あべこべの世界(10)
ほら、少し先から自転車に乗った中年の男性がやってきた。
いつもこの辺で会うのだ。
今朝も蕾の膨らんだ桜の木の前ですれ違おうとしていた。
いつもの朝と同じ。
その中年男性がじっとわたしを見つめる以外は。
その時はなにも思わなかった。
ただ駅に近づくにつれ人が増え、すれ違う人たちの特に男性がわたしの方をチラリと見て通り過ぎて行くのだ。
わたしなにかおかしいのだろうか?
早足で歩きながら、わたしは自分の体を点検した。
薄手の水色のコートと茶色いバック。
ひどく汚れているわけでもない。
後ろも同じ。
破けていたりもしていない。
そうしているうちに駅に着いた。
改札を通り抜けホームのいつもと同じ場所の列に並ぶ。
その間にも何人かの男性と目が合った。
わたしはわけが分からずただ俯いて電車が来るのを待った。
「あの、よろしければ、ここどうぞ」
わたしの目の前に座っていた若い男性が席を立った。
その目は明らかにわたしを見つめている。
え?
それでもわたしは、それが自分に向けられている言葉だとは信じられず、思わずまわりを見まわす。
まわりの通勤男性達は、うん、うん、と目で頷く。
「あ、あの、大丈夫です」
わたしはとりあえず断った。
一瞬若い男性の目に失望の色が浮かんだが、
「どうぞ、僕はもう次で降りますから」
と引かない。
まわりの視線はわたしが座ることを期待している。
それにわたしは負け「すみません」と小さな声を絞り出し、申し訳なさそうに腰を下ろした。
まわりの空気が一気に和らぎ、席を譲ってくれた男性は満足げな笑みを浮かべた。
それとは反対にわたしは鞄をぎゅっと胸に抱き、自分の降りる駅に着くまで緊張のしっぱなしだった。
立っている方がよほど楽だ。
大袈裟ではない、男性から席を譲られるなんてこの27年間生きてきて一度もなかったのだ。
いったい今日はなにが起こったというのか!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます