最期

 「ありましたね」


 がそごそと、袋の中身を確認し、伊東が言った。

 袋の中身は、楠のズボンと、床を拭いたであろうタオルが入っている。

 それは、伊藤の部屋から見つかった。


 「お前が、だいいち……第一発見者にならなければ捕まる事はなかった! 死体が発見される前に、証拠を処分する事が出来たのに! なぜあんな行動をしたんだ!」


 八田は、手錠を掛けられ両脇を警官に押さえつけられた状態で、伊藤に食って掛かった!


 「だって、廊下側のノブの指紋を拭いてない事に、今朝気が付いたから……」


 「は? 意味わかんねぇ!」


 伊藤がガクッと膝を付き答えるも、八田は怒鳴りつける。


 「もしかして、指紋の付いた順番か?」


 「私のが一番上だって気が付いたのよ。彼女のが一番上じゃないとおかしいでしょう……」


 項垂れて、遊佐の質問に伊藤は答えた。


 「何やってんだよ! そんなの拭いときゃ……」


 「もう、やめて!」


 耳を押えて、相内が泣き崩れる。


 「大丈夫ですか?」


 遊佐が彼女に寄り添った。

 ミキは、チラッと相内を見ると伊藤に話しかける。


 「ねえ、アカネさん。楠さんと何があったのか話して。彼女の最期を知りたいの」


 「おい、この状況でか?」


 ミキの語り掛けに、遊佐は驚く。


 「私も知りたいわ。どうして、こうなったのか……」


 もう聞きたくないと言っていた相内が賛成し、遊佐は更に驚いた。


 「本当は私、楠さんの事忘れていたの。でも楠さんはきっと、私に気が付いていたわ。私は、気づけなかったのに。……彼女、怒るどころか謝ったのよ。もしかしたら、あなた達を殺してしまうかもと思ったのかもしれない」


 ミキのその言葉に、伊藤は弱弱しく頷いた。

 もう、強気の彼女では、なくなっていた。


 「殺すつもりなんてなかったの……」


 そう言うと、伊藤は静かに語り始める――



 ○ ○



 ――部屋の中は、お酒の香りが充満していた。


 「もう零時過ぎだ」


 「あら、もうこんな時間」


 八田が言うと、伊藤も時間を確認し頷く。時刻は零時十分。


 「じゃ、もうお開きする?」


 「そうだな」


 相内が提案すると、八田が同意した。


 「じゃ、シメはこれどうぞ。私、特製ドリンクよ。明日の朝、スッキリと起きられて、二日酔い知らずよ」


 伊藤はそう言いつつ、空いているグラズに特製ドリンクを注ぐ。

 それを手に取り相内は、一口飲んだ。


 「ありがとう。あら、おいしい!」


 相内は、八田に振り向く。


 「秋広も頂いたら?」


 「俺は、いいよ。おなかいっぱい」


 「では、私は部屋に戻るわ。お休みなさい」


 八田が断ると、伊藤は部屋を出て行った。

 その後相内は、ドリンクを飲み干した。

 パタンとドアを閉め振り返った伊藤は驚く。

 自分の部屋の前に、楠がいたからである。


 「驚かさないでよ。私に何か用?」


 「私もそれ、飲みたいわ」


 左手に持ったトートバックを、楠は指差した。


 「もしかして、覗いていたの? ……別にいいわよ。あなたのお部屋行きましょう」


 驚くも、断ったら不自然だろうと、伊藤は承諾する。

 楠の部屋に入ると、伊藤はコップに特製ドリンクを注ぐ。


 「どうぞ。日持ちしないから、直ぐに飲んでね」


 「ありがとう。……ねえ、あなたも一緒に飲まない?」


 「私は、部屋に戻ってから飲むからいいわ」


 「……そう」


 伊藤は、楠の態度がおかしいと思った。何かを確信したかのような顔をした。しかも、飲みたいと言いながら、口にしようとしない。


 「別に何も入ってないわよ?」


 その言葉に俯き、低い声で楠はこう言った。


 「……嘘付き。睡眠薬が入っているでしょう!」


 突然の変貌に、伊藤は驚く。


 「何、言い出すのよ。入っている訳ないでしょう?」


 「じゃ、飲んで見せてよ!」


 「バカバカしい。もう戻るわ!」


 ふんっと、伊藤がドアに向かう。


 「別に警察に持っていくだけよ!」


 その言葉に、伊藤はピタッと歩みを止める。


 「なんなのあなた?」


 伊藤は、振り向き睨み付けるも、楠も睨み付けていた。


 「あなたが飲ませた睡眠薬ドリンクで、交通事故を起こした宮崎の恋人よ!」


 伊藤は一瞬驚いた顔をするも、すぐさま返事を返す。


 「し、知らないわよ」


 「ずっとあなたを探していたわ。八田さんと手を組んでいるのも調べ済みよ!」


 伊藤は、楠から目線をそらした。


 「あれは、私のせいじゃないわ! ドリンクを飲んでいる最中にあなたから連絡が来て、引き留めるまでもなく行ってしまったのよ! 殺すつもりで飲ませた訳じゃないわ……」


 楠は、信じられないという顔をした。


 「何よそれ! 死んだのは私のせいって言いたいの? 人、ひとりが死んだのに、あなたはまだ犯罪を続けていた! 何とも思ってなかったんでしょう!」


 「あの時は、私だってショックを受けたわよ。でも、警察が自殺で片付けてくれて助かったわ……」


 楠は、怒りで肩を震わす。

 反省なんて一つもしていない! それどころか警察が自殺で片付けてくれた事で助かったと、まだ犯罪を続けていた!


 「何よそれ! 助かったって! 許さない! 警察に持って行こうと思ったけど、まどろこしいのはやめて、私の手で復讐するわ!」


 楠は目に涙を溜めて叫んだ。


 「え?」


 伊藤が驚いて楠を見ると、自分に突進してくるので、伊藤は慌てて逃げようとするが、トートバックをつかまれてしまう!


 「ちょっと離してよ!」


 楠は、もみ合いの中トートバックを奪うと、後ろに放り投げる。それは奥に飛ばされ、特製ドリンク入りの水筒は飛び出し転がった。そして、伊藤はその拍子で、前につんのめった!

 伊藤は、慌ててそのまま部屋の奥に逃げる。


 ――殺される!


 楠が本気だとわかり、伊藤は恐怖する!


 「ご、ごめんなさい。悪かったわ」


 「そんな上辺だけ謝られたって、嬉しくないわ!」


 そう言うと、楠はガシッと伊藤を掴んだ! 二人は、テーブルの横で再びもみあいになった!

 楠がテーブルを蹴ると、コップが倒れドリンクが零れる。そして、楠のズボンにも滴った。


 「もう、いい加減にしてよ! あれは事故よ! 運が悪かったのよ!」


 伊藤が楠を突き飛ばすと、彼女は水筒を踏み、体制を崩しておもいっきり後ろに転倒した!

 ガツンと言う音と共に、彼女は動かなくなる。


 「ちょ、ちょっと大丈夫……」


 伊藤が声を掛けるも、楠は壁にもたれたまま項垂れ、反応を示さない。


 「うそ……」


 伊藤は、愕然とする。

 震える手で、八田にLINEを送る。



 ―今すぐ、部屋から出て―



 やっとそれだけ打つとドアを少し開け、八田が出てくるの待った。

 出て来た彼を伊藤は、手招きする。

 自分の部屋からではないのに八田は驚くも、部屋に向かう。


 「何なんだよ……」


 小声で言うと部屋に入り、楠を見て驚く。


 「おい。何があった……」


 伊藤は、ドアを静かに閉めると、俯いて震える声で答える。


 「彼女、前に睡眠薬飲んで交通事故を起こした人の恋人だったみたいなの。私達の事、調べ上げて復讐しようとしてきて……。殺すつもりなんてなかった。逆に殺されそうになって、突き飛ばしたら、あ、頭を打ったみたいで……」


 「マジかよ……」


 暫くジッと楠を見ていた八田は、水筒に気が付き、それを回収し伊藤に手渡す。


 「取りあえず、零れたジュースを拭いて、着替えさす」


 八田は、クローゼットを開けた。彼はパソコンを操作していたのか、手袋をしていた。


 「着替え?」


 何故そんな事をと伊藤は聞いた。


 「彼女のズボンにもジュースがかかってるんだ。……なんだこれ? 鍵掛かってる」


 八田は、スーツケースを開けようと見ると、鍵が掛かっていた!


 「バックとかないか?」


 辺りを見渡しながら、伊藤に八田は言う。


 「え? あ、ベットの上……」


 八田はベットに近づくと、ショルダーバックの中身をベットの上にザッと出すとカギを探す。


 「ないな……」


 八田は出した物を乱暴にバックに戻すと、楠の前に立った。

 少し躊躇してから、彼女のポケットの中をまさぐる。


 「どこにあるんだよ!」


 鍵はポケットにもなかった。

 その様子を茫然と見ている伊藤に、八田は言う。


 「おい! 部屋に戻って何かはかせるもの持って来い。あと、床を拭く為のタオルか何かも」


 「え? わ、私のをはかせるの! 嫌よ!」


 八田は伊藤を睨み付ける。


 「じゃ、このままにしておくか?」


 「別に、鍵壊して出せばいいじゃない」


 「そんな事したら、着替えさせた事がバレるかもしれないだろう」


 伊藤は俯き、少し経ってから頷いた。


 「わかった。タオルと一緒に持って来る」


 伊藤は自分の部屋から、はくものを持って来ると、八田に手渡す。


 「これか……」


 受け取ったタイトスカート見て、八田は言った。


 「し、仕方ないじゃない。もう一着はワンピースなのよ……」


 八田は溜息を付くと、廊下に出てタオルを洗面台で濡らし、零れたジュースを拭き始める。


 「お前は、乾拭きしろ。指紋つけるなよ!」


 伊藤は頷くと、八田の後に乾拭きをする。

 ジュースを拭き終えた八田は、深呼吸すると楠のズボンを脱がした。それを、無言で伊藤に手渡す。

 そして、脇を持つとうつ伏せに寝かせた。それから、スカートをはかせると、後ろについているチャックを上げた。


 「その乾いたタオルを寄こせ。で、お前はドアの前にいろ」


 伊藤がタオルを手渡すと、八田は、後ろ向きでドアに向かって拭き始める。


 「何をしているの?」


 「テーブルの部分だけだと、何かこぼしたのかもと感づかれるかも知れないから、ドアまで拭く。そうすれば、足跡を消したって思うだろう?」


 八田の回答に、伊藤はなるほどと頷く。


 「ねえ、彼女はそのまま?」


 「俺はもう、触りたくねぇ。戻したいなら自分でしろ」


 伊藤は、ブンブンを首を横に振る。

 ドアまでたどり着いた八田は、パチッと部屋の照明を消した。


 「いいか。明日、朝食を食べ終わったらすぐに街に出て、それ処分しろよ」


 「え? 今しないの?」


 八田は、暗がりの中、深いため息をつく。


 「お前、どうやって街に行くつもりだ? そこらへんに捨てたらすぐに見つかるだろうが!」


 「あ、うん……」


 伊藤は、弱弱しく返事をした。


 楠が発見されれば、殺人だとすぐにわかる。

 ここ一体を捜索する恐れがあった。また歩いて街まで行くにはここは遠すぎた。途中で歩いているのを誰かに見られるのもまずい。


 「明日、俺が楠さんが朝食いらないと言っていたと誤魔化すから。いいな!」


 伊藤がわかったと言うと、八田はそっとドアを開ける。だが、直ぐに閉めた。


 「どうしたの?」


 「っし」


 八田は、もう一度開け、廊下を確認する。


 「女?」


 堀の部屋にロングヘアーの女が入っていくのが見えた。


 「女って、誰かいたの?」


 「気にするな。さっさと部屋に戻れ」


 頷くと、伊藤は自分の部屋に戻った。

 八田は、自分たちが立っていた場所を拭き終えると、ドアを閉めた。そして、一番の部屋に戻ったのである。――



 ○ ○



 「まさか、小細工が全部見破られるとはな……」


 伊藤が話し終えると、八田は力なくそう呟いた。

 そして、二人は連行されて行った。


 「あの、刑事さん……」


 「はい?」


 まだその場に残っていた伊東に、相内は話しかけた。


 「もう、ここに泊まらなくてもいいですよね?」


 「え? あ、はい。犯人は、その……逮捕されたので、構いませんが」


 相内の質問に、伊東は答えづらそうに言った。


 「よかった。あの部屋に泊まるのは、ちょっと辛くて。私、札幌のホテル探して移ります」


 「わかりました。あの、えーと……気をしっかり持って下さいね」


 相内は、静かに頷く。


 「若狭さん、遊佐さん、ありがとうございました」


 相内は、深々と二人に頭を下げた。


 「いえ。警察だと黙っていて申し訳ありませんでした」


 遊佐も軽く頭を下げる。


 「何て言うか……。あんなやり方しか出来なくてごめんね」


 ミキがそう言うと、相内は首を横に振る。


 「まんまと騙されていた自分が恥ずかしいです。お二人が、泊まっていて救われました。では、私は支度がありますので……」


 相内は、そう言うと自分の部屋に戻っていた。


 「心身を安めに来たのに、疲れた……」


 遊佐はボソッと言うと、思い出したように、ミキは伊東に声を掛ける。


 「あ、そうだ。刑事さん!」


 ミキに呼ばれ、伊東はビクッと体を震わした。


 「なんでしょう……」


 「そんな身構えなくても。無事解決ありがとうございます」


 大げさに頭を下げると、伊東はボソッと漏らす。


 「それは、嫌みですか……」


 「本心よ!」


 「解決したのは、あなた達でしょう!」


 「そんな事ないわ。令状は、私じゃ取れないし。情報を流し……提供してくれたおかげだし……」


 ミキがニッコリと言うと、伊東は慌ててミキの口をふさぐ。


 「やめて下さいよ!」


 「あ、ごめんごめん」


 伊東は、大きなため息をついた。


 「お願いですから、聴取で変な事言わないで下さいよ!」


 「あれ? あなたがするんじゃないの?」


 「俺と宮川さんです!」


 「了解」


 伊東は、不安げに遊佐を見た。


 「まあ、なんとか誤魔化せるだろう……」


 遊佐の言葉に伊東は、これからが一番大変だと、更に大きなため息をついたのだった。

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