第2話 魔女のささやき (2)
■
高等部の本館から食堂に向かうルートはいくつかある。
普段の私は食堂に向かう際、美術棟を抜けるルートを使っていた。
その道が、最も人通りの少ないルートだからだ。
赤月さんを後ろに連れたまま美術棟に足を踏み込んだ時、私は重大なミスを犯してしまったような気がして冷や汗を噴出した。
しまった。ついいつものクセで人通りの少ない道を選んでしまったけど、いま私の後ろに居るのは人食いのバケモノかもしれない人じゃないか。人気のないところに来てしまったら……格好の餌食だ。
しかし、当の赤月さんは私の心配をよそに、
「私、絵の具のニオイって好きよ」
と、美術室特有の画材のニオイについて、暢気に感想を述べただけだった。
襲いかかってくるような気配など、微塵も見せてこない。
……手ごわい。
食堂についた私は日替わりランチを頼んだ。赤月さんはしばらくメニュー表とにらめっこして悩んだ後、レディースセットを頼んでいた。
メニュー表のレディースセットの詳細欄には、小さくて可愛らしいロールパンが二つと、
野菜がたっぷり入っているミネストローネの写真が載っており、セットの総カロリーまで表示されている。
「私、ミネストローネって好きなのよ。トマト料理全般が好き」
赤月さんは愛嬌たっぷりの笑顔でそう語る。
その柔和な笑顔からは、残酷さなど微塵も感じない。
……彼女は、トマト料理が好きなのか。
まさか、色合いがバイオレンスだからとかそういう理由じゃないよね……?
食事の乗った御盆を持って席に着いた私達。
赤月さんのほうから誘ってきたのは全くの予想外だったけど、
彼女と面と向かって話せる念願のチャンスが、やっと訪れてくれた。
段々と食堂に生徒達が集いつつある。私達と同じクラスの子達も何人か違う席に居て、私達のほうをチラチラと見ている。
うっかり他の人に聞かれては気まずい。手早く本題に入らなければ。
「あ、あのねっ、赤月さん。今朝貴女と会った時から私、どうしても貴女とお話したくて……」
「そう。嬉しいわ。私も貴女と同じ気持ちだったから」
「え……?」
「ずっと貴女とお話したかったのよ」
赤月さんの言葉の意図を探る。
彼女が私とお話したがっていた……?
やっぱりそれって、昨日のことと関係があること……だよね?
手のひらに汗が滲む。口中に分泌された生唾を、私はコクリと飲み込んだ。
緊張で、震える手が止まらない。
『昨日、とんでもなく不味い血を吸わせてくれたお礼に……地獄を見せてあげるわ!!』
赤月さんが、鬼のような形相で叫びながら襲い掛かってくる姿を想像した私は、
恐怖で目をグルグルと回してしまっていた。
「3日前……」
「ひぃっ!ごめんなさい!」
「……何謝ってるのよ。まだ何も言ってないじゃない」
「あっ、そ、そうだよね……ごめんなさい」
「……3日前、初めて貴女を見たときから、お近づきになりたいなって思ってたの」
「……へ?」
「いえ、その、変な意味じゃないのよ?だけどなんて言うか、顔もそうだけど雰囲気とかが凄く好きで……だから、ぜひお友達になりたいなぁって思っていたの。こういうの、一目惚れって言うのかしらね」
そう言って照れ笑いを浮かべる赤月さんに、私は緊張感を一気に持っていかれてしまった。
私とお話したかった、ってそういう意味!?
「本当は転入初日に話しかけたかったのだけど、とっても好みの子だったから緊張しちゃって……。
どうやって話しかけようか悩んでたところに蘇芳村さんから食事に誘われたものだから、咄嗟にあんなウソをついてしまったのよ。どうしても貴女と一番に仲良くなりたかったから……。
ごめんなさいね。いきなりあんなこと言って……迷惑だったでしょう?」
「う、ううん!そんなこと、ないよ。……ちょっと驚いたけど」
「じゃ、じゃあ……私とお友達になってくれる?」
「えと……はい。よろしくお願いします……」
「本当!?良かったぁ、嬉しいわ……ねえ、今度から東雲さんのこと、ももかって呼んでもいい?」
「う、ん。じゃあ私も赤月さんのこと、美桜ちゃんって呼ぶね」
「ええ!」
私と友達になれたことで喜び、無邪気に笑う赤月さん。
彼女の笑顔に絆された私は、釣られて笑ってしまいそうになった。
私はこの学校に入ってからずっと、友達が欲しかった。
地元から離れたこの高校に来たのは、中学時代のことを忘れて新しい人間関係を築きたかったからだ。
だけどこの高校には私の中学時代を知る蘇芳村さんも一緒に入ってきてしまった。
蘇芳村さんのおかげで、私の中学時代は続いてしまっているのだ。
彼女の目があると思うと、私は他の子に話しかけることすら上手く出来ない。
『アンタみたいな穢れた女が、何一丁前に友達なんか作ろうとしてるワケ?』
そんな彼女の視線を感じるたび、私は人と関わることを億劫に感じるようになってしまった。
本当は私も、佐藤さんに話しかけてみたかった。私と同じ、大人しい雰囲気の女の子だった入学当初の佐藤さんに。
『毎日寂しいでしょ?オトモダチ、欲しいよね?アンタのこと、気になってるって子が居るんだよ。隣の席の新田くん。知ってるっしょ?
そいつとさぁ、遊んでみない?まぁアンタに選択権とかないんだけどさ』
そんな蘇芳村さんの甘言に乗って新田くんと遊ぶ約束をしてしまったのも、―――もちろん、蘇芳村さんのことが怖くて断りきれなかったというのもあるけど―――募る寂しさに狂わされてしまったのが一番の理由なのかもしれない。
蘇芳村さんから新田くんが遊び人だと知らされた後も、
でもだけど、もしかしたら、全然そんな風な人じゃなくて、普通に仲良くなれるかもしれないなどという甘いことを考えて、律儀にハト公の前で彼を待ってしまった。
つながりに飢えすぎて、正常な判断力を失ってしまっていた。
私の目の前には、私と友達になれたことを喜んでいる美桜ちゃんが居る。
私なんかと友達になれたことをこんなにも喜んでくれることが、何だか申し訳なく思った。
……ずるい。そんな嬉しそうな顔されたら、貴女のこと、信じてみたくなっちゃうじゃない。
―――彼女の言うとおりなのかもしれない。
彼女は本当に、例の屋敷のバケモノとは別人で、3日前に転入してきただけの、ただの女子高生なのかもしれない。
だったとしても、この子はいずれ知るはずだ。
みんなの噂の中の私を。穢れた女である私の噂を。
それでも美桜ちゃんは私を好きなままで居てくれるだろうか?
いつまでもニコニコしたままの彼女に、私は質問を投げかける。
「……そんなに嬉しい?私と友達になれたのが」
「ええ、とても嬉しい。好きな子とお話できて、私、いまとても幸せな気分よ」
「……そう。私も、嬉しいな。美桜ちゃんみたいな美人のお友達が出来て」
彼女は、好きなものをストレートに好きだと言う。
絵の具のニオイが好き。トマト料理が好き。私の事が好き。
好きなものを語ることで自分を語るその性格からは、柔和な笑顔と相まって育ちのよさを感じさせる。
いい子だ。美桜ちゃんはたぶん、悪い人じゃない。こんな子をバケモノ扱いして勝手に怖がっていた自分を恥ずかしく思う。
私も、美桜ちゃんのことは好きになれるかもしれない。
■
「あら、このミネストローネ、鶏肉が入ってる……」
「美桜ちゃんって鶏肉苦手な人なの?……あ、もしかして、ダイエットとかしてる?
鶏肉も、以外にヘルシーだったりするよ?」
「ダイエット……まぁ、それもあるにはあるけど……。一番の要因は、私のこだわりのせいかしらね。
私、こだわりの強い人なの。特にお肉にはうるさいのよ。
だから、安物のお肉が口に合わなくて……好みのお肉が食べられるとき以外はベジタリアンみたいな食生活をしているわ」
「へぇ。でも分かる気がする。美桜ちゃんって結構お嬢様でしょ?」
「……うーん、どうかしら?」
「庶民が滅多に食べられないようなブランドものしか食べないんでしょ?松坂牛とか」
「うふふ。松坂牛も美味しいけどちょっと違うわ。私が好きなのは―――もっともっと……"いいお肉"よ」
■
教室へ帰る道すがら、私は美桜ちゃんを連れて絵の具のニオイが漂う美術棟を歩いていた。
私達が食堂を出たのとほぼ同じタイミングで激しい雨が振ってきた。
雨は窓を叩き、ガラスの向こうの景色をモザイクのように滲ませている。
「ひと雨、来ちゃったね。ただの通り雨だと思うけど、帰るときまで続いてたらやだなぁ。
美桜ちゃんは、傘とか持ってきてる?」
美桜ちゃんへの警戒心が解れた今、彼女に背中を見せることにも、もはや抵抗がなくなっていた。
前を見ながら歩く私は、背中越しに彼女へ雑談を振る。
だけど私が放った質問にレスポンスが返ってくることはなく、その代わり―――ドサッ、という何かが床に倒れこむかのような音が聞こえてきた。
驚いて後ろを振り返った私の視界に、膝をついて胸を抑える美桜ちゃんの姿が映りこむ。
「美桜ちゃんっ!?大丈夫!?体調悪いの!?」
傍に駆け寄った私に、「ごめんなさい。もう、限界みたい……」という弱弱しく呟く美桜ちゃん。
「朝からずっと、頑張って我慢していたのに……」
「ど、どうしよう……。そうだ保健室っ、保健室に行こっか?大丈夫?歩ける?誰か連れてきたほうがいい!?」
苦しそうに顔をゆがめる美桜ちゃんの姿を見て、私は思わず涙目になってしまう。
昔もこんなことがあった。喘息持ちで身体の弱かったお友達を私が連れまわして、発作を起こさせてしまった。
この子にもきっと、何か持病があるんだ。あんまり連れまわすべきじゃなかったのかもしれない。
「クスリとか持ってる?何だったらお水持ってくるよ。私に出来ることなら何でもするから……っ!」
「……何でも?じゃあ、ももかに、頼っても、良い?」
「うん、友達なんだから遠慮しないで?」
ぜいぜい、と息を切らしながら私を見上げる美桜ちゃんの背中をさすってあげると、
彼女の表情が少し和らぐ。
お友達を助けるためなら、私は何だってしてあげたい。
「だったら、だったらね?……もも、かぁっ……」
縋るような目で、懇願するような声で、美桜ちゃんは私に助けを求める。
そして彼女は、白くか細い両手を震わせながら私の肩を掴み―――その細身からは想像がつかないほどの力強さで私の身体を床に押し倒して、言い放った。
「私に、貴女を食べさせて?」
吐息が届く距離まで顔を近づけた私のお友達。
さっきまでの柔和な表情とは正反対な―――邪悪な笑みを浮かべて、
彼女は私を見下ろしていた。
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