第一章 ウツクシキ キョウキ
第1話 赤月がのぼる夜 (1)
■
コロンコロン、とスマホが着信音を発する。
画面には知らない電話番号が表示されていたけど、私は迷わず『応答』のボタンをタッチした。
番号は知らなくても、今電話を掛けてきている相手が誰なのかは分かる。
「もしもし? 俺らいま西口に着いたんだけどさぁ。東雲さん、もうハト公んトコ居るカンジ?」
いかにも軟派そうな男の子の声が聞こえる。電話の後ろから、数人の男の子がはしゃいでるような声も同時に聞こえてきた。
ロクに話したこともない相手だけど、私とは住む世界の違う人だっていうのは分かってる。
はい、とだけ答えた私は、目の前に広がる雑踏から、電話の向こうの人たちの姿を探し出そうと目を凝らした。
ハト公とはこの街の駅前にある有名な待ち合わせスポットだ。
陰泣(おんなき)駅の西口に立っている、数匹のハトが飛び立とうとする様を描いた石のオブジェ。
ハトに愛の象徴というイメージがあるからか、デートの際の待ち合わせにも良く使われている。
今、制服を着てこのオブジェの前に立っている私も、端から見れば彼氏を待っている女子高生にしか見えないのだろう。
それが好きな相手なのかどうかはともかく、男の子を待っているのは事実だけど。
「おっ!居た居た!うぃーす東雲さん。悪ぃね。待たせちゃった?」
後ろから声が聞こえたので振り向いて見ると、そこには制服を着崩した、金髪の男の人が立っていた。耳には十字架のピアスをつけていて、
片手に3本ずつくらいの指輪を嵌めている。―――クラスメイトの
学校に居るときの彼とは大分雰囲気が違う。
その後ろには3人ほど、知らない男の人を引き連れていた。
髪を紫に染めた、パンダみたいに目のふちを真っ黒にした背の低い人。
長い黒髪をポニーテールにしてて、スラっとしてるモデルみたいな人。
まだ4月なのに半袖を着て、たくましい腕の筋肉を露にしてる短髪の人。
恐らく、新田くんのバンド仲間の人たちだ。……覚悟していたけど、正直この人たち、ちょっと怖い。
「この子がリューのクラスの子?レベル高ぇなオイ」
「こーゆー小動物系マジ俺のタイプなんだけど!マジで今夜この子で遊んでいいの?マンジ?」
「可愛い……」
男の人たちが目をギラつかせながらはしゃぐのを見て私は、身がこわばっていくのを感じていた。
内心、今すぐこの場から逃げ出してしまいたいと思ってさえも居る。
でもそんなこと出来ない。今逃げ出したら、後で
「お前らガッツキすぎ~!ドーテーかよ~?見てみ?東雲さん引いてんじゃん」
そう言って新田くんは私の肩にそっと手を置いてきた。ごつごつとした指輪のついた手で。
「ごめんごめん。こいつらカワイイ子見て舞い上がっちゃってるみたいでさ~。悪い奴らじゃないんだ~。こいつらも」
私の耳元に顔を寄せながら、優しい声でそう語る新田くん。
そんな新田くんの仕草に、彼の、女性経験の豊富さを感じずには居られなかった。
それに……私は知っている。彼とそのバンド仲間の人たちが、たくさんの女の子を泣かせてきたことを。
『アンタが今日会う予定のリューのバンド仲間さぁ~。そーとぉー女好きだから気をつけたほうがいいよぉ?
街中の女、片っ端から食いまくってる奴らだから、アンタもヤラれちゃうと思う』
今日、新田くん達と会う前に
蘇芳村さんの言葉が単なる脅しでないのなら、この人たちが"悪い奴らじゃない"なんていうのは絶対にウソだ。
こうやって優しくして、女の子を油断させるのが新田くんの手口なんだ。
「あっ!リューだけ抜け駆けかよ!ズリぃぞ!一人だけ東雲さんにボディタッチすんなよ!」
筋肉質な人がそう言って、ポニーテールの人と紫髪の人に「まぁまぁ」となだめられる。
……人を疑ってばかりいるのは良くないことかもだけど、
そうやって和やかな雰囲気を作り出す仕草さえ、女の子を騙すためのテクニックに見えてしまう。
「俺ら今日行きたいトコあんだよね。心霊スポット、的な? 東雲さんって怖いのとか平気?」
「へ、平気じゃない……です……」
「うん、それじゃ行こっか。その心霊スポットに」
新田くんは私の意見を聞いているようでまったく聞いていなかった。
声色こそ優しいけど、有無を言わせない強引さが、新田くんにはあった。
新田くんが私の腕を引いて歩き出したのを見て、ウェーイ!という歓喜(?)の雄たけびのようなものを上げる他3人。
そんな3人のギラついた目つきは、私の脳裏に肉食動物の目つきを連想させた。
■
この街には、ウワサがある。
踏み入ったら最後、バケモノに殺されてしまう呪いの屋敷があるというウワサ。
―――その昔、殺人事件の舞台となったその屋敷は、都市伝説を盛りに盛られ、今では有名な心霊スポットになっている。
大きな一軒家が立ち並ぶ、閑静な住宅街の一画。
長い坂道を登った先にポツンと立っているその赤い屋根の大きな屋敷には、今は誰も住んでいないという。
誰が建てた屋敷なのか。いつから建っているのか。そこに誰が住んでいたのか。
その近辺に住んでいる誰も、そのことを知らない。見たこともないという。
その屋敷に関して、街の人間が知っていることは少ない。
ある者は、「その屋敷には昔、金持ちの女とその娘が暮らしていたらしい」と言う。
―――しかし、その親子の顔や名前を知るものは誰一人として居ない。
ある者は、「その屋敷には夭折した女性シンガーの霊が住み着いていて、夜な夜な美しい歌声とギターの音色を響かせるのだ」という。
―――しかし、実際にその歌声を聴いた者など居ない。ギターの音色を聞いたものなど居ない。
ある者は、「その屋敷に入った人間は皆帰ってこれなくなる。その家に住んでいるバケモノに殺されるからだ」という。
―――しかし、その屋敷に足を踏み入れて以降、行方が知れなくなった人のことなど誰も知らない。
誰も、知らない。
みんな、忘れてしまうから。
みんなが忘れてしまうから。
誰も、知らない。
ダレモ、シラナイ。
■
その日は満月だった。
地平線の近くを飛ぶ月の光は、ぶ厚い地球の大気によって赤色以外の光線を遮られ、
地上に居る私たちの眼に、真っ赤な満月の姿を映し出していた。
「赤い月とか雰囲気あるじゃん。肝試しには持ってこい、ってカンジ」
ポニーテールの人がそう呟く。他の男の人もポニーさんの言うことに深く頷いていた。
「駅からここまで歩いて来たら、いい具合の時間になったな」
新田くんの言葉に釣られてスマホの画面を見ると、『PM18:49』という文字列が映し出されている。
春先だからか、まだ早い時間なのに辺りはすっかり暗くなっていて、赤い月と虫の集る街灯、長い坂の下に見える住宅街の光以外には、
光源となるものなど何も無かった。例外は私たちのスマホくらいだ。
私は目の前に聳え立つ広い家の姿を見て、息を飲む。
手入れされていない花壇からは、木みたいな雑草が新田くんの身長ほど伸びており、傍に立っている門柱に蔓を垂らしていた。
門柱に刻まれた、家の主の苗字を示す表札がその蔓に覆い隠され、名を隠してしまっている。
おおよそ、人が住んでいるような気配はない。これじゃ、近隣住民からお化け屋敷だと思われるのも当然だ。
「おーい!お前ら!見ろよ!鍵開いてる!中に入れるぞ!」
いつの間にか敷地内に足を踏み入れていた筋肉の人が、玄関の扉を開け閉めしながら叫んだ。
―――鍵が開いてるからって他人の家に勝手に入っていいのかな……。これ、不法侵入じゃないかな……?
"肝試し"という遊びのためだけにタブーを犯している。そのことに罪悪感を覚えた私は、ちょっと不安な気持ちになってしまう。
「い、いいのかな……?こんなことして……?」
「何?東雲さん、もしかして怖いの?大丈夫だって、俺が傍に居るからさ」
「い、いや……そうじゃなくて……」
私を見つめながらニコリと微笑む新田くんを前に何も言えなくなる。
まぁ確かに、怖いと言えば怖いのだけど、幽霊が出そうで怖いわけじゃない。
新田くんが私の手を引き、家の入り口へ向かう。他のメンバーもすでに家の中に入っており、私たちが最後だった。
新田くんに促されるまま、私は屋敷に足を踏み入れてしまった……。
こうなったら、もう後戻りは出来ない。
玄関の扉を閉めようとした瞬間、強烈な違和感を覚えて、私は閉まりそうな扉の隙間から、外の光景を覗いた。
僅かな隙間の向こうには、女の人の姿が見えた。
月の光に照らされて、淡く輝く白い肌。
背中を覆うほど、長く、艶やかな黒髪。
黒のワンピースドレスから伸びた、細長い手足。
綺麗な、女の人が、
空を見上げて、赤い月をじっと見つめている。
「誰か……居る……っ!?」
絵画みたいに綺麗なその光景に心を奪われつつ、私は慌てて扉を開きなおした。
……さっきまで庭の中には私たち以外に誰も居なかったはずだ。なんで女の人が立っていたんだろう。
勢い良く開かれた扉は、キィィ、と甲高い音を発して開かれた。
「……あれ?」
庭には、誰も居なかった。
女の人が立っていたと私が錯覚したその場所では、背の高い雑草が風に吹かれていた。
『幽霊の 正体見たり 枯れ尾花』
そんな、聞き覚えのある句が、私の脳裏に浮かぶ。
私はあの雑草を、綺麗な女性のように錯覚してしまっただけなのか。
「ちょっと~東雲さん、演技上手すぎじゃない?今俺、誰か居るって言われて思わず信じそうになったじゃん」
「……ご、ごめんね新田くん。私、勘違いしてたみたい」
きっと、心霊スポットなんかに来たせいで周囲のものが全部怪しく見えるだけなんだ。
そう自分に言い聞かせて、私はまた扉を閉めた。心臓がまだ、ドクドクと脈を打っている。
今のは錯覚。今のは錯覚。
心の中で暗示を唱え続ける私だったけど、
さっき見えたこの世のものとは思えないほど美しい光景が、どうしても脳裏から離れてくれなかった。
■
エモノが、来た―――。
月に照らされた女は、家の中から漂ってくる人間(ニク)の匂いに舌なめずりをした。
バケモノ好みの、薄汚い欲望の気配が"4つ"。一度に4つも食べきれないだろうと考え、女は自身の小食を恨む。
女の口中には、条件反射の唾液が分泌されていた。想像してしまったのだ。甘美な肉の舌触りを。歯ごたえを。―――その味を。
女は、白い喉をこくりと鳴らして唾液を飲み込んだ。
この肉たちは供物だ。私と云う畏怖すべき存在に捧げられた、穢れなき―――否。穢れた供物。
赤い月を見上げ、祝詞を捧げるかのように女は呟いた。
「さぁ。
■
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