11/19~

 11/19

 目を開けると、そこは清潔感のある部屋だった。

 窓から見える木々の葉が茶色くなり地面に落ちているところから、そう短くない時間が過ぎたのが予想できた。

「しくじった…」

 口からそんな言葉がもれた。

 カタン、と何かが落ちる音が聞こえ、視線を向けると看護師が慌てて部屋から出ていくのが見えた。

 どうやら医者が言うには、私が刺したナイフは心臓から数ミリ脇に逸れ、奇跡的に私は死ねなかったようだ。そして、私は3ヶ月の間昏睡状態だった。

 などと医者が説明していたが、私にはその一切がどうでもよかった。今重要なのは、どうして私は生きているのかということ。

 いくら私が素人で心臓を外したとしても、血管の間を通すなんて事は万が一にも起こるはずがない。だと言うのに、私は生きている。だから、私はこの生には何かしらの意味があるのではないかと思う。

 医者の話しに返事1つせず、そんな事を考えている私に父が見舞いに来た。

「事情は知っている。彼から全て聞いた」

 重々しく父はそう語る。

 父は私が殺人鬼だと理解している。そんな非常識の中でしか私は生きていけないことを知っている。そして、それをどうすることも出来ない自分を責めている。

 いつものように父の顔には申し訳なさがにじみ出ていた。

 たとえ家族であっても、私と父は血の繋がった他人だ。どうしてそこまで他人を想えるのか分からない。けれど、それは私には無く、私が死んでも求めた“普通”の人間の心なのかもしれない。

「彼はお前に罪の意識を感じている。お前がこんな状態になってしまった事を彼は責めているんだ」

 だからそうじゃないと、罪を感じることはない、と伝えるんだと父は言うが、私と彼との間にそんな常識はない。あるのは記憶と過去の繋がり、だけど今はそれすらどうでもいい。もう彼に興味はない。

 いや、彼は罪の意識を感じていると、父は言った。それはつまり、彼は私の命を背負ったということだ。

 あぁ、そうだ。私に同情出来るのは彼だけだ。私の記憶と思いを知り、それでも私にならなかった彼だけが、私を理解できる。

 今、理解した。この生は私が“普通”になれる最後のチャンスなんだ。

「父さん、私の記録を消してくれますか」

 父は一瞬驚きと恐れの表情を浮かべるが、本当に良いのかい、と私の覚悟を確認する。

 自分という存在を消す。これは決して死と同義ではない。

 父は何人も私のように決断した人を見てきたそうだ。その人たちは最初こそ社会に適応していたが、ぽっかりと空いた過去が彼らを蝕んだ。

 人は自分の知らないこと、理解出来ないことに恐怖する。

 元社会不適合者の彼らであってもそれは変わらなかった。いや、不適合者だからこそ周囲と自分との差を理解できてしまったのだろう。

 周囲との違いと逃れ得ない過去との板挟み。彼らの苦悩は父には理解できない。だから私の事をそんなふうに心配しているんだ。

「大丈夫だよ、父さん。私には彼がいるから」

 父の瞳には僅かな躊躇いが見えるが、了承してくれた。

「父さん、最後の我が儘を聞いてくれますか」

 父は静かに頷く。

「彼に手紙を書きたいんです」

 この手紙で彼と新しい私を繋ぎ止める。

 彼は私の事を特別だと感じていない、そう思っていた。けど、違った。彼もまた、私を特別だと感じている。私の為に罪を感じてくれている。

 だから、私は消える。彼の罪の意識が愛に変わることを願って、この手紙を残す。

 たとえ記憶が無くとも私の根っこは変わらない。だから、新しい私も彼を愛すだろう。

 呪いと祝福を筆に乗せ、私は“普通”の私達を想像する。


 

5年後

 ゆっくりと夜が明けていく。私はこの瞬間が好きだ。

 静かな寝息をたて、眠る彼の寝顔を眺めながら私は思う。

 以前の私も、こんなふうに彼を愛しいと思っていたのか、と。

 あぁ、私はとても幸せだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶の糸 夜表 計 @ReHUI_1169

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ