを察知していた。


「ほ、ほら、巳隠の制服って可愛くない?アタシが小さい頃さ、近所に住んでたお嬢様が巳隠に通っててさ。それで、昔から憧れてたんだよね。

あと、陰泣って清衣より都会だしさ。なんか、楽しそうじゃん?実際いま楽しいし!」


早口でまくし立てる深紅を見ながら、面接みたいだ、と美桜は思った。

面接で志望動機を聞かれたときみたいに、予め用意してあった動機を答えているような、不自然な整然さを美桜は感じていた。


―――きっと、本当の動機は別にある。


そう判断した美桜は、『鬼の嗅覚』を深紅の胸中にフォーカスし、その真意を探る。

特に意識しない限りは、『"穢れた人間"が今どんな欲望を抱いているのか』、といった程度のことしか察知することの出来ない『鬼の嗅覚』だが、美桜が集中力を凝らし、一人の人間相手にその感覚を集約した場合、話は別だ。


負の感情を軸に、相手の心の奥深くまでを嗅ぎ分け、

その強欲を、

その嫉妬を、

その憤怒を、

その色欲を、

負の感情の全てを丸裸にして暴き出し、それらを抱いた記憶や、それらを抱くに当たった経緯さえも、美桜の脳内に全て映し出してしまう。

相手が穢れた人間であればあるほど、『嗅覚』が通じやすい。

そういう意味では、蘇芳村深紅すおむらみくは美桜のチカラの格好の餌食だった。


意識を研ぎ澄ませた美桜の脳内に、深紅の心の風景が映し出される。






小さな頃の記憶。近所のお嬢様。隣に居る幼馴染が、通学途中のお嬢様を見て「可愛い!」と囃し立てる。

―――アタシも、巳隠の制服を着ればこの子に可愛いって言ってもらえるかな?

いいな。あのお姉さん。羨ましいな。

香ばしい嫉妬の香りと、苦々しい恋慕の臭い。


風に靡くセーラー服。屋上の冷たい風。独りきり。

フェンス越しに階下を見下ろす。2階の美術室の様子が窓越しに見えて、中で幼馴染が水彩画を描いている。

―――綺麗な横顔。ずっと見ていたい。そんなことをあの子に伝えたら、アタシはきっと、彼女に嫌われてしまう。

万が一想いが実ったとして、他の皆はアタシたちのことを見てどう思うだろう?

……息苦しくて、たまらない。

誰か。誰か。

……いっそ誰か、アタシを穢して。

そうすればきっと、アタシはあの子を忘れられるはずだ……。

食欲をそそる息苦しさの香りと、焼けたゴムのような、秘めたる想いの臭い。


教師が落とした印刷紙の数々。同級生たちの進路希望の用紙。

散らばった紙束の中に見つけた、幼馴染の名前。

『東雲ももか』の名前から、視線を動かせない。

第一志望の欄に書かれているのは、『巳隠学園』の名前。

―――あの子はきっと、この街を去りたいんだ。

自分を傷つけたこの土地から去って、アタシだけ置いてけぼりにする気なんだ。

許せない。ユルセナイ。せっかくアタシが作ってあげた、聖なるアンタを捨てる気か?

行かないで。行かないでよ。アタシはまだ、アンタのこと嫌いになれてない。

……アンタがアタシを嫌ってくれるまで、アタシはアンタを離さない。


今すぐむしゃぶりつきたくなるような、嫉妬と息苦しさと独占欲の香り。

染み付いて取れなくなりそうなほど強烈な、恋慕と秘恋と狂愛の臭い。


二つのニオイが混ざって、極上のハーモニーを醸し出す。

甘い甘いバニラアイスを作るために、

苦い苦いバニラエッセンスを混ぜるかのように、

甘いものの隠し味には、苦味が混じっていることもある。

―――甘い愛の裏側にはいつも、苦い執着が付きまとう。


「ふふふ。あぁっははははははは!!!」

「!?……どうしたの?赤月さん?アタシ、何か変なこと言ったっけ?」

「い、いえ、そうじゃないの、ごめん、なさいね。……個人的に面白いことが頭に浮かんだものだから……ふふ、ふふふふ」

「いきなり笑ったりするから驚いたじゃん!狂ったのかと思ったよ、赤月さんが」

「フー、フー、……ふっふふ、ふ。ごめんなさい。ごめんなさいね……くふふ」

「……なんか、ヘンジンだね。赤月さんって……ごめん、ちょっと引いたわ……」


目の前でいきなり笑い出した美桜に白い目を向ける深紅。

しかし、美桜からすれば仕方の無いことだ。

無理もない。こんなに面白い獲物に会えたのだから。


―――面白い。面白い。この女は面白すぎる。

あの少女に付きまとってこの学校までやってきたのは正解だった。

これだから人食いは辞められない。

この女ならきっと、私の舌を満足させてくれることだろう。

この女には、私に『調理』されるだけの価値がある。


蘇芳村深紅。貴女に力をあげる。

貴女がずっと、『理性』という名の毒りんごで眠らせ続けてきた欲望お姫さまを、呼び覚ましてあげる。

だからもっと、私の事を楽しませて頂戴?

そしたら貴女を私への、"穢れた供物"にしてあげる。




不意に、深紅の顎が、美桜の白く細い手によって持ち上げられた。

何事かと思い、抗議の声をあげようとする深紅だったが、美桜の唇が覆いかぶさったことによって、言葉を発することなど出来なかった。


「んん……!?んん!!」


美桜の柔らかな唇の感触に、一瞬脳が蕩けそうなほどの官能を覚えた深紅だったが、即座に理性を取り戻して、美桜の身体を突き飛ばそうとした……が、ビクともしなかった美桜に、ものすごい力で押さえつけられ、

深紅の身体は長椅子の上に押し倒され、寝かされた。


「ンン……んんーっ!」


唇を塞がれたままの深紅が、周囲の客たちに手を伸ばし、助けを求める。

少女が二人、公衆の面前で犯罪的な行為を行っているというのに、他の乗客たちは二人をまるっきり無視していた。

まるで、"二人の姿など見えていない"かのように。


―――なんだこいつ。なんでいきなりアタシにキスしてくるわけ?

逃げたい。今すぐ逃げたいのに、こんなバカヂカラで押さえつけられてたら逃げらんない。

じゃあ、仕方ないよね。仕方ないんだよね?

だって、逃げられないんだもんね。

だから今、こいつのキスに溺れているのは、仕方の無い、ことだ。


拒絶することを諦めた深紅は身体を弛緩させ、美桜のなすがままと為った。

唇を犯されながら、『ナニカ』が身体の中に流し込まれるような感覚を、

深紅は覚えていた。


無理やりに押し倒されて、どのくらいの時間が経ったのか、深紅には正確なことなど一切分からなかった。

ただ、そのキスが永遠に続くんじゃないかと錯覚しそうになったことだけが、

深紅にとっての唯一つの真実だった。

唇を離し、身体を起こした美桜を見上げる。

見上げた美女の顔は紅潮しており、"お前のカラダを征服してやったぞ"と言わんばかりの優越に満ちた表情で、深紅を見下ろしていた。


「……なんで、こんなことするわけ?」


美桜を非難しようと発した言葉が、自分でも驚くほど甘い声になっているのに気づいた深紅は困惑する。

満更でもないのだ。目の前の綺麗な女に無理やりキスをされた深紅は、

そのことをよろこんでしまっていた。

ずっと自分で否定し続けてきた性癖を突きつけられたような気分になって、深紅は自己嫌悪を覚える、そんな彼女に、美桜が言い放った。


「……貴女みたいなヒトが、大好きだからよ」

―――貴女みたいな、穢れた人が。


カタカタ。コトコト。

夕日の中を変わらず走り続け、静かに揺れ続ける電車の中で、

深紅の体内に植えつけられた『種子』が、彼女の運命を狂わせようとしていた。

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