3. ラナンキュラス



坊や、起きて…


女神さまママがそう言った気がする。


だから僕は目を開いた。


そこは大きな建物の中だった。

とても温かく、柔らかい風が吹いていた。

うっすらと開いた隙間から外を見ると

僕の右にも左にも、前にも後ろにも

いたるところに僕がいた。

下を見ると、まだ眠っている子もいた。


最初はうつむいていた僕も、次第に元気になってきた。

手を伸ばし、足をのばし、やがて花開いた。


眩しい光を浴びて、本当に僕は幸せだった。

そうしているうちに、眠っていた仲間たちも顔を見せた。


いつからか、僕の回りで音がするようになった。

ささやきであり、うわさ話であり

やがてそれは、クスクスという笑い声になっていた。


おかしなことに、僕が見ていると

その声は引っ込み

また振り返ると、逆の方で始まっていた。

訳が分からなかった。

ずっと気にはなったけれど、僕はそれを無視した。



やがて仲間たちと、ここを出る時が来た。


温かい故郷を出た僕たちは、長い時間かかって旅をした。

たくさん揺れて、昇って、降りて。

いろんな道を通ったのだろう。

けれど目隠しをしていたので、通った路はわからなかった。


道中でたくさんの仲間から「さよなら」の声が聞こえた。

僕らの行き先は、それぞれ違うんだ。


そして移動が止まった。

ここか、僕が最後にたどり着く場所は…


視界を塞いでいた覆いが取られる。

僕らは一気に眩しくなった。

他の皆もザワザワしているようだ。

たくさんの種類の花のおしゃべりが聞こえた。


「おい、僕らは花屋って所に連れて行かれるんだぜ」


不意に高いところから、声がした。

見上げると、大きな花弁をいっぱいに広げている一人の仲間がいた。

元気に黄色く尖った形の花が、とても自信ありげだ。


「はなや?」


僕は不思議そうに、その言葉を口にした。


「そうさ。これからひとつずつに、分けられる。人間が僕らの顔や足を綺麗にするんだ」

「人間…」

「お前、勉強不足だな!」


 その花はせせら笑った。黄色の花びらがユラユラ揺れた。


「僕らは人間の物になる為に育てられたんだぜ」

「ふーん」


「花屋の舞台に立ったら、早く人に取られる勝負が待ってる。

だから、そこではみんな、踊ったり、優雅にしたりするのさ」


僕は不思議な気持ちだった。

花屋。人間。もらわれる。それが僕の役目。


「お前…花びらと一緒で変なやつだな! 名前は何ていう?」

「変? 何のこと?」

「名前だよ!」

「えっと…ラナン。女神の名はラナンキュラス」

「俺はガザ。女神の名はカザニアさ。

ほら気をつけろ。お前の番だ!

くれぐれも捨てられるなよ!」


ガザの最後の言葉の意味がわからなかった。

けれど僕に考える余裕はなかった。


僕は一気に持ち上げられると、大きな動く物に運ばれた。

これがガザのいう、人間だろうか?


キャーキャー言う仲間たちが、次々と人の手に取られていく。

細長いものは短くされ、太ったものは葉っぱを取られていく。

僕は壮絶な光景にびっくりしたけれど、みんな痛くないみたいだ。


僕の横で、ガザがまるで踊り子みたいに

クルクルまわりながら

ブーケの中にきれいに飾り付けられていた。


出来上がりは素晴らしかった。

黄色、白、赤、ミックス色。リボンまで付いている。

そのアンサンブルの見事さに、僕はおおいに興奮した。

と同時に、僕もあんなふうに綺麗にしてもらえると思うと、ワクワクした。


僕は水の風呂に入ったまま、出番を待っていた。


その時、ふと目の前の壁に、変なものを見た。


とっても滑稽な花だった。

僕と同じラナンキュラスの女神から生まれた花。

本当はピンクの花弁に包まれているのに

飛び出したように一枚だけ、白い花びらが付いていた。

いけないと思ったけれど、僕は思わず笑いそうになった。


そこに人の手が伸びてくるのが見えた。

いよいよ僕の番が来たと思った。


けれどその手は僕にも、その滑稽な花にも、全く同時に伸びてきた。

僕がフワリと持ち上がる。

その子もフワリと持ち上がる。

まさか…


「女神の名にかけて!!」


驚いて、ママの名前を出してしまった。


それは僕だった。

壁に写った僕。初めて見る自身の姿。


自惚れるわけじゃないけれど

あの綺麗な女神さまが生んでくれたんだから

いつも見ていた周りの皆のように

普通に咲けていると思っていた。


それなのに…

まさか、今まで――

いや今もこんな姿だなんて!


気づいた瞬間よりも

じわじわと思い出す過去の記憶が

僕を落ち込ませた。


周りのクスクス音――だからいつも僕を笑っていたんだ。

花びらと一緒で変なやつ――だから僕はおかしいんだ。


どんどん気持ちが沈んでくるにつれ

僕の元気に咲こうとする力は、衰えていった。

咲く幸せを失った花は、すぐにしぼんでしまう。


その失望が、人間にも伝わったのかもしれない。

それとも、こんな花は手入れの必要すらないって思われたか。


だから僕は切られも、飾られずもせず

ただ一人だけぽつんと、この場所に残されているんだ。


僕は落ち込む心に抗う術もなく、ただうつむいていた。

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