第2話

 5月になると、山はおどろきでいっぱいです。草花のカラフルなことや、その香りや、卵から鳥のヒナがかえることなど、ウサギやタヌキにはまったくの不思議でした。それでも今朝は、二人は一段と騒がしい様子です。

「たぬくん、たぬくん、起きなよ。すごいよ、人間を拾ったよ」

 それでさすがに寝坊助のタヌキもおどろいて一度に目を覚ましたのでしたが、親友がずるずると重そうに引きずってきたものを見て、笑って言いました。

「それ、人間でないよ。人形だよ」

 するとウサギも笑いました。

「ああ、そうそう、人形だ。けれども本物の人間が落っことしていったよ」

 二人は、よいしょと声を掛け合って、その人形をお気に入りの揺れる椅子に座らせました。人形は、金色の髪を夜用の帽子の中に編み込んで、素敵なネグリジェを着て、スリッパまで履いて、うれしそうに椅子を揺らしました。

「笑ったねぇ」

 ウサギが目を細めてうっとり言いました。タヌキも言いました。

「なんだか、友達がひとり増えたみたい」

 こんなふうに三人でテーブルにつくことはめったにありません。タヌキのお母さんが訪ねてきたときや、なつかしい友人が里帰りしたときだけです。

「悪いカラスが引きちぎろうとしてたんだ。ぼく、助けてやったんだぞ!」

 ウサギは勇んでテーブルをガタンと鳴らし、勢いあまって皿の上のビスケットを砕いてしまいました。二人は粉になったビスケットを急いでなめてしまってから、ふたたび人形を見つめました。

「でもこの人形、本当は泣いているんじゃないの。持ち主に返してやれたらいいのに」

「そんなの無理だろう。ゆうべ温泉に泊まったお客だもの。今頃は東京へ着いて、きっともう新しいおもちゃを買ってもらっているさ」

 ところが昼近くなって、ウサギがあわてて戻ってきました。人形のために髪飾りを作ってやるのだと言って飛び出して、それっきりだったのです。

「たぬくん、たぬくん、大変だよ。ゆうべのお客が戻ってきたんだ。人間の子供がひどく泣いていてね。それで女将さんたちは宿中どこもひっくり返して大騒ぎなんだ」

 それで二人はまた、よいしょと声を掛け合って、人形をずるずると引きずっていきました。けれどもやっと宿の看板が見えてきたところで、ウサギがいつものようにタンポポに気を奪われてしまいましたので、最後はタヌキが一人で引きずって行かなければなりませんでした。

 駐車場に停まったタクシーの中で、子供はすっかり泣きくたびれて、ぼんやりと大人たちの騒ぎを眺めておりました。そこへ、顔の汚れたタヌキが自分の人形をずるずると引きずってやってきたものですから、子供はハッと息を飲んで、またビャアッと泣き出してしまったのです。タクシーの運転手もひどく気味悪がって、持っていた帽子やら手拭いやらをめちゃくちゃに振り回しました。タヌキはその場で人形を放り出して、転がるように逃げかえってきたのです。

「おや、君、一割受け取らなかったのかい」

 タンポポ畑の入口で、ウサギは待ちくたびれたような顔をして立っていました。

「一割ってなんだい」

「お礼だよ。ちゃんと届けてやったんだろう。そんならお礼に一割くれるもんさ」

「おいら、忘れちゃった」

「ふん、たぬくんはそういうところがぼんやりしてるよな。無料で良いことをしてあげちゃうなんて、もったいない。まぁ、いいや。行こう。急がなきゃ」

「どこへ行くの」

「この騒ぎで女将さんが天ぷらそばを二杯もひっくり返しちゃったのさ。たぬくん、君、天ぷら好きだろう」

 それで二人は元気よく駆け出しました。

「あ、まずい。おいらうちへ戻っておはしを持ってこなけりゃ」

「そんなもの、むこうから借りるんだよ。第一、そばが伸びてしまうだろう」

 二人は大急ぎで宿の裏へまわって、女将さんから天ぷらそばをごちそうになりました。けれども、ほとんどタヌキばかりが食べました。神経質なウサギは、天ぷらの油で自分の毛が汚れるのが嫌なのです。

「やっぱり良いことしてよかったねぇ。一割どころか、これ、十割だねぇ」

 タヌキはすっかり満足して、おはしだけでなく頭までどんぶりの中に突っ込んで言いました。ウサギはまだどこか淋しそうにして、しょんぼりと肩を落としています。

「あの人形、今頃は東京へ着いたろうか」

 親友に背を向けて、ウサギは独り言のようにつぶやきました。

「さぁ、東京なんて本当はすごく遠いんだろう。きっとまだ山だって下りちゃいないよ。どうしたの。髪飾り、渡したかったの?」

「ううん、いいんだ」

 もしかしたら、この神経質で自分勝手で淋しがり屋のウサギは、人形との別れがつらくて、タンポポ畑で隠れて泣いていたのかも知れません。そう思ってタヌキは、親友の背にそっと手を置きました。

「あのね、うさくん。おいら、うさくんと友達でよかった。だって毎日、楽しいもの。ね」

 するとウサギも、目を真っ赤にして同じ気持ちでふり向きました。ところがタヌキときたら顔中、天ぷらだらけです。

「きゃあ、君、たぬくん。今日こそは顔を洗いたまえ」

 そう叫んで、ウサギはまたタンポポ畑へと走って行ってしまいました。

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