汚れたタヌキと洗ったウサギ

イネ

第1話

 雪が溶けたばっかりの山は、まだ何色にも染まっていません。春風もほとんど透明ですし、地面も黄色いのか茶色いのか、空だって白っぽくて青っぽくて、なんだか嘘っぽいのです。それで鳥たちはまだ、歌の調子がいまひとつ合いませんし、ウサギもタヌキも、銀色の冬毛がぼろぼろと抜け落ちるので、この時期はずいぶんと格好悪いのでした。

「君、4月って好きかい? ぼくはあんまり好きじゃないね。引っ越しとか、新しい出会いとか、背中がゾッとしちゃう」

 ことにウサギというのは神経質な生き物ですから、朝から晩まで毛づくろいに悩まされて、今朝もあんまり機嫌がよくありません。反対にタヌキというのは楽天家で、なんでもすぐ忘れるようにできているために、いつでも新鮮な目をして、ひとつのことで何度も驚いたり喜んだりするのでした。

「すごいや、うさくん。そんなら、おいらと初めて会ったときも、背中がゾッとした?」

「もちろんだとも。君の顔を見て、ぎゃあって思ったよ。今でも思うよ。さぁ、小川へ行こう。ぼく、今日こそ冬毛を全部むしって、川へすっかり流してやるんだ」

 二人は親友です。神経質で自分勝手なウサギと、楽天家でぐうたらなタヌキです。正反対どうしで相性が良いのはめずらしいことではありません。それに二人とも、泣き虫で感動屋なところは同じです。

「だって君、ぜんぜん顔を洗わないんだもの。たぬくん、君って全体、お団子のようだよ。いったい、いつ顔を洗ったの」

 ウサギは、自分の冬毛だけでなく、親友の顔の汚れまでが気になって仕方ありません。

「でも、おいら昨日も洗ったでしょう」

「泥水でだろう? そんなの、ぼくが君のお母さんだったら、絶対に罰を与えるね。むち打ちの刑だね。それから野原に放り出して餓死させちゃうね」

「平気だい。おいらカタツムリをとって食べるんだ。ミミズも、バッタもね」

「げぇ、気持ち悪い。あ~ぁ、ほんと4月って憂うつだよ。ぼく、きっと病気になるよ」

 そんなことを話しながら、小川へと続くトンネルの前まで来たとき、二人はふと足をとめました。原っぱが黄色く色づいているのが見えたのです。

「ほら、うさくん、あそこ見てごらんよ、黄色いところ。あれ、君の大好きな・・・」

 するとウサギは目の色を変えて飛び上がりました。

「タンポポだぁ! タンポポが咲いたんだ。たぬくん、行こう、食べよう。あぁ、なんていい匂い。ぼく本当に、4月って大好きさ」

 そうして大きな後ろ足をひとつふたつ跳ねあげると、もうタンポポ畑の中へ見えなくなってしまいました。

「川へ行くんじゃないの」

 タヌキはちょっぴり口を曲げました。タンポポはウサギにとってはごちそうですが、タヌキには雑草です。どうにも薬臭くて、食べると嫌な味がするのです。それともバッタがいるかしら、なんて考えているうちに、親友はもうあちこち跳ね回って、むしゃむしゃ、ばりばり、派手にやっていました。

「ねぇ、うさくん、知ってる?」

 タヌキは思わず笑いました。ウサギがタンポポを口にめいっぱい詰め込むと、頬がふくらんで、鼻の下が伸びて、カバのような顔になるのです。けれどもタヌキが呆れているのはそのことではありません。

「ねぇ、うさくん、知ってる? 君ってちょっぴり、イノシシに似ているようだよ」

「なんだって?」

 ウサギは、口の中がタンポポでいっぱいですから、うまく物が言えませんでした。

「うん、君って猪突猛進タイプだろう。さっきまでは4月が嫌いだったのにさ。何かに気をとられると、もうそればっかりになって、あとはどうでもよくなっちゃう。まるでイノシシだってことさ」

 ようやくタンポポを飲み下して、ウサギはダーンと地面を蹴りあげました。自分のことを、とってもキレイ好きで、知的で、上品なタイプだと思っていましたから、イノシシと比べられるのは気分がよくありません。

「ふん、君はどうなのさ。寝坊助で、ぐうたらで、顔だって洗わない。そんなのまるで」

「そんなのまるで?」

「そんなのまるでじゃないか」

 ドッと風が吹きました。タンポポがツンツン揺れて、二人のおしりを突っつきました。

「ぼく、なんて言っちゃったの」

「うん、おいら、まるでタヌキだって」

「うふふふふっ」

「うふふふふぅ」

 それから二人は、原っぱをごろごろ転がって、冬毛をすっかり春風に飛ばしてやりました。新しい毛がちょっぴり黄色く見えるのは、きっとタンポポの花粉のせいでしょう。

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