第1話 赤月がのぼる夜 (2)


 呪いの屋敷に入った私たちは、懐中電灯の小さな光を頼りにしながら、家中を探索し始めた。

リビング、トイレ、キッチン、お風呂場、物置……二階へと繋がる階段。間取りが広めで、お金持ちが建てたのだろうということを想像させる。

各々の部屋に備えてある家具も、テレビでしか見たことないような高級品があったりする。……廃墟なのに、誰かに持っていかれたりしないんだろうか?

それともやっぱり、そんな窃盗みたいなことをする人はこの屋敷のバケモノに……。いや、ヘンな想像するのはやめよう。


「バケモノ……見つからねえな?」

紫髪の人がぼやく。と同時に、「ひゃあ!」という小さな悲鳴をあげた。

「お、おい!今誰か俺のケツ触っただろ!?幽霊じゃねえだろうな!?」

「ごめん今触ったの俺」

「てめえ!!!!」

しれっと言い放った筋肉さんに紫髪さんが掴みかかる。

そんな光景を横目に、ポニーさんが一つの扉の前で立ち止まっていた。

「……残るは、この部屋だけだな」

一通りの部屋を見て回った私たちが最後にたどり着いたのは、二階の廊下の突き当たり―――一番奥にある、一つの部屋だった。

「東雲さんどうする?この部屋に本当にバケモノが居たら……」

「やだ……怖い……」


怖がる私のことなどお構いなしに、新田くんはその部屋のドアノブに手をかけた。

今開かれる、最後の部屋。

ゆっくりと開かれるドアの隙間から部屋の中身が露になっていく。必然と、私たちの間に緊張が走った。


「バケモノさん、お邪魔しまーす!」

ふざけた叫び声を上げなら新田くんは一気にドアを開いた―――部屋に乗り込んだ私たちの目に見えたのは、

教科書や文庫本を棚に抱えた勉強机らしきものや、洋服やアクセサリーが整列されたクローゼット、壁に立てかけられたギター。

小説や実用書、漫画などが詰め込まれた本棚。王冠みたいな形のヘッドボードを携えた高級そうなベッドだった。

壁は一面赤い塗装で覆われている。まるで、血が滴っているように見えて、私はびくりと身体を震わせた。

その部屋にはバケモノが……居なかった。


「なーんだ。誰も居ないじゃん」

期待はずれ、とでもいうように新田くんは力なく肩を落とす。

私を含めた5人は、次々と部屋の中に入っていき、バケモノの痕跡がないか探し始める。


私の担当はクローゼットだった。

戸を開くと、そこには色んな衣服がハンガーに吊るされていた。

全部、女性モノの服だ。この部屋の持ち主は、どうも女性らしい。

女性……そう考えた瞬間、私の脳裏に庭で見た綺麗な女の人の姿が連想された。


あの女の人が、クローゼットの中の洋服を着てる姿を想像した。

……私の脳が生み出した錯覚だけど、女の子にしてはかなり身長高そうに見えた。

あれくらい身長があったら、こういうマキシ丈スカートなんか凄く似合いそうだ。

こういうのって私みたいに身長低い子が着たら寸胴で短足に見えちゃうんだよね……。

あっ、こういうスキニーパンツも似合いそう。あの人、足長かったし、パンツルックとか絶対カッコイイ。


そうやって妄想の着せ替え遊びに耽っていた私の肩を、新田くんがぽんぽんと叩いた。

「見て見て、東雲さん。ベッドあるよベッド」

「え?……あ、そうだね」

「疲れたでしょ?結局バケモノなんていなかったしさ。まぁ座りなよ」

「う、うん……」

新田くんに誘導されるまま、私はベッドに腰掛ける。柔らかいクッションの感覚が、臀部を通して伝わってきた。

私の右隣に、さも自然な動きで新田くんが座った。左隣にはポニーテールの人が座ってきた。そして私の視界を覆うかの如く、筋肉の人と紫髪の人が目の前に立ちふさがる。

4人の、あまりにスムーズな動きに頭が追いつかなくて、私は自分が囲まれてしまっているということに気づくまで3秒ほどかかった。


「な、なに……?」


見上げた私の目には、ニタニタと笑う男の子たちの表情が飛び込んできた。

肩身の狭さや恐怖と言った感情が、嫌でも湧いてきてしまう。


「なに、じゃないでしょ。東雲さんだって分かってるくせに」


新田くんはそう言って、私の体を無理やりベッドに押し倒した。

ベッドマットの柔らかい感触が背中に伝わってきたけれど、その感触を楽しむような余裕なんて今の私にはない。


「おい、俺が服を脱がすからお前はそっちの腕持ってろ」


さっきまでの優しい口調が嘘のように、ドスの聞いた声を発して、新田くんが他の男の子に命令する。


「や、やめて……!」


振り絞るように懇願の言葉を吐き出したけど、新田くんは一切聞き入れてくれず、瞳孔の見開いた冷たい瞳で私を見下ろすだけだった。

身体を捩って逃げようとした私の目の前を、刃物が横切る。


「抵抗したり声上げたりすんなよ?」

―――ポニーテールの人が、果物ナイフを握り締めながらそう言った。


「ホテル代ケチるために廃墟やら心霊スポットに女連れ込むのがリューのテグチなんだわ。ってか薄々気づいてたっしょ?

ヤラれるの覚悟で俺らに着いてきたんでしょ?」

「ホテル代もそうだけどラブホも最近じゃ厳しくてなぁ。男複数で女一人とかだと泊めてくれないとこあるもんなぁ」


……そうか。心霊スポットに行こうだなんて、最初からデタラメだったんだ。

最初から、私のカラダ目当てだったんだ。


「いやあ……っ!離して……っ!」


新田くんの手が、私の服を脱がそうとブラウスのボタンにかかる。

拒絶しようと反射的に体に力を込めたけど、ポニーテールの人が私の顔のすぐ横にナイフを突き刺して、私を黙らせた。


ブラウスと肌着を脱がされ、下着を露にされてしまう。

抵抗なんて、出来るわけがなかった。


「可愛いの着けてるね。ヤル気マンマンじゃん」

「違う……違うの……こんなの……いやぁ……っ!」

「『いやぁ……っ!』だって。可愛いなぁ」


どれほど言葉で否定しても、この人たちにとっては全てが興奮するための材料にしかならないのだろう。

暴力的な欲望の前に自分がいかに無力な存在かを悟らされて、悔しさで涙が止まらなくなった。

いつだったか、こんな風に男の人に押さえつけられて、無力ゆえに抗えず、涙を流すことしか出来なかったことがある。

その時の記憶が、恐怖が、無力感がフラッシュバックして目の前の現実と重なり合い、私を苛めた。


「もう、やだ……っ。誰か、誰か……助けて……っ」

しゃっくりをあげながら泣く私を見下ろしている新田くんの表情は、恐ろしいほど冷たい。


「なに今更清楚ぶってんだよ。東雲さん、そんなキャラじゃないでしょ?」

「え……?」

「もしかして、知られてないと思ってた?ウチのクラスじゃ有名だよ?東雲さんのJCジェイシー時代のこと」

「……!?……あ……あ……」



「東雲さんってさ。副担任の若い教師とヤリまくってたんでしょ?中二の時に」





中学時代に起きたあの出来事をきっかけに、

私の学校での居場所はなくなった。


私はその日、使われていなかった空き教室に呼び出されていた。

私を呼び出したのは前原先生―――まだ20代中盤の若い先生で、私のクラスの副担任だった。

「進路のことで東雲に話したいことがある」と言って、放課後その空き教室へ来ることを私に命じた。


「お前最近、色気づいてきたよな。俺と付き合えよ。悪いようにしないから」

無理やりに押さえつけられ、机の上に寝かされ、服を脱がされた状態で私は、前原先生に告白されていた。

教室に入った途端、前原先生が私に抱きついてきた辺りから、私は恐怖の余り、現実感を失っていた。

目の前の光景はなんなんだろう?なんで私は先生に押し倒されているんだろう?

白昼夢を見ているようなふわふわとした感覚が、そのときの私を包み込んでいた。


「……何してんの?アンタたち」


私の意識を現実に引き戻したのは、いつの間にか教室の入り口に立っていた蘇芳村 深紅すおむら みくちゃんの冷ややかな声だった。

ズボンを脱いで私に跨っていた前原先生を、深紅みくちゃんは物怖じもせず突き飛ばし、大声で助けを呼んだ。


「怖かったよね?ももちー。もう大丈夫だからね」


他の教師に取り押さえられている前原先生を横目に、深紅みくちゃんは私の肩を抱きながら、はだけた衣服を直してくれて……。

優しい言葉を掛けられた私は、緊張と恐怖で固まりきっていた心を、ようやく解くことが出来た。


「深紅ちゃん……怖かった……!私怖かったよぉ……!」


そう言いもらすなり、私は深紅ちゃんに抱きついて嗚咽していた。

自分のブレザーの肩口が濡れるのもお構いなしに、深紅ちゃんは私の頭を抱き寄せて、涙が止むまで傍に居てくれた。

……とても、複雑そうな表情をしながら。

そのときの深紅ちゃんが何を考えていたのか、それを推し量れるほどの精神的な余裕なんて当時の私にはなかった。

その後の深紅ちゃんが私に冷たくなったのは、親友の気持ちを汲んであげられなかった私に対する罰なのかもしれない。

―――深紅ちゃんは、前原先生のことが好きだったんだ。


『大事にはしたくない。それに、裁判沙汰になれば東雲さんだってたくさん恥ずかしい思いをすることになる』

校長先生にそんな風なことを言われ、頭を下げられたことで私と私のお母さんはこの事を裁判沙汰にはしないことに決めた。

ただ前原先生はその後、まもなく退職することになった。


私を襲う以前から、彼に関する良くない噂は学校中に飛び交ってはいた。

保健室やトイレに女子生徒を連れ込んでいかがわしいことをしているだとか、教師陣の巡回補導ルートから離れたホテル街で

女子生徒と逢引している姿を目撃されているだとか。

容姿も良く、女子に人気の先生だったから色恋に関する妙な噂は以前から絶えない人だった。

ただ、噂は単なる噂で、人気を僻んだ男子生徒や好意を無碍にされた女子生徒が根も葉もない噂を流しているだけだろうというのが

周囲の大人たちのそれまでの意見だった。でも実際に私をレイプしようとした現場を取り押さえられては言い逃れなんて出来るはずはない。


問題は、前原先生が学校を辞めた後だ。

それまでにあった彼の良くない噂のほとんどに、レイプ未遂の被害者でしかない私が、何故か巻き込まれてしまっていた。


『前原ってさ、保健室とかトイレに女子生徒連れ込んでヤってたって噂あったじゃん?アレの相手って東雲さんらしいよ?』

『東雲さん、学校の中でも外でも前原とヤリまくってたんだって。前にラブホ街で目撃されてんだ』

『東雲さんのお母さんってスゲービッチらしいね。近所の男漁りまくってるんだって。ウチのオカンが言ってた』

『東雲さん、清楚な子だと思ってたのになー。親子でヤリマンなのかー。ヤリマンサラブレッドじゃん。ショックだわ』

『そんなビッチならさ。土下座でもしたら一発くらいヤラせてくれるんじゃね?』


違う。違うよ。私、そんなんじゃないもん。

耳に飛び込んでくる悪口に、心の中で反論する。初めのうちは陰口を叩く人に対して直接反論したりしたけど、

元々口喧嘩なんて得意じゃない私は、時が経つにつれて、理不尽に対抗するエネルギーなど失ってしまって、

やがては心の中でしか反論できなくなっていた。そんな、弱い自分がいやでいやで仕方なかった。

彼らの言っていることはウソまみれだ。何の証拠もない噂話だ。そう思うことで自分を慰めて心を保っていた私にトドメを指したのは、

当時気になっていた男の子が仲のいいクラスメイトとの会話で放った、


『俺レイプされたことある女とか絶対ムリだわ。付き合えないわ』


という一言だった。

同じ美術部で、仲の良かった彼。ふと姿を見かけるだけで、ちょっぴり幸せな気分になれた彼。

映画や音楽や漫画の趣味が近くて、家庭環境も近くて、男の子と接していて波長が合うなぁって感じられたのは、キミが初めてだった。

……キミまで、そんなこと言うんだね。


初恋が、裂ける音を聞いた気がした。

涙が出そうになって、私は教室から抜け出て、走り出した。


深紅ちゃんに会いたい。深紅ちゃんなら、私の悲しみを受け止めてくれる。

半ば縋りつくような思いで、私は校内中を駆け回って深紅ちゃんの姿を探した。

クラスの違う教室、学年違いの教室、グラウンド、体育館、購買部。

昼休み中に深紅ちゃんの行きそうな場所を探し回って、屋上にたどり着いたとき、ようやく深紅ちゃんの姿を見つけた。

派手な見た目の女の子たちと仲良さそうにご飯を食べている深紅ちゃんの前に立ち、奇異の目で見られていることを感じながらも

勇気を振り絞って深紅ちゃんの名前を呼んだ。


「あのね……深紅ちゃん……あのね……」


泣き出しそうになる私に、深紅ちゃんが浴びせた一言は、


「性病がうつるから話しかけないでくれる?ヤリマンビッチの東雲ももかちゃん」


という拒絶の一言で……。

私はショックのあまり、深紅ちゃんの周りに居た女の子が一斉に吹き出すのを呆けた顔で見ていることしか出来なかった。

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