女媧降臨 その1

 才能、容色、血筋に健康。

 人間、どうにもならないこともあるものだ。

 ただし人は人、おのれは己。持たぬ者は、ねたそねみなぞいだいてもしょうがない。ゆえに、ひたすら自己をけんさんし努力を続けることで、きっと道もひらけるはず──

「……なんていつぱんろんで心のへいおん保てるほど人間できてないんで、わたくし気がすむまでしつすることにしたのよ」

「何を今さらなことを言ってんですかすうさま」

 姫さまが他人をうらやんで生きてるのは今に始まった話じゃないでしょう、とあきれ顔の侍女に、「だって羨ましいんだもの」とらん雛花は遠い目をした。

 うっすらとおぼろぐもそうてんえる、なかにわ椿つばき。そのあでやかないろから目を離し、雛花は、幼い頃からの付き合いになる優秀なじよを見やる。

「いいわよねらくは。美人だし、すらっと背は高いし、仕事はデキるし、胸は大きいし。おまけに武芸の腕は一級品で、並みいる男どもを押しのけてりゆうぐんに仕官なんて話も出ているそうじゃない。聞いたことないわよそんな完璧女子」

 不満顔でじとっと見つめる雛花に、雛花付きの女官のとう珞紫はからからと笑って「どうも」と返してくる。

 くりいろの髪を後ろでひとつに束ね、しなやかな長身を男もののほうで包んだこのじよは、雛花の護衛もねている。はくいろひとみをくるりとめぐらせ、彼女は白い歯を見せて笑った。

「そっすねー、まあその話、私は雛花さまの付き人をす気がないんで早々にお断りしたんですけどねー」

「……ありがとう。そこは感謝してるの。だけど、それとこれとは別だから嫉妬をやめる気はなくてよ」

「あ、分かってます」

 春をむ詩に「しゆんみんあかつきを覚えず、しよしよていちようを聞く」とはよく言ったもので、ぽかぽかとねむさそう陽気に、どこからともなく聞こえてくる雲雀ひばりのさえずりがのどかだ。

 緑のしげなかにわを見下ろすだいへり綿めんあらぬのいて座し、手習い用のちくかんに筆をすべらせていた雛花は、みしっと音を立てて写しかけのせきへんを握りしめる。

「ああ羨ましいやれ羨ましい心の底から妬ましい。前から思っていたけど、おまえ、きっと人生『いいじいもうど』なのね」

「……なんスかねその『いいじいもうど』って」

「老人になっても禿げず、豊かな毛量をほこって周囲のおばあさんにモテモテなおじいさんのように、いつかつしてかいに送れる人生だってことよ」

「ああ、『いいじいもう』っすか……いや、私は女性なんで、それを言うなら老いてもしわひとつないつるつる卵肌の『いいばあ』がいいですけどね」

「わたくしも『いい爺毛度』な人生がよかったわ。珞紫なんて、わたくしの知らないところでそっと出世してしまえばいいのよ」

「いや、のろいになってませんからねそれ。って、そうはおっしゃいますが雛花さま。あなたがお持ちのものも、普通に考えれば相当なものだと思いますよ?」

 珞紫は雛花の全身をまじまじと見て、笑みを深めた。

 ほのかにこんぺきを帯びた黒髪。長く豊かなそれは、ひとふさ編んで頭頂でくるりとそうかんを結い、こうがいしつぽうちようかんざしめてもなお余る。

 こうじよとしては異例なほど質素なりのじようじゆくんに包まれたきやしやたいうすあさはくをかけた細い肩。白磁の肌にさんくちびる、長いまつげに縁取られたれて大きく、こうさいじやくの羽のようなふかみどり

「うん、今日も大変お美しい。ってホント、黙ってりゃけいせいけいこくてんによもかくやな外見なのに、口を開けば台なしそのものですね我らが姫さまは……どーしてこう、嫉妬深い残念なごしようぶんなんですかねえ……」

「聞こえなくてよ。ものははっきりおっしゃい珞紫」

「いえ? 何を羨ましがることがあろうかと。なにせあなたは」

 このかいていこくのごそうしつ、公主さまなのですからね、と。女官は続けて笑った。

 聞いた瞬間、雛花は「皮肉?」とほおをひくつかせる。

「──公主なんて名ばかりのみそっかすだけれどね!」

 うららかな午後のしは、ここ、槐帝国のきんじようにも春らしさを運んでくる。

 ろうちゆうおう釉薬うわぐすりがつややかに光を弾くがわらあざやかなりの柱、雪のごときしらかべの対比が見事なきゆう殿でん

 広大な敷地には、んだ水をたたえた湖に、曲線をえがたいばしや、青々とこけむしたたいせきを配し、かいろうつながれながら群れを成すしようきゆうが連なる。昼は花々が咲き乱れ小鳥がさえずり、夜はりようふうが吹き月がこうこうえた。

 通常であれば、このように美しく恵まれたかんきようでのびのびと育ったおうこうじよたちは、心身ともにすこやかで、あるいはかんだいな、あるいは尊大な性質を持つ。

 ただし、とある事情を持つ雛花だけは例外である。そんな四季折々の花々を咲かせる庭を歩くたびに、きようだいたちから後ろ指をさされてきたのだから。

 かぐわしい花のかんばせにだけ恵まれても、しよせんは実を結ばぬ花。

 ──あだばな公主、と。

『なんであいつはまだ禁城にいられるんだ? たしか、昔鹿をやらかしたばつで、かろうじてこうせきはくだつされていないような身分なんだろう?』

『後宮から追放されて、使用人もわずか二、三人の小離宮暮らしだなんて、帝国史上きっと初めてよね。しかも離宮とは名ばかりのおんぼろあばら家よ』

『おまけに、お勉強はできても術でのじつせんはてんでな役立たず。しょせん見てくれだけじゃあねえ』

(ええそうですとも。できそこないの落ちこぼれなのは事実だし、あばら家暮らしも、悪口言われ放題イヤガラセされ放題の生活も、ぜんぶ自分で選んだ結果ですけれども!!)

 兄姉たちは、ひらひらきらきらと美しいころもを見せびらかしながら、みじめな離宮暮らしの雛花をさんざんいびった。

 中には、実害をともなう悪質ないやがらせもあった。きぬを汚されたり、暴れ馬やきようけんをけしかけられるのはじよくちで、小離宮に火をかけられそうになったことすらある。

 そして、生前のていは、それらを全部知らんぷりどころか、あおるようなそぶりすらあった。

(──だからってなんなのよ!)

 心ない人々に負けて、しようまでそこないにするのはまんがならない。

 そこで雛花は、いかりの力を注ぎ込み、ひたすらに己の研鑽に努めた。書ひとつ取っても、書庫をひっくり返すほど広く読みあさり、手習いをし、すみずみまで覚えるほど繰り返し、かんぺききわめる。

 それだけなら「ごせいえんどうも、おかげで成長できました」と美談ですむ。

 が、その反面──長年にわたるあれこれに、雛花はすっかりやさぐれてしまっていた。


「ふふふ……悪口を悪口で返してどろの塗り合いしてたんじゃ、つまらなくてよ。どうせなら、人にさげすまれる前にぎやくして、まれる前に足の下にもぐって嫉妬にあふれたまなざしで見上げてぎもを抜いてやってよ!」

「いや、それはそれでどうかと思いますよ雛花さま」


 平たい話、「どいつもこいつも恵まれすぎだわ……!」と相当な羨ましがりの嫉妬深い性格になってしまったのである。

 趣味、自虐。特技、嫉妬。

 に周囲から「あいつよりもマシだ」と言われ慣れていない。

「ふふ。たとえるに徒花だなんて皆さまうまいことおっしゃいますのね。どんな花でも咲くのは地べたから。人から動植物に始まり果ては水や空気に対してまで、大輪の嫉妬のはなを咲かせ続けていくせいそう、槐宗室の自虐姫とはわたくしのことよ!」

 とはいえ兄姉たちは、やがてきたのかとんと手を出してこなくなったのだが、雛花の嫉妬自虐へきが直ることはなかった。あるじのたわごとに、珞紫はけんんでいる。

「ドヤ顔で言わないでくださいよ。別に踏まれっぱなしで終わる気はないんですよね? 一発逆転ねらってるっていつも息巻いてるじゃないですか雛花さまは」

「そうね。このとうげんではそれが可能だもの」

(ええ。この地で、宗室であるわたくしに打てる手はひとつだけ)

 ──わたくし、何をしてでも必ず『てんこう』になってやるの、と。

 じやくみどりの瞳にとうを宿らせ、雛花は小さくこぶしを固めてみせた。



 うつそうと暗くしげる巨大な樹海や、一面のかいが、東西をへだてる世界、その東側となる『とうげん』。

 創世神話いわく。一対の男女神、ふつが縦糸を、じよが横糸を。こんとんより『文字』としてし取り、つむぎ出し、織り上げた一枚布がこの桃華源だ。

 そしてすうの国、かいていこくは、千年の長きにわたり桃華源のほぼ全土をべている。よくで広大でありながら、おそろしいひといのばけものがばつする地を治めるため、槐こうていの血筋には代々不可思議な力が宿っていた。男女の創世神と語らい、その身に降ろすことができたのだ。

 すなわち。

 がみ、伏羲に選ばれ、その力をつかさどる者が『皇帝』に。

 がみ、女媧の力を得た者は、皇帝を助ける『てんこう』として。

 神々に選ばれるごとにそれぞれが立ち、代々国を治め、守護してきた。

(皇統の誰が天后になるかは、まさに女媧にやんにやんのみぞ知ることだもの。だからわたくしたちにできるのは、せいぜい娘々に選ばれる努力をするだけ)

 不思議なことに、神々に選ばれるのは皇帝の子供だけ。また、その力は、神話のとおり文字に宿る。だから、皇子皇女らは、詩歌しいかをはじめ、文字の世界を学ぶ必要がある。もし己が神々に選ばれた時、正しくその力を使いこなすために。

 神に選ばれたたん、権力の頂点におどり出る彼らは、一人の例外もなくめいくんぞろいであることで有名だった。ことに勤勉で、人徳があり、力におごらずぜんせいける者だけが力をさずかるのだとは、周知の事実となっている。

 ところが、その天后の座が、ここ二十年ほどいたままなのだ。

(だからわたくしが、もっともっともっと勉強して、絶対に天后になってやる。天后のあかしれんりゆうりんもんを、この手首に浮かばせるのよ。それで必ず、こうにいさまを──)

「あ、雛花さま。言い忘れてましたけど、そろそろお客さまがおいでのはずですよ」

 考え事に沈んでいた雛花は、珞紫の声ではたと顔を上げた。

「お客さま?」

「ええ。さっき、けいしようぐんが、間もなくこちらに姫さまの顔を見に来られると……」

「うそ、紅兄さまが!? それを早く言いなさい!」

(わたくし、髪は乱れてない? ああもう、紅兄さまがいらっしゃるなら、もっとれいな格好をしておいたらよかった!!)

 湖面に姿を映してあわてて身だしなみを整え、布のくつに包まれた小さな足を鳴らしてぱたぱたと門に駆けていく雛花の背に、「乙女おとめですねえ」とあきれたように珞紫がつぶやいたのは、本人には聞こえていなかった。



こうにいさま! ごめんなさい、こんなところでお待たせしてしまって」

 すうなかにわの入り口に駆けつけた時、くだんの客はすでに到着していた。

 ひび割れたこうがんげつりようもんから伸びる回廊の、りの柱に背を預けるちようの青年を認め、雛花は上がった息と一緒に、どきどきと速まるどうなだめる。

「そう急がなくてもだいじようだよ、しよう。元気そうで安心した」

 微笑ほほえんでこちらを見下ろす彼の、深いいろの虹彩が特徴的な切れ長の眼に、「ええっと、紅兄さまも」としどろもどろに返しつつ、雛花は思わず見とれた。

 けいこう

 雛花の三つ年上で、きんぐんりゆうぐんどうしようぐんを務める若きしゆんさいだ。

 すずやかに整ったしゆうれいおもて。うなじだけを伸ばして結い上げかんむりの下でまとめられた、陽にすかすとあかがねの光を流す黒髪。袖や裾にらいもんい取ったのうこんほうはきものを身につけた長身は、一見してそうしんではあるが、無駄のない筋肉でよろわれている。

(本当に。紅兄さま、今日も、……素敵だわ)

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