第2話 魔女のささやき (4)
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「東雲さん、今日早退したんだって?」
「なんか昼休みの帰りに階段から転げ落ちたらしいよ」
「えー!痛そう!」
「……でもそれって本当に転げ落ちただけかな?」
「あ~、あの子、結構遊んでるって噂だもんね。……恨みとか買ってそう」
HRも終わり、下校時刻が近づいていた。
生徒達は、時刻が来るのをまだかまだかと待ちながら、仲の良い者同士で集まって、雑談に耽っていた。
一部のグループの間では、今日の昼休み後に早退したという東雲ももかのことが話題に挙がっている。
クラスメイト達の噂話が耳に飛び込んでくるたび、美桜は悲痛な表情を浮かべた。
ももかを傷つけ、早退に追いやったのは紛れも無く彼女自身だ。
しかし美桜は、そのアカデミー賞ものの演技力によって、
『お手洗いに行っているから先に教室に戻ってて』と言われたほんの少しの間に、友人が事故にあって責任を感じている少女の役を演じきっていた。
「災難だったね。赤月さんも」
クラスメイトの一人が、赤月美桜に話しかける。
皆、口にこそ出さないが、直前までももかと一緒に昼食を摂っていた美桜に疑いの眼差しを向けていた。
今しがた、美桜に話しかけてきたクラスメイトもその口だ。気遣うような言葉を放ちながら、美桜の口から何かを引き出せないかという好奇を、瞳の中に孕んでいる。
美桜はそのことを、『鬼の嗅覚』で悟っていた。
美味しい肉を嗅ぎ分けるため……穢れた命を嗅ぎ分けるため。
彼女は人間の内面をある程度までは悟ることが出来る。
心の深い部分まではよほど集中を凝らさなければ嗅ぎ分けられないが、相手が今どんな欲望を抱いているのか、と言った程度なら、無意識にでも理解できた。
「こんなことになるくらいなら、東雲さんについていてあげれば良かった……」
目を潤ませて呟いた美桜。
その姿を見たクラスメイトの胸中に、罪悪感が走る。
美桜の演技は演技特有のうそ臭さを感じさせない程度に、迫真だった。
友人が傷ついたことに本気で心を痛めている……ように見える美桜に、クラスメイトもそれ以上は踏み込んで来れない。
鬼は産まれながらにして、人心を惑わすプロフェッショナルなのだ。
自らを偽って人を欺くことなど彼女にとっては息をするようなもの。
人を騙したことに愉悦を感じた美桜は、それを表情に全く出さないまま、心の中でだけ、そっとほくそ笑んだ。
「ほんっと、人騒がせだよね。アイツ。どうせ大した怪我もしてないだろうし、赤月さんもアイツの心配なんかしなくていいよ」
そう言い放ったのはクラスの中でも一際存在感を放っている蘇芳村深紅だ。
深紅の胸中には、噂の美人転入生を自分の傍に置きたいというしょうもない欲望が渦巻いている。そのことを、美桜はいとも容易く嗅ぎ分けた。
―――人とのつながりを、
頭の中で深紅のことを分析しながら、美桜は"責任感の強い優等生"の仮面を、一切外そうとはしない。
「でも……私が傍に居てあげれば……」
「もぉ~!赤月さんは優しすぎ!気にする必要なんてないんだってあんな女!アイツは日ごろの行いが悪いんだから、ちょっとくらい痛い目見たって自業自得だよ!」
深紅の心が、ももかへの敵意と、美桜の心を"モノ"にするための打算で染まる。
共通の敵を生み出す、というのは他人との仲を深める上での常套手段だ。
深紅は、ももかの悪口を言うことで美桜と仲良くなろうとしているようだった。
「赤月さんさぁ。東雲とはあんまり関わらないほうがいいよ。マジアイツ最低だから。
ちょっと可愛いからって調子に乗ってるんだよ。アイツ。アタシ、アイツと
アイツ、ほんっと男遊び酷くてさ。友達の好きな子盗ったりとか、同級生のカレシ寝取ったりとか、そんなことばっかりやってたんだよ?
そのくせ長続きしなくて男を取っ替えひっかえしててさ。もうやりたい放題!
噂じゃ援助交際までやってたんだって。信じられる?中学生でエンコーだよ?どんだけビッチなんだって感じ。
その上教師にまで手ぇ出しててさ。2年のときに学校でその教師とヤッてるとこ、目撃されて問題にもなってるし。
アタシ、小学生の頃までアイツと仲良くてさ。何回もあの子の家に遊びに行ったことあるんだけどさ。
アイツの親もそんな感じなんだよ。もう男とっかえひっかえしてて遊びまくりなうえに、相手の男が結婚してようが彼女居ようがお構いなし!
アイツんち行く度に、なんかそういうニオイすんの。直前まで男とヤッてたんだろうなぁ、ってニオイ。
親子揃ってモラル崩壊?みたいな?もう病気だよね病気。インラン病だよ。
だからさ、赤月さんも、あの子の前でコイバナとかしないほうがいいよ?すぐ盗っちゃうから、アイツ。
ね?最悪でしょ?アイツ。マジ死んだほうがいいよね。
だからさ、赤月さんもあんな奴なんかと関わらないでさ、アタシと仲良くしようよ。ね?」
小汚ない言葉の数々にも一切反論せず、
小気味良く相槌を打つ美桜に気を良くしたのか、
深紅は嬉々として東雲ももかの噂の数々を語った。それらのほとんどが、彼女のでっち上げなのだということを悟るのもまた、美桜にとっては容易なことだった。
―――私と仲良くなるためにももかの悪口を言っているのならば、この女は少々熱くなりすぎね。
ももかに対する個人的怨嗟を隠しきれていない。場合によっては相手に引かれてしまう話し方だわ。詐欺師としては42点、と言ったところかしら?
人を惑わすプロである美桜が、心の中で深紅を採点する。もちろん、100点満点中の42点だ。60点以下が赤点とみなすなら、彼女は追試対象だっただろう。
しかし、東雲ももかの容姿が優れていることを逆手にとって、周囲の女子が彼女に対し無意識に抱いてしまうであろう嫉妬心を煽るような語り方は中々の評価点だ。
その点だけは、美桜も評価していた。
容姿が良いので遊んでいる。
容姿がいいので簡単に異性を手に入れられる。
容姿が良いので性格が悪い。
そう言ったレッテルの貼り方は王道に沿っていて大変美しい。
妬みを煽れば悪しき風聞を定着させることは容易だ。
妬むことを生き甲斐と感じるような人種は、人の世には少なくない。
美桜にはもう、分かっていた。
自分が次に喰らうべき相手は誰なのか。
このクラスで、"一番浅ましい人間"は誰なのか。
美桜の目の前で今、美桜の"お友達"を必死で貶めようとしているこの女の内面には、東雲ももかへの複雑怪奇な執着が渦巻いている。
美桜はなおも続く、深紅の罵詈雑言を受け流しながら、自らの唇にそっと、指を沿わせた。
東雲ももかには『鬼の嗅覚』がほぼ通じない。美桜にとっては珍しく、今一内面の見えない相手だった。
そんな彼女相手でも、柔肌を牙で突き刺し、血液を直接啜り飲めば、少しだけならその胸のうちを垣間見ることが出来る。
―――さきほど飲んだももかの血からは、
すぐに消えてしまったけれど一瞬だけ、負の感情の味がした。
『世界で一番浅ましい人間はだぁれ?』そう問われたももかが、
一瞬だけ思い浮かべた一人の少女の姿。
そのシルエットが、美桜の中で蘇芳村深紅の姿と重なる。
他人の死をいとも簡単に願えてしまう深紅の魂は、
誰かの死を望むくらいなら死んだほうがマシだと豪語するももかとは正反対の、
“穢れた命”に違いなかった。
「今日の放課後って暇?何ならカラオケにでも行かない?」
そう暢気に問いかける深紅の姿を見ながら、美桜はチロリと舌なめずりをする。
―――あぁ。見つけたわ。私の舌を満たしてくれる、極上のお肉を。
美桜はそのとき、深紅と接していて初めて、仮面の下の本性を滲ませてしまった。
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