第1話 赤月がのぼる夜 (3)


「ち、違う……私、前原先生とセックスなんかしてない……」

「ふーん。前原って言うんだ。東雲さんとヤリまくってた教師。羨ましいなぁ」


なんで。何でなんだろう。

男の人はいつもそうだ。私から大事なものを奪っていこうとする。

新田くんたちも、前原先生も、こんな卑怯な真似をしてまで、なんで私のことを欲するんだろう。

相手を傷つけて、その心を踏みにじってまで、自分の欲望を叶えようとする人の気持ちが分からない。


「セックスはしてなくてもレイプはされてたんでしょ?目撃されてるらしいじゃん」

「……っ!ち、違う……違うの……!」

「俺らと一緒で汚れてるんだからさ。楽しもうよ。それとも好きな人とじゃなきゃエッチ出来ないとか思ってる感じ?

……汚れた女がのぼせんなよ。あぁ!?」


凄みを効かせる新田くんに、私は怯えを隠せなかった。

恐怖に竦んだ私の様子を見た新田くんは気を良くしたのか、ニマリと笑って唇を近づけてくる。


「大人しくしてればイイ思いさせてあげるからさ……東雲さん、いや……ももか」


私は、せめて事が早く終わるようにと、意識をシャットダウンする。

ストレスから逃避するために、現実の感覚を失わせる。

それが自分の意思で出来てしまえることが、私にとっての唯一の救いだった。

今はもう、前原先生に襲われたときみたいに、助けてくれる人なんていない。

私の意識を、現実に引き戻して、優しく肩を抱いてくれる人なんか、居ない。

私は、深い闇の中に落ちていった。―――はずだった。


「―――ねえお猿さん達。人のベッドでサカらないで頂けるかしら?」


耳心地のいい、澄んだ女性の声が、暗闇に包まれた部屋中に響き渡る。

誰が発した声なのか?―――私を含めたこの部屋に居る全ての人間が、その声の主を探そうと暗闇の中で目を凝らす。


「なんだ今の?ももかちゃんの声か?」

「いや、違う。もっと大人っぽい声だった」

「だ、誰なんだよ。どこに居るんだ。出てこいよ!」


キィ、と音を鳴らして片開きのドアが閉まる。

声の主は、部屋の入り口に居た。

カーテンの隙間から差し込んだ月光が、声の主のシルエットを暴き出す。


月の光に照らされて、淡く輝く白い肌。

背中を覆いつくすほど、長く艶やかな黒髪。

黒いワンピースドレスから伸びた、細長い手足。

黒のコーディネートで全身を包んだ、綺麗な女の人。


その身体のうちで黒くない部分は、露出した『白い』手足と、長い黒髪に4,5本だけ、ストライプ状に走らせてある『赤い』メッシュ、

そして、彼女が只者ではないことを示す『赤黒い』異形の右腕と、今夜の満月のように、『赤く』輝くその瞳だった。


「……お、お前っ!どこから来たんだ!?」


筋肉質の人が、ボクシングの構えを取る。

私を含めたこの場の全員が、この状況で音もなく姿を現したこの女の人を、バケモノだと認識していた。


「……うふふ。勇ましいこと。拳一本で『鬼』に挑むつもりかしら?」

「へっへ。こう見えてプロライセンスの持ち主なんだぜ俺はよ?」

「そう……なら申し訳ないわね。二度とボクシング出来ない体にしてしまって」


「へ?」と間抜けな声を出した筋肉の人が床に倒れた。

その下半身にはあるべき両足が無く、滝のように勢い良く赤い血が流れ出ている。

「貴方の足、毛深いのね。皮膚を剥いてからじゃないと食べきれないわ」

そう言い放った女の人の手には、いつの間にか人間の足が握られている。

爪で皮膚を裂いたその人は、むき出しになった筋繊維に歯を立て、その肉を頬張った。


「うわあああああああああああああああアアアアあああああああああああああああああああ

俺の脚があああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」


筋肉の人が出した叫び声に他の男の人たちはビクリとする。

私を組み敷いたままの新田くんの顔に、恐怖が浮かんだ。その胸中にはきっと、さっきまでの私と同じ感情が孕まされているのだろう。

『目の前で繰り広げられている光景が現実のものだとは思えない』……と。


「お前ら!!逃げろ!!」


ポニーテールの人がポケットに隠し持っていたナイフを取り出し、女の人に襲い掛かる。

女の人はナイフの切っ先を赤黒い腕で軽々と掴み、怪力とも言うべきその握力でナイフを握りつぶしていく。

刃先を握り締めていると言うのに、彼女がその手のひらを傷つけることは全くない。その腕は、鋼鉄のように硬いのだろう。


唯一の攻撃手段だったナイフが『鬼』の腕の中に消えていく様を見て、ポニーテールの人の表情にはじわじわと絶望が浮かんでいく。

それを見た女の人は艶やかな、色気のある、綺麗なオンナの表情を浮かべていた。―――まるで、他人の絶望を見るのが、彼女にとっての快楽だとでも言わんばかりに。

ひとしきり絶望の表情を眺め楽しんだ女の人は、遊び飽きたおもちゃを投げ捨てるかのように、

グサリ。

と、ポニーテールの人の腹部に腕を突き刺し、息を途絶えさせた。



ポニーテールの人が女の人と格闘している間に、新田くんはベッドから身体を起こして、紫髪の人と共に部屋の外へと飛び出していた。

今、部屋の中に居るのは、ベッドの上から動けないで居る私と、女の人だけだ。

―――両足を失った筋肉の人と、腹部を貫かれたポニーテールの人"だった"肉塊を除けば。


女の人と私の目が、合う。

次に殺されるのは、間違いなく私だ。

女の人が一歩踏み出した瞬間、私はぎゅっと目をつぶった。


今までの人生の光景が、走馬灯のように頭の中を巡る。私の人生もこれで終わりなんだ。

そう思うと恐怖で涙が溢れてきた。恵まれた人生ではなかったかもしれないけど、それでもやっぱり死ぬのは怖い。

そんなことを考えていてふと、いつまで経っても自分が襲われていないことに気づいた。目を瞑ってから数十秒は経っているはず。

ぎゅっと瞑った目をゆっくりと開ける。目の前には視界を閉じる前と同様、血まみれの男の人たちが倒れている凄惨な光景が変わらずあった。


「ひっ……!」


不意に私は、筋肉の人の頭部が丸々なくなっていることに気づいて悲鳴を上げた。

もはや胴体と両腕のみになった肉塊は首の部分から勢い良く血液を噴出している。



あの女の人の姿は、どこにもなかった。

新田くんたちを追って、部屋の外に出て行ったんだ。





 二人の男は、その家から逃げ出そうと全速力で駆け出していた。

廊下を突き進み、階段を下り、そのまま真っ直ぐ行けば出口である玄関へとたどり着ける。

先に階段の降り口にたどり着いたのは紫髪の男のほうだったが、新田が紫髪の身体を突き飛ばし、我先にと一階へ下っていった。


「おいリュー!!!!!てめえぇ、なにしやがんだよっっっっ!!!!?????」


怒りに吼える紫髪の言葉に返事すらせず、新田は一目散に出口へと向かっていった。

取り残された紫髪は体勢を立て直し、立ち上がって階段へと向かおうとするが、目の前をボールのようなものが飛び交って、慌てて足を止める。

 

「うおっ!?アブねえな!!何なんだよいきなり……ヒィッ!?」


紫髪は今しがた自分の目の前に飛来したものの正体を悟って小さな悲鳴を上げた。

ボールが落ちた箇所には―――仲の良い友人”だったもの”の頭部が、目を見開いてこちらを見ている。


「あ……あぁ……」

「あら?鬼ごっこはもうおしまいなの?」


恐怖で足が竦み、紫髪は腰を抜かしていた。その背中に、天使のようなソプラノボイスが投げかけられる。

紫髪は涙と鼻水でグシャグシャになった表情を固まらせたまま、ゆったりとした動きで、声のした方向へと振り返った。


紫髪の瞳には、映った。

自身を喰らおうとゆっくりと近づいてくる、『鬼』の姿が。

さっき友人達の肉体を引き裂いたように、俺の身体もバラバラに散らされることだろう。


「は……はひ……はひほひほはひ」


紫髪は歯をガタガタと鳴らし、意味不明な鳴き声を上げた。

悲鳴……のつもりなのだ。彼にとっては。

彼のズボンに黒い染みが広がる。小便を漏らすのは小学生以来だ。脚に伝う冷たさを感じながら、紫髪は思っていた。


―――"死"っていうのは、綺麗な女の姿をしてるんだなぁ。


紫髪の身体は、真っ二つに切り裂かれた。





「おい!!!なんで開かねえんだよこのドア!!!!」


玄関口にたどり着いた新田はドアノブを掴み、ガチャガチャと激しい音を立てて、

自分一人だけ外の世界へ飛び出そうとしていた。

彼の頭にはバンド仲間たちや連れ込んできた女の身を案じるという気持ちは微塵も無い。

鍵が掛けられているわけでもないのにいつまでも開かぬそのドアに苛立ち、すぐ傍にあった傘立てでドアを殴りつける。

何度か殴りつけた後、幾度にも渡るレイプによって鍛え上げられたその強靭な腰の筋力をフル稼働させ、全力の前蹴りを叩き込んだ。


開かずのドアは晴れて外界へと続く出口を新田の前に示した。

まるで殴られた女が渋々股を開いたかのように。

暴力を振るって自分の思い通りにするという意味合いでは、新田はドアをレイプしたも同然だった。

命の危機に対して自分のレイプ経験が役に立つなどとは、彼自身も思わなかったことだろう。


「やった!!これで外に出られる……!」


外に出たらこんな家にはもう二度と近寄らない。

バンド仲間のことも東雲さんのことも忘れて心霊スポットなんかに二度と関わらないようにしよう。

そう決意を改めた新田の眼前に広がったのは、この家に入るとき見かけた草まみれの庭ではなく、


明かりの差し込まない、大理石の床が続く長い廊下だった。


「なんでだよ……今玄関から出てきたばっかりだろうがよぉぉぉおぉぉ!!!」


新田は玄関の先に続いている廊下を走りぬけ、その果てにあった新たな玄関へとたどり着いた。

さっきと同じ要領で玄関を蹴破り、ドアを開くとその先にはまた、この屋敷の広い廊下が続いている。


「なんなんだよ……なんなんだよぉおぉぉぉ!!!」


新田は玄関から外に出るのを諦め、リビングへと向かった。

さっき見回った際、一階のリビングには外へと通じる戸があったのを目撃している。あそこからなら外に出られるはずだ。

意気揚々とリビングの戸を引くと、外から冷たい外気が入り込み、新田の皮膚を撫で付けた。


「やった!!ここからなら出られる……!」


新田は跳ねるように身を乗り出し、草を掻き分けながら家の正門へと向かう。

これで、こんな奇怪な家とはオサラバだ。

そう確信した新田はついに正門を突破し、


―――二階の女部屋へと帰ってきた。


「新田……くん……?」


声の聞こえてきた方に振り向く。

紺のブレザーにしわを寄せ、肌蹴たブラウスからパステルカラーの下着を露にしている東雲ももかが、

ベッドの上に座り、不思議そうにこちらを見ている。


足元には二つの肉塊が転がっており、そのうちの一つは頭部を失っていた。


「あ……あぁ……?」


胸の内が凍り付いていくのを感じながら、新田は目の前の光景を幼い頃に遊んだゲームのようだと思っていた。


霧の深い森。その森には魔女による『幻惑』の魔術が施されていて、森に迷い込んだプレイヤーは延々と同じ道を歩ませ続けられる。

勇者であるプレイヤーは『お守り』という重要アイテムを使ってその森の呪いを払う。

困っている村人を助けることで獲得できるアイテムだ。

『お守り』が無ければ森を突破することは出来ず、永遠に森に囚われ、衰弱しきったところで魔女に食われてしまう。


―――この家は迷いの森だ。『お守り』を持たぬ者は惑わされ、魔女に浚われてしまう。

新田はこの『幻惑』に対抗する手段など一切持たない。勇者のように人助けをして『お守り』を譲り受けるほどの人徳などない。

新田は勇者ではなく、他人の大事なものを奪うしか能の無い、下賎な盗賊ごうかんまなのだ。


俺は……この家から、逃げられない。


「楽しいわね。鬼ごっこなんて久しぶりよ」


力なく立ち尽くしかない新田の前に、"魔女"が現れた。

彼女に追いかけられるのはは"ごっこ"じゃない。相手は正真正銘の『鬼』なのだから。


「い、いいいイヤだ!!!殺さないでくれ!!!食べないでくれよぉぉっっ!!!」


新田が腰を抜かし、みっともなく命乞いをする。

その姿は、百戦錬磨の女泣かせとは思えないほど惨めだった。


「……私に食べられたくないの?」

「あああああああ当たり前じゃないですかっ!!???」


仲間や物に当たるときの傲慢な言葉遣いはどこへ行ったのか。

新田は鬼の女に対して敬語を使い、懇願する。

そんなみっともない新田の姿を見た鬼の女は、くっく、と喉を鳴らし笑いを堪えた。


「お願いしますっっ!!命だけは!!命だけは助けてください!!」

「……貴方の肉を喰らうつもりはないわ。これだけあれば、もうお腹いっぱいだもの」


そう言って女は足元に転がっていた肉塊に手を伸ばす。

爪を使って器用に皮膚を切り裂くと、その中の肉をボリボリと貪って、その白い口元を赤い血で汚した。


「じゃ、じゃあ……助けてくれるんですね!?」

「……お腹いっぱいだから、仕方ないわね」

「あ……あぁ……やった……助かった……」


「―――まぁ、デザートは別腹だけど」


そう言って、『鬼』の女は新田の胸元に赤黒い腕を差し込んだ。

新田は自分の胸に腕が差し込まれる様を見ながら、しかしいつまで経っても胸元から血が吹きだしてこないことに、違和感を覚えた。

突き刺された胸元には水の波紋のようなものが広がっている。その中に吸い込まれるように、『鬼』の腕が深々と新田の中に差し込まれていた。

しかし新田の身からは血の一滴もこぼれるような気配はない。―――すり抜けているのだ。『鬼』の腕が新田の身体を。


「なっ、なっ、なにしてるんですかっ……?」


新田の質問には答えず、『鬼』の女は胸元から腕を引き抜いた。

その腕の中には青白い炎のようなものが握られている。

女が炎を指で弾く。炎が振動すると同時に新田は身悶え、床に崩れ落ちた。


「がぁっ!!……はぁっ、はぁっ、なんなんですかソレ!?なにしたんですか!?」

「これは人間の魂。……これ、とっても美味しいのよ?とくに貴方みたいな穢れた人間のものなら尚更」


そういって青白い魂に口を近づける女。


「やめて、ください……!やめろ……!やめろよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!

俺のこと食わないって約束だろぉおおおおおおおおおおおおおおお!?!?!?!?!?」

「肉は、ね?だけど魂を喰らわないとまでは言ってないでしょう?」


女の小ぶりな口が、甘い果実を齧るように、

新田の魂を容赦なく喰らった。


「あぁぁあああっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


魂を食われた新田の肉体が、ほんのりと発光しながら、闇の中へと徐々に溶けていく。

身体が透け、周囲の景色とほとんど見分けがつかなくなった頃、女は最後の一口をほお張り、魂を喰らい尽くす。

そうして新田は、闇に溶けていなくなった。


「来世があるなら覚えておくのね。『鬼』はとっても嘘つきで、約束なんて守らない生き物だということを。

―――あぁ。魂を失ったなら転生は出来ないかしら?」


新田の魂を喰らったその口で、女は吐き捨てるように言い放った。

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