第3話 狂気のイントロダクション (1)

 耳障りなラブソングが、流れている。

最近世に出たばかりの流行の歌。その歌詞を情感たっぷりに歌い上げ、ビブラートを効かせる男子生徒の姿を見ながら、

―――この男の名前は何だったかしら?と、美桜は疑問に思っていた。


美味しそうなクズか、不味そうな善人か、

そのどちらかにしか興味を持てない美桜にとって、その男子はあまりにも中途半端だった。


女の前で見栄を張ってあえて難易度の高い歌を歌い上げる小賢しさも、美桜のグラスが空になってることに気づくなり、

「俺もちょうど飲み物おかわりしたかったし、なんなら赤月さんのも注いで来てあげよっか?」

などと言って気を使ってくれる下心ありきの優しさも、『美味そう』や『不味そう』とは程遠い。


「なんかつっちーさ、いつもより張り切っちゃってない?赤月さんに気でもあるのかな?」


つっちー、と呼ばれた男が部屋を出て行ったのを見計らって、深紅がそう言った。

その言葉に呼応するように、他の女子たちは「え~!」「キャー!」などと黄色い声を上げる。


美桜はその空気を乱さないよう、「もぅ!やめてってば!」などと言って満更でもなさそうな顔をして微笑む。

それらは全て、詐欺師である美桜なりの、"人間らしさ"の演出だった。


深紅が男を"つっちー"と呼んだおかげで、美桜はその男の名前をぼんやりと思い出していた。

―――あの男は確か、土田とか言う名前の人。カラオケルームに入る前、蘇芳村さんが紹介してくれたときにそんな名前を言っていたはずだわ。


土田淳也、佐藤こずえ、石原あずさ。後藤みゆき。

そして……福山雅治ふくやままさはる

美桜と深紅を含めて、男が2人、女が5人のメンバーで今、カラオケに来ているのだった。


美桜が頭の中で自分と深紅以外の5人の名を反芻はんすうしているうちに、二つのグラスを持った土田が部屋に戻ってきた。

差し出された片方のグラスに、白い指をそっと這わせて受け取りながら、


「ありがとう。土田くんって優しいのね。……さっきの歌、お上手だったわよ」


と美桜が言う。

男は「そ、そんなことないさ!普通だよ!普通!」と言って頭を掻き、美桜が目を離した隙に小さくガッツポーズをした。


実はこの男の名前は土田ではなく土屋だったが、美人転入生に褒められ舞い上がっていた土屋は、特に名前間違いを訂正するような真似をしなかった。

どうでも良すぎて名前を覚えられていないということを知ったら、彼は一体何を思うのだろうか?


美桜への好意よくぼうを加速させていく土屋のことを横目で見ていた美桜は、―――この男、さっきよりも少しは美味しそうになったわね。

などと思いながら、その男に対して初めての食欲さついを抱く。

好意を殺意で返される哀れな男の姿が、そこにはあった。


「あんちゃ~ん。ギター貸してくれない?」


店員を呼び出し、セクシーな低音ボイスでそう告げた福山雅治ふくやま まさはる

彼は店員が持ってきたギターを構え、部屋の奥に備えてあったスタンドマイクの前に椅子を置き、腰を下ろした。

そして、マイクの位置を自分の座高に合わせ、「あー、あー」と声を発して音の反響具合を確かめる。

歌う前に丁寧なマイクチェックをするその慎重さは、流石は福山雅治ふくやままさはるといった様子だ。

このカラオケではどうやら、ギターの貸し出しサービスもやっているらしい。


「おっ!ましゃ弾き語りすんのか!」

「きゃ~!頑張れましゃ~!」


今から歌わんとする福山雅治に対し、クラスメイト達は黄色い声を上げた。

そして、福山雅治の歌唱が始まる。歌う曲は、『さ○ら坂』だった。


「君をずっと幸せに~♪ふんふんふんそっと歌うよ~♪」


ギターを弾きつつ、低音ボイスを響かせて曲を歌い上げる福山雅治の歌唱に、美桜以外の全員が聞き惚れていた。

部屋中がまるで、ライブ会場のような熱狂に包まれている。

これほど人気の御仁ならば、『ましゃロス』などという言葉が作られるのも無理はないことだろう。


やがて曲を終えた福山雅治に、拍手喝采が向けられた。


「やっぱましゃは歌上手いね~!」

「さっすが抱かれたいクラスメイトランキング第一位に上り詰めるだけある~!」

長崎じもとの家族も喜んでるぞ~!」


投げかけられる声援に「ありがと~う!」と手を振って応える福山雅治。

福山雅治の弾き語りによって場の空気は大いに盛り上がったが、その分ハードルが上がりきってしまっていて、この次に歌う者はとても歌いづらい。


念のために断っておくが、彼は某芸能人とは同姓同名なだけの全くの別人……、

つまりは、野生の福山雅治ふくやままさはるだ。


「次って誰が歌うんだっけ?」

「ましゃの次とか歌いづらくない?」


後藤と石原が前面のモニターを見ると、次に予約された曲名がデカデカと表示されている。


『Agape』。


モニターに表示された曲名を見て、聞き憶えがあるようなないような、不思議な感覚に捉われる一同。

だが、曲名の下に記された作詞作曲と歌手の名前を見て、一同は知恵の輪が解けたかような、はっきりとした表情を浮かべた。


『Marino』。

それは、陰泣おんなき市出身のシンガーソングライターの名前。

若くして凄惨な事件に巻き込まれ、夭折した悲劇の歌姫。

この町に住んでいてその名前を知らないものは少ない。


アルファベットで記されたその名前には、偶然にも『M』『i』『o』という3文字が隠されていた。


「次は……私ね」


挙手をしながらマイクを受け取った美桜に、部屋に居る全員が視線を向ける。

その部屋の誰もが心配そうな目つきで美桜を見ていた。


「赤月さん、大丈夫?ましゃの次じゃ歌いづらいでしょ?なんなら俺が代わりにネタ曲入れて笑われてこようか?」

「結構よ、土井つちいくん……ありがとね」


美桜はまたも名前間違いをしたが、美人にお礼を言われて満たされた土屋はまたも間違いを指摘しなかった。

それどころか彼は『土井つちいに改名しようかな……』などと思ってすら居るのだった。


「福山くん。ギター、貸してもらってもいいかしら?」

「え?いいけど……」


転入生が意外な提案をしてきたことに福山雅治は驚いた。


ギターを携えた美桜は、先ほどの福山雅治と同じく椅子に座り、

マイクの位置を合わせる。

そして長い足を組んだまま、弦の上に白い指を滑らせ、演奏を始めた。


その演奏は、

その歌声は、

まるで天上の女神が発する声のように透き通っていた。

聴くものを魅了し、その心を捉えて離さない、心地の良い天国のような音。

しかし、天国と呼ぶにはあまりに儚く、繊細な音楽。

きっと彼女の歌は、この世に長く止まってはいられない。あまりにも美しすぎて、この世の穢れた空気の中では存在できない。存在してはならないのだろう。

そんなことを、聴いた誰もが本能で感じ取ってしまうかのような、儚く繊細な音楽。

それでも。

もっと聴いていたい。ずっとこの音楽に浸っていたい。

そんな欲求を誘うほどに、美桜の音楽は魔性だった。


やがて美桜の演奏が終わる。

天国が終わり、この世という地獄が始まる。

聞き惚れていたクラスメイト達は皆、意識を取り戻し、美桜に喝采の拍手を送った。


―――音を奏でている時だけは、ただの人間に戻れたような……そんな気分になれる。

己に向けられた拍手の音を聞きながら、美桜はそんなことを思っていた。


福山雅治にギターを返し、元の席に着く美桜。

向かいの席にいる土屋が、「すっげえ……こんなに歌うまいとか思わなかった……」

などと言って尊敬の眼差しで美桜を見つめている。


そんな土屋の好意よくぼうを受けて、演奏中には全く感じなかった食欲さついが、自分の中に舞い戻ってくるのを美桜は感じていた。


バケモノ』の本能を抑えたままにしておくには、美桜の音楽は儚すぎた。

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