星空の誘惑
カラカラと緑色の大きなスーツケースを引っ張り、改札口で切符を入れ通過する。そして、ボブの髪を揺らしながら建物の外へ出た。
「やっと着いた」
やっと言う割には、顔は笑顔である。
「憧れの小樽! って北海道ってさむ!」
今は六月上旬。雪はなくともまだ寒い。
うーんと両手を上に伸ばし、体を伸ばしていたが、寒さでその手は自分を抱きながら腕を擦る。
彼女は、
白いシャツに薄手の緑のジャケット。ジーパンにスニーカー。肩から斜め掛けしたクリーム色のショルダーバックと、あまり洒落っ気はない。
「でも、いい眺め。駅出たら海見えるなんて! よし! 二泊三日の旅、楽しむぞ!」
寒そうにしながらもそう意気込むと、左手にあるタクシー乗り場に急ぐ。
タクシーは沢山止まっているが、人は並んでいなかった。
ほとんどの人は、右手の横断歩道から目の前を横切る国道に向かっている。その道路を渡り緩やかな下り道をまっすぐ進むと、運河に辿り着く。
後で行ってみようとミキも思った。
ミキは、タクシーに乗車した。
「どちらまで?」
「アッホームまでお願いします」
「アットホームですね。わかりました」
運転手は頷き発進する。
今日から宿泊するアットホームは、格安だった。多少の条件付きだとしてもお得だと飛びついたのである。
タクシーは、市街地からどんどん離れ、山奥に入っていく。
暫くすると、ポツンと二階建ての建物が見えて来た。
白で統一された大きなお家のような造りで、新緑によく映えている。そして、何故か二階から湯気が出ていた。
「あれが、露天風呂!」
「今日は少し寒いからね。湯気がよく見える。着きましたよ」
ミキの言葉に運転手はそう返し、車を停車させた。
「ありがとうございます」
かぱっと開いたドアから降りると、トランクから運転手がスーツケースを取り出し手渡す。
「ありがとうございます」
「いらっしゃいませ」
とそこに後ろから声がかかる。
アットホームの四十代ぐらいの女性スタッフだった。
白いポロシャツに紺のパンツ。その上にアットホームとロゴが入った緑のエプロンをしている。そのエプロンには高橋とネームがつけてある。
「あ、お世話になります。若狭です」
「若狭様、お待ちしておりました。玄関にカウンターがありますので、そちらで受付をお願いします」
と、高橋は軽く頭を下げる。
「はい。あの、本当にタクシー代は……」
「はい。こちらでご負担致します」
「ありがとうございます」
HPに載っていた通り、本当にタクシー代まで負担してくれるんだと笑顔でお礼を言うと、言われた通り玄関のカウンターに向かう。
「いっらしゃいませ」
カウンターにいたのは、こちらも四十代の女性スタッフだった。高橋と同じ服装でネームには菅原と書いてある。
「あの、若狭です。お世話になります」
「若狭様ですね。お待ちしておりました。では、確認をさせて頂きます」
「はい」
ミキは頷く。
「料金は前払いで、二泊分頂きます。予約時の条件通り、一泊でも二泊分となります。また、夕食と朝食は、お泊りの皆さまご一緒でお食事をして頂きます。夜は十九時半、朝は七時半となっております。食堂は二階の右手になります。宜しいでしょうか?」
「はい!」
ミキは、嬉しそうに頷いた。
これが多少の条件だった。
原則、食事は宿泊者全員で食べ、皆仲良く家族のような時間を――が、アットホームのコンセプトだった。
なので泊まれる人数も少ない。
「お風呂ですが、朝の七時半から九時まで掃除の時間となっており、その時間以外でしたら好きな時間にご入浴頂けます。場所は、二階になります。因みに混浴はございません」
「わかりました。あ、そう言えば、ホームページに展望台があるって書いてあったんだけど……」
菅原は頷くと、玄関を向き右手を開いて右に向け、丁寧に説明をする。
「玄関を出ますと、右手に小道がございます。十分ほど歩きますと、海が展望できる場所があります。道には、足元を照らすライトが設置してありますので、夜でも行くことができます。夜は海は見えませんが、満天の星空をご覧いただけます」
「わぁ、それは楽しみです!」
ミキが目を輝かせて喜ぶと、ではと菅原は宿泊カードを出した。それに書き込み、料金を払う。
「お部屋は三番になっております。お手数ですが、お一人でお部屋までお願いします」
「はい。大丈夫です」
菅原が深々と頭を下げると、ミキも軽く会釈し部屋に向かう。
玄関に入ると、目の前がカウンターで、左手に廊下があり部屋が並んでいる。
カウンターを右手に真っ直ぐ進むと、三番と書かれた部屋に着く。勿論、順番に番号が振ってあるので、三番目の部屋である。
「あら、こんにちは」
ドアを開けようとカギを差し込むと声が掛かり、ミキは振り向いた。
白いシャツに踝まであるオフホワイト色のプリーツワイドパンツをはいた、黒髪ロングヘアーの女性が立っていた。
「え? どこから?」
「あ、私一番乗りで着いたから、早速お風呂に入って来たの。脅かしてごめんね」
そう言って、ちょうど三番と四番の間にある向かい側の階段を指差した。
この階段の上に食堂とお風呂がある。
「はや! あ、私、若狭ミキです。言いづらいのでミキって呼んで下さい」
「私は、隣の四番に泊まる
楠は、そう言ってほほ笑むと、自分のドアに向かう。
「宜しく」
ミキもそう返すと、ドアを開け入っていく。
ドアは部屋の方に開くので、そっと覗きながら見てみる。
八畳ほどの部屋の左奥の壁に寄せってベットが置いてあり、頭の方の壁にはベットのすぐ横に大きな窓があった。
ベットの手前には、ベットと同じだけ出っ張ったクローゼットがある。
そして中央よりやや奥側には、二人掛けのソファーが窓側に向けて設置してあり、その前にはローテーブルも設置してあった。
パタンとドアを閉めると、ミキは部屋の中を見渡す。
「シンプル……」
スーツケースを取りあえずクローゼットの前に置き、ミキはソファーに腰掛ける。
そして、テーブルの上にアットホームの案内書を発見し、手に取った。それをひっくり返すと案内図がある。
「トイレって部屋にないんだ。階段の横……近くてよかった」
案内図を見て呟く。
ミキは、腕時計に目をやる。時刻は、十五時半を過ぎていた。
「うーん。思ったより街から遠いし、私もお風呂入っちゃおうかな」
そう思うとすぐ行動で、スーツケースからお風呂に必要な物を出し、備え付けのバスタオルを持ってお風呂場へ向かった。
二階に上がると右手に食堂があり、左手側は手前が女性用で通路の向こうが男性用となっていて、通路を挟んで向かえ合わせに入口があった。
のれんをかき分け中に入りると、脱衣所は四畳ほど。お風呂は二つ。一つは、露天風呂になっていた。
体を洗うと、早速露天風呂につかった。
「温まるー。海も見えて最高! そういえば、楠さんだっけ。どこかで見た事あるような気がするんだよねー」
思ったより風もなく穏やかだ。
ここからも海が見下ろせ、うーんっと考えながら贅沢な時間を堪能した。
お風呂から上がったミキは、浴衣のサービスはないのでまた服に着替え、ベットの上にごろんと横になる。
「今日は疲れた。近くにコンビニもないし、夕飯までどうしようかな……」
出掛けるなら車が必要だろう。
ミキはそう言いながらも、ウトウトしはじめ、ハッと気が付くと十九時近くだった。
「寝てしまった……」
長旅で疲れ温泉でリラックスした為か、ぐっすり寝てしまったようだ。辺りは薄暗い。
ドアの横にあるスイッチで、電気を点けた。
「後三十分でご飯か。確か、五分前に着席だっけ? 暇だしもう行ってようかな」
点けた電気を消して、目の前の階段をスリッパでパタパタと駆け上げる。
食堂に入ると、左端の奥に一人女性が座っていた。楠だった。
大きなテーブルに、四人ずつ迎え合わせに座れる様に椅子が設置してあり、ミキは楠の前の椅子に座った。
「先ほどはどうも」
「あら早いのね。って私の方が早いわね」
それに少し照れながら、ミキは答える。
「寝ちゃって。もう時間だから少し早いけど来ちゃった」
それを聞いて楠は、クスッと笑った。
「物音ひとつないと思った」
他愛もない話をしていると、男女の三人組が入って来た。
その三人組は、楠の横に来ると、一人の女性が声を掛ける。
「ここ、いいかしら?」
「どうぞ」
楠に声を掛けた女性は、胸の長さまで伸びた髪から大きな円型のピアスが覗き、メイクもばっちり。Vネックのシャツに短めのAラインのスカート。柔らかめのピンク色で揃えている。
続いてその隣に、もう一人の女性が座る。
彼女は先ほどの女性と対照的で、長い髪を後ろで一つに束ね、黒系のパンツスーツ姿だった。仕事が出来ますという感じだ。
そして、その横には男性が座った。
紺に白のストライプシャツに紺のスラックス。それに甘いマスク。女にモテそうだ。
「ここいか?」
対照的な二人を見比べていたミキに、男性から声がかかる。
「どうぞ」
そう答え、彼を見上げた。
眼鏡を掛け、ライトベージュのシャツにパンツ、黒のオープンジャケットを羽織っていた。先ほどの男性から見れば堅物に見える。
「失礼します」
さらにその隣に、静かに男性が座る。
白シャツに薄手のグレーのカーディガンを羽織り、白っぽいジーンズをはいている。
彼は優し気な感じだ。
これで七時半前に全員揃った事になる。
ミキは全員を見渡して、思っていたより若いと思った。ミキと同じ二十代に見えた。今の若者は、家族を求めているのだろうかと、自分も同じぐらいな歳だというのにそう考えていた。
「あの、まだ夕飯までに時間がありますし、軽く自己紹介しませんか?」
楠が提案すると、皆賛成する。
「では、私から。四番に宿泊します、楠里奈と言います。宜しくね」
楠が会釈して挨拶をすると、隣の女性が続けて挨拶をする。
「私は、
「私は、
「俺は
伊藤に続けて、二人も挨拶した。
三人は何かのサークル仲間なのかと思ったが、相内と八田がカップルだった。
そして次に、相内の前に座る男性が挨拶をする。
「えっと、次は僕でいいのかな? 僕は、
「下見の下見って何? って、結婚するの? おめでとう」
「あ、はい。日時はまだ決まってませんが……。ありがとうございます」
伊藤にそう言われ、堀が照れてお礼を言うと、皆も祝福を贈る。
「次は俺かな」
そう言うと、ミキの隣の男性は立ち上がると軽く会釈した。
「俺は、
「最後は私ね。
元気に自己紹介を終えると、見計らったように夕飯が運ばれてきた。
頂きますと、皆、食事を始める。
食事には海の幸が沢山出て来た。ホタテにうに、いくら、それにカニ。そしてニシンも。
こんなに食べきれないという程で、ミキは大満足だった。
「ねえ、後で一緒に飲みません?」
「いいねぇ。じゃ、俺たちの部屋で飲もうぜ」
伊藤は、相内、八田のカップルと仲良くなったらしく、食後の打ち合わせをしている。
そういえば、三人で食堂に来たとミキは三人を観察していた。
「ねえ、二人ともこの後、お風呂一緒にどう?」
クルッと伊藤は振り向き、楠とミキに訪ねて来た。
「私、入ったから今日はいいわ」
「あ、私も」
「あら、早いのね。じゃ私達だけで行きましょうか」
二人の返事を聞き、伊藤は相内にそう声を掛けた。
相内は、はいと頷いた。
「あなたも入ったのね」
楠が、ミキに声を掛けて来た。
「はい。露天風呂最高でした」
「じゃ、これから暇よね。そこのソファーで話さない?」
楠のお誘いをミキは、二つ返事で了承する。
食堂の奥には、壁側にテレビが設置してあり、その前にテーブルと三人掛けのソファーが二つ置いてあった。
ミキ達はしばし、食事を堪能した――。
○ ○
食事を終えると、楠とミキ以外は、お風呂へ入りに行き、二人はソファーに座った。
食後のコーヒーを飲みつつ、二人は会話を始めた。
「ねえ、楠さん、私達どっかで会ってません?」
気になっていた事をミキは尋ねた。
その言葉に楠は、驚いた顔を見せてから目線を外す。
「まさか口説かれるなんて……」
「え! いや、違いますよ!」
まさかそう言う意味で取られるとはと、慌てて否定するミキを見て、楠はクスッと笑った。
「冗談よ。……ごめんね」
「え……」
ごめんねの言葉を言った時の楠の目が真剣に見えて、ミキはジッと楠を見つめる。
「やだ、なーに?」
「あ、なんでもないです……」
それから二人はまた、他愛もない会話を始め、気が付くと十一時を回っていた。
「もうこんな時間。お開きにしましょうか」
「そうですね。楽しかったです」
楠の言葉にミキは頷く。
二人は立ち上がると一階に降り、ドアの前まで来た。
「おやすみなさい」
挨拶を交わすと、ミキは電気を点けドアを閉める。そして、ソファーに腰を下ろした。
「もう十一時か……」
テーブルにある宿の案内を手に取り、パラパラとめくる。
暇なので読んでみる。
「玄関って夜十時に施錠なんだ」
案内には、防犯の為二十二時から六時まで施錠します。御用の方は、カウンターにおいで下さい。――と書いてあった。
「星空、どうしようかな……。辺り真っ暗だよね? さっき気づけば楠さん誘ったんだけどなぁ。明日誘ってみようかな」
ミキはふと星空の事を思い出すが、明日見に行く事にし、今日は寝る事にした。寝る支度をして、零時前には布団に入ったが眠れない。
「あ、そっか。ガッツリ昼寝しちゃったんだ……」
興奮して眠れないのかと思ったが、昼寝をしてしまった事を思い出す。
布団の中で眠れずごろごろしていると、隣から声が聞こえて来た。
「あれ? 楠さん起きてる?」
スマホを手に取り時間を見ると、もう日付が変わり零時を過ぎていた。
気になりだすとさらに寝れないミキは、窓を開け夜空を見た。
「わぁ、綺麗。月も出てる! 眠れないし見に行っちゃおうかな?」
そう決めると即決行! 脱いだ服に着替えると、パジャマをたたんでふとんの上に置き部屋を出た。
カウンターに寄ると、そっと声を掛ける。
「すみませーん」
だが、寝ているのか返事がない。
「どうしようかな。まあ、いっか。こっそり行っちゃおう。こんな山奥に泥棒なんてこないだろうし」
ミキは外に出ようとしてカギを外そうとするが、かかっていなかった。
「あれ? しわすれ?」
そっと外に出ると、静かにドアを閉め展望へと歩く。
スタッフの菅原の言う通り、足元にライトが設置してあり歩くのには支障がなかったが、雑木林の中を歩くので怖く、何も出ませんようにと祈りながらミキは進んだ。
目の前にやっと開けた場所が見え、ミキはジッと見つめた。
ミキが見つめていたのは、星や月でははく、開けた場所に佇み月を見上げる女性だった。
なんとも神秘的で、さっきまので恐怖心を忘れボーっと見つめていた。
さあっと風が吹くと、長い髪とスカートがさらさらとなびく。
どれくらい時間が経っただろうか。ふと、女性がミキの方を振り向いた。
ミキは、反射的に木の陰に隠れてしまった。
女性がこっちに向かって歩いて来るので、出るに出れなくなる。
――見ているのばれた? いや女性同士だし問題ないし。別に隠れる必要もなかったし。でも、隠れたら怪しいよね?
などと思いめぐらせていると、女性はそのままミキの前を通過していく。
「あ、帰るのか。って!」
ミキは、安堵したのち驚く。
彼女が自分より背が高かったからだ! 足元を見ると、スニーカーだった。
ミキはそれなりの背丈があり、泊まり客の女性の中では一番背が高い。
「え? 私、一六九センチあるのに? 私が一番背が高いと思ったのに……。どこの人?」
てっきりアットホームに泊まっている女性の中の一人だと思ったので驚いた。
彼女を追うと、一本道なのでアットホームに出る。そして、玄関から建物の中に入って行った! アットホームの客だったようだ。
「………。高く見えただけかな? 取りあえず、私も戻ろう」
ミキは、ドアを開けようとするが開かなかった!
「マジですか!」
当たり前だが、ミキが出て行ったのを知らないので、カギを掛けられた。
時刻を確認すると、もう夜中の一時だった。
「やばい、どうしよう……。ベル鳴らしてもいいかな? もっとちゃんと声掛けておけばよかった。……あ!」
ミキは、ある事を思い出し、自分の部屋外へ向かった。
「やっぱり!」
三番の部屋の窓が開けっぱなしになっていた!
つまり鍵を掛けずに部屋を出ていた。
「いや、私って抜けてる。でも、抜けててよかった!」
ミキは、窓から部屋に入ると窓を閉めた。そして、こっそり靴を置きに行き、スリッパをはいて自分の部屋に戻った。
時間を確認すると、一時半近かった。
着替えると、ベットにあるライトだけ灯し横になる。
「なんか疲れた。結局、女の人見ていただけだし。何してるんだろう、私」
目をつぶると今度はそのまま、スッと夢の世界にミキは落ちて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます