8/11~11/21

8/11 

 計6個ある自作の墓。その中心で先輩は両手を広げる。

 風が先輩の長い髪を棚引かせ、その姿をより一層妖美なものに変えていた。

「君は私を恨んでる?」

 それは俺に殺人の記憶を入れたことか、それとも自分の記憶を俺に入れ、先輩のように異常者にしようとしたことか、はたまたその両方か。

 俺は首を振った。

「先輩の苦悩を知った今、俺は先輩を恨むことはできません」

「君は本当に優しいね。私のせいで君は苦しんだのに私を想ってくれるんだね」

 先輩は静かに視線を落とす。

「先輩は“普通”になりたかったんですね」

「そう、私は君になりたかった。君のように罪の意識に悩みたかった。だから――」

 だから、俺を欲した。他人の記憶でも罪の意識を感じた、俺の記憶を、

「だから、私は君の記憶で君になろうとしたんだよ。自分は異常じゃないと、皆と一緒で“普通”なんだと」

 けれど、なれなかった。その絶望はどれ程のものだっただろうか。

「だから、代わりに俺を先輩のように異常者にしようとしたんですね」

 先輩は手製の十字架に触れながら、墓の間を歩く。

「そう、私が変われないなら、君を変えるしかない、そう思ったの。君が一緒になってくれるなら、私は自分が異常者であっても生きていける」

 けれど、それは叶わない。罪を感じるのは心であって脳ではないのだから。

 俺と先輩が互いの記憶を共有しようとも、それを感じる心が同じでなければ、誰かになることなどできない。

「うん、そう、その通りだね。君も私も根っこが変わることはないんだね」

 先輩はポケットからハンカチで包んだナイフを取り出す。ハンカチを開くと、太陽の光を刃が鈍く反射する。

 そのナイフは6人の男女の命を奪い、母と母を殺した男の命も奪ったものだ。

「君を殺したら罪を感じるのかな。本当は怖いの、君を殺す事がじゃなくて、君を殺しても何も変わらなかったら、私は壊れてしまうかもしれない。それが怖い」

 先輩は殺人鬼かもしれない、異常者かもしれない。けれど、他人を記憶の中でしか知れなくても先輩は必死に“普通”になろうとした。その方法が間違っていたとしても、“普通”になろうと苦しんできた先輩を誰も否定は出来ない。

「ねぇ、最後に私の事をどう思ってるか聞かせてくれないかな」

 君の気持ちは必要ない、そう言っていた先輩が俺の気持ちが聞きたいと言う。

 先輩は他人の言葉を信用しない。記憶に刻まれた思考と感情だけを信じている。なのに、記憶から読むのではなく、言葉から聞きたいと言う。

「俺は、俺の命はもう先輩のものです。あの時、本当だったら俺は死ぬはずだったんです。でも俺は生きてる。だから、この命は先輩のものです。

 俺には愛も恋も分からないですけど、俺は殺されるなら先輩に殺してほしいです」

「そう、君は私を特別だと思ってくれないんだね」

 先輩は悲しげな表情をする。

 それは違う、そう否定しようとするが言葉が出ない。

「君のそれはただ恩を感じているだけ、愛でもなければ恋でもない、救ったのが私じゃなくても同じ事言える」

 その表情には何も感情はない。壊れそうな自分を隠す為に笑っていたその顔は無機質で人形のようだった。人に限りなく近いが、絶対的に人ではない、冷たい表情。

 もう俺の言葉は届かない。人としての繋がりを、人であろうとする先輩の心を俺は壊してしまった。

「もう無理。君が私のようにならなかったのは残念だったけど、私の記憶が、この5日間が、君にとって私が特別な存在になっていると信じていたのに…。

 今君を殺しても、私は何も感じない。もう君を特別だとは感じられない」

 表情が戻る。いつものように隠す為に笑みを浮かべる。けれど、その笑みが隠しているのは決して弱い自分じゃない。じゃあ、何を隠してる。

 それを俺は知ることができない。理解する事もできない。

「さようなら」

 そう呟くように小さく、先輩は別れの言葉を言う。ナイフを両手で握りしめ、刃を自分に向ける。

 その瞬間、俺は走った。

 何の為に。自分を救った先輩の為か、ただ命を絶とうとする人を止める為か、それとも愛や恋といった好きと言う感情からなのか、それは分からない。分からないけれど、先輩は死んではいけない、その想いだけは確かだ。

 けれど、間に合うはずがなかった。この物理的な距離は俺と先輩の距離そのものだった。

 深々とナイフの刃は先輩の胸に突き刺さる。


11/21

 軽くノックをし、病室の戸を開ける。そこには顔を隠すほどに伸びた前髪を髪止めで止め、窓の外を静かに見下ろす先輩の姿があった。

 その表情は以前のような弱々しさとは違う静けさがあった。

 近づく足音に気付き、先輩がこちらを振り返る。

 目があった。その瞬間足が止まり、同時に違和感を感じた。あまりにもその目の奥には何もなかった。

「どちら様ですか」

 その一言で先輩は俺に関する記憶を抜いたのだと悟った。

 名前を告げると先輩は少し驚き、花瓶の側に置いてある手紙を差し出した。

「これを貴方に渡すようにと」

 誰に、と問いかけると先輩は困った顔をする。こんな表情は一度として見たことはなく、記憶を抜いたことで別人になってしまった事を痛感した。

「えっと、私、です」

 予想通り先輩からの手紙だった。この手紙を俺は読まなければならない。それが先輩を殺した俺の罪なのだから。


 ー久しぶり、この手紙は君が私から解放されるために書きました。

 私は失敗しました。君だけは私の特別になってくれると思っていたのですが、君が感じていたのは私への恩で、愛も恋も感じてはくれませんでした。

 でも、それを責めはしません。私がこうして生きているのは、何か意味があるのだと思います。だから私は新しい私にこの生を渡します。

 新しい私は君の事は知りません。自分が異常者だと知りません。だから君も私の事は忘れて、新しく生きてください。

 父に頼めば私に関する記憶を消してくれます。

 消えた君の先輩よりー


 先輩は俺を許すと言った。俺が背負うべき罪は無いと、けれどそれは違う。そんな事で俺は救われない。

 俺が償うべき相手は俺を救った先輩で、俺に恋してた先輩で、俺を殺そうとした先輩だ。なのにその先輩が消えてしまった。だから俺の罪は一生消えない。

「大丈夫ですか」

 その声で我に返る。手紙に小さな雫が染みていることに気付き、慌てて涙を拭き取る。

 大丈夫です。そう伝えても先輩は心配そうに俺を見つめる。

 先輩はそんな風に俺を見ない。先輩は特別なものしか見ない。貴女は先輩だけど先輩じゃない。

 あぁ、そうか。これが誰かを求めるってことか。これが好き、ということなのか。

 今になって気付くなんて本当に遅すぎる。あの時に気付いていれば、俺も先輩も救われただろうに。

「あの、貴方と私はどういう関係だったんですか」

 そうだ、伝えなくては、もう以前の先輩ではないけれど、もう俺の罪は消えないけれど、言わなければならない。

「俺は先輩の恋人です。俺は先輩に恋しているんですよ」

 先輩は急に恋人だと言われ、驚き、戸惑っているがそれでいい。

 俺は新しい先輩を“普通”の人のように愛すと決めたのだから、これでいいんだ。


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