手品師の帽子

sanpo=二上圓

第1話

  カララン!


「C&B会の忘年会の招待状を持ってやって来たよ!」


 そう言ってオリーブ色の扉を押して入って来たのは若い男性だった。黒のタートルネックに黒のチェスターコート、パンツも黒という黒ずくめの恰好をしている。


宝来ほうらいセンパイ!」


 ―― もう、そんな季節なんですね!


 宝来先輩と呼ばれたこの人物、名を宝来東彦ほうらいはるひこ、芸名は波瑠彦はるひこと書く。最近TVでも頻繁にその顔を見るプロの若手手品師マジシャンである。

 実は、サトウ帽子屋の共同経営者であり帽子職人のれんの(帽子制作以外の)唯一の趣味は手品だった!

 ナルホドと納得される読者も多いのでは?

 繊細で優雅な指から繰り出すクロースアップマジックを得意としている。

 宝来波瑠彦はその漣の師匠で3代続く手品師の家系。サトウ帽子屋が店を構える乙仲おつなか通りからほど近い南京町なんきんまちに実家がある。

 知り合ったのは一華を通じてだった。

 アナウンサー志望だった一華は大阪芸術大学放送学科アナウンサーコースに通っていたが波瑠彦はその大学の先輩なのだ。

 祖父も父も名のある手品師だったから、波瑠彦は幼い時から手品の技はプロ級だった。だがそれにおごらず、話し方や発声を基礎から学びたいと大学は放送学科を選んだのだ。その結果、宝来波瑠彦の澱みのない美しい話術パターは業界でも絶賛されている。勿論、手品の腕は言うまでもない。

 大学で知り合って家が近いことがわかり交流が始まった。

 波瑠彦は将来をはっきりと見据えた一華を妹のように可愛がってくれたが、それ以上に漣と仲良くなった。何より、漣の指に魅了された――

 自分も持っていない憧れの手品師の指だと感嘆し、是非とも手品をやるべきだと熱心に勧めたのもこの宝来波瑠彦だった。元々手品には巧みな会話を駆使するパターマジックと全くの無音で行うサイレントマジックがある。漣はモチロン、後者。

 元来の器用さもあってメキメキと腕を上げた漣。最近では波瑠彦に声をかけられるたび地域のイベントや学校行事にもボランティアで積極的に参加している。

 その手品界のホープ・宝来波瑠彦が会長を務めるプロ・アマの垣根を超えた手品愛好会がC&B会なのだ。今日は年に一度の交流会(忘年会ともいう)が近いことを知らせに来たというわけだ。

「お忙しいでしょうに! わざわざ届けていただいてありがとうございます!」

 走り寄って招待状を受け取る一華にセンパイは笑い返した。

「いや何、久しぶりに乙仲小町の〈僕の妹〉の顔が見たくなってね! おお! 相変わらず――元気いっぱいだな、一華!」

 続いて、お茶の用意をしようと背を向けかけた漣の肩に手を置く。

「それに、実は折り入って頼みごとがあってね」

 手品師は言った。

「今年のC&B会忘年会の演目で使用するギミックを漣君に作ってもらいたいんだ」

 ギミックとは手品の仕込み、またはタネを仕込んだ小道具を言う。


 ―― 僕に、ですか? というとソレは……


「帽子さ! 手品用の帽子だよ!」





「じゃ、頼んだよ、漣!」


 満面の笑みでアトリエから出て来た宝来波瑠彦。

 手品用の帽子を依頼して即、アトリエに二人して籠って優に一時間が経っている。

「じゃあな、一華チャン!」

「……ありがとうございましたぁ!」


   カララン……


「なぁんだ、宝来センパイのお目当ては漣にいさんだったのか!」

 見送った後、身を翻して兄に問う一華だった。

「ねぇ、ねぇ? どんな帽子なの? その〈手品の帽子〉! もうデザインは決まったってこと?」

 漣は人差し指を唇に当てて片目をつぶった。


 ―― 手品師の帽子だからね。当日まで死んだって詳細は明かせない。


「なによ! イジワル!」






「――ってことは、今回は僕も用無しってことか!」


 夕食のテーブルで事の詳細を聞いて少々――いや、正確に言うと――非常にガッカリしたそうだった。

「だってさ、依頼主の波瑠彦さんが事細かに指示したんだろ? 僕のイメージ提供は必要ないじゃないか!」

「そうなのよ。二人してずーっとヒソヒソやってたわ」

 兄は一華自慢のビーフシチューの皿から顔を上げて微笑んだ。


 ―― 安心しろ、颯。現在制作中の手品用の帽子に関しては一切話せないけど、いつものように〈手品に関する本の話〉をぜひ聞かせてくれよ。いい気分転換になるからね。何しろ、波瑠彦さん直々じきじきの注文とあって……気合が入り過ぎて体中コチコチだよ!


 首や肩を回して強張った身体をほぐす漣。

「――じゃ」

「私、あるわ!」

 意外にも、ここで弟を押しのけて声を上げたのは一華だ。

「えー?」

「あら、何よ? そりゃあ、あんたほど文学マニアじゃないけど、私だって本は読むわよ。その私の心に深く残っている手品にまつわる話……」

 一華は胸の前で両手の指をからませてホウッとため息をついた。

「ちょうど今頃の季節……12月が巡るたびに思い出す一冊、〈不思議なお人形〉……!」

 不器用でいつも姉兄に馬鹿にされていた末っ子の主人公はXmasに大祖母からあるプレゼントをもらう。それはクリスマスツリーのてっぺんに飾られていた妖精の人形だった……

「その人形をきちんとお世話できたらいいことが起きるって、主人公は大おばあ様に言われるの。その言葉どおり次々に起きる不思議な出来事。でもね」

 一華は鼻の頭に皺を寄せた。

「私は何より、お人形のお家を作る場面に胸がときめいたわ。自転車の籠を洞窟に見立てておがくずや苔を床に敷いて……小さな椅子は何にしよう? キノコがいい! ナンテネ」

「へぇー、女の子って面白いな!」

「そう? 〈ロッタちゃんのひっこし〉だって、私が一番ドキドキしたのは、ロッタちゃんの箪笥の中身よ。引き出しごとに入れる物を決めてるの。この段はお人形の着替えの洋服、この段はままごとセット……」

 一華の熱い解説はまだまだ続く。

「ムーミンの、この世のおわりにおびえるフィリフヨンカのガラス張りの戸棚の中の描写もワクワクしたわ!」

「ムーミンといえば、僕はムーミンママが夜寝る前に家族みんなに渡してくれるお盆の中身にうっとりしたな!」

 いつしか颯も身を乗り出している。

「夜中、目が醒めてお腹がすいたときのためにってさ。キャラメルやリンゴやミルク……僕もこっそり列に並んでお盆を受け取りたかった!」

 だが、暫く考えでから颯は神妙な口調で言った。

「でもさ、一華ねぇはゴッチャにしてない? 〈不思議なお人形〉の話は手品じゃなくて魔法のジャンルだよ?」

「え? そお? 手品と魔法って違うの? 英語で言うとどちらもMAGICっていうじゃない」

「手品は種を仕込めば誰でもできる。でも、魔法は誰にでもできない。だよね、漣にぃ?」


 ―― 確かにそうだなぁ。


「えー、それじゃあ、あんたのくくりで言うと、ムーミンママのは手品ってこと? 美味しい物を仕込んでる・・・・・わよ?」

「いや、まぁ、その辺はともかく――やっぱり手品に関する正統な本はコレ。奇術探偵 曾我佳城そがかじょうシリーズ! 作者の泡坂妻夫あわさかつまお氏自身が手品師だからね!

 その他に、手品と聞いて僕が思い起こすのは司馬遼太郎の〈ペルシャの幻術師〉や〈果心居士かしんこじの幻術〉かな。特に果心居士の話は、室町時代の実在の手品師=幻術師を巧みに描いてて最高に面白いよ!」


 この日、サトウ帽子屋の3階リビングでは熱のこもったMAGIC談義が夜遅くまで続いた。



♠〈不思議なお人形〉ルーマ・ゴッテン著・厨川圭子訳 Kindle版

♠〈ロッタちゃんのひっこし〉アストリッド=リンドグレーン著・山室 静訳 偕成社

♠〈この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ〉〈目に見えない子〉ともに〈ムーミン谷の仲間たち〉収録 トーベ・ヤンソン著・山室静訳 講談社文庫

♠〈奇術探偵 曾我佳城全集〉戯の巻、秘の巻 講談社文庫

♠〈果心居士の幻術〉司馬遼太郎著 新潮文庫



 12月のカレンダーは飛ぶがごとく過ぎて行く……

 そうこうするうちにC&B会交流・忘年会当日がやって来た。


 会場となった海龍菜館は南京町なんきんまちの東門、長安門から入って2分ほど。路面店ではなく一筋入った場所にある3階建てのビルだ。

 南京町は言わずと知れた神戸の中華街である。1868年の神戸港開港から長い歴史を刻んで来た。1945年、神戸大空襲では全焼、1995年の未曽有の大地震・阪神淡路大震災を乗り越えて、現在の繁栄がある。

 その中華街の中にあって海龍菜館は最も旧い一軒に数えられている。

 80数年前、宝来波瑠彦ほうらいはるひこの祖父が大志を胸に大陸から神戸港へ降り立った時、既にこの海龍菜館は有名な老舗だった。皿洗いで雇った4代店主馮富珍ひょうふうちんは息子と同い年の宝来の祖父を親身になって可愛がった。やがて一流手品師として名を上げた祖父は苦しい時代に受けた恩をけっして忘れず、以後、家族ぐるみの付き合いが続いている。孫世代の波瑠彦はるひこも大学時代の飲み会はもちろん、現在自らが会長を務めるC&B会の会合は全てここと決めている――



「わぁ! 一華いっかちゃん! また一段と綺麗になって……」

「そんなぁ! らんさんも全然お変わりないですっ!」

「ううん、私はもうオバさんよ」

 海龍菜館3階のエレベーター前で出迎えてくれた馮蘭ひょうらんは7代目である。波瑠彦の祖父を育んだ4代目は百歳、5代目は80歳を超えてそれぞれ健在ながら流石に店には出ていない。蘭は現在、6代目の両親と一緒にこの老舗中華レストランを実質切り盛りしている。優しい顔立ちを引き締めるかのように高く結った髪、小柄でほっそりとした身体に常に纏っている黒のワンピースは彼女の戦闘服だ。

「蘭さん、ダメだよ! 一華ねぇをおだてちゃあ! このひと、御世辞ってものを理解してないからね!」

「まぁ! そう君! 相変わらず憎まれ口がカワイイ――って何それ? どうしたの! その恰好!? かわいすぎるううううううう」

 抱きしめかねない勢いの海龍菜館副オーナー――

 それもそのはず、今日、颯は猫の着ぐるみを着こんでいた!

 真っ黒い耳と胸元、足だけが白い猫。蝶ネクタイとラメ入りのチョッキを羽織っている。

「一体、何があったの? れんさんのアシスタントでもするの? ということは……漣さん芸風変わったの?」

「違う、違う」

 これには少々理由わけがある。颯は慌てて説明した。

「僕が着ているコレ、手品師にまつわる由緒正しいいわれがあるんだ。これはね、あの有名なミュージカル《CATS》の猫世界における天才手品師・ミストフェリーズの装束なのさ!」

 抜かりなくちゃんとついている長くて黒い尻尾をぐるぐる回しながら、

「今、梅田で13年ぶりに大阪公演やってて……」

 数日前、友人たちと大阪四季劇場で舞台を見て大感激した帽子屋末弟。早速、大学のコスプレ部から手作りのこの衣装を借り受けたのだ。

「そもそも《CATS》はイギリスの大詩人T・S・エリオットの1939年に発表された詩集〈ポッサムおじさんの猫と付き合う法〉が原作なんだ。その中でこのミストフェリーズは〝グレイトマジシャン〟と讃えられている。だから僕――」

 これは絶対兄が着るべきだ! そう思って着せようとしたところ……


 ―― だが、断わる!


 剣もほろろに拒否された。仕方がないから自分が着て来たというわけ。

「チェ、いいアイディだったのに! 漣にぃ、絶対似合ったはずだよ!」

「いいえ! 漣にいさんはいつも通り、白のタキシードが最高よ!」

 その漣は波瑠彦と打ち合わせがあると言って既に入店していた。



 とまぁ、こんな風に始まったC&B会忘年会。

 海龍菜館3階フロアは結婚披露宴にも人気の重厚で品格ある大宴会場である。

 真紅の絨毯を敷き詰めた床、天井に煌めくシャンデリア。今宵、丸テーブルを埋めるのは、宝来波瑠彦を慕うプロ・アマの垣根を超えた手品師総勢43名とその家族。南京町でも屈指の本格中華料理を味わいながら会員は1人づつ順番に会場前方に設えられたステージで得意の手品を披露し合うのだ。


 基本的な、花がいっぱい出現する手品、指抜きシンブルを使った手品、色とりどりのパラソルを操る手品、ワインを使ったエレガントな手品など、会員皆、それぞれに趣向を凝らした楽しい演目が続いた。銀色のピラミッドから望みの物を取りだしたり、〈シカゴの4つ玉〉という伝統の手品も見ることができた。

 ――ちなみにこの会の名前、C&BはCAP&BALLから来ている。古く手品が〈杯と玉〉と呼ばれたからだ。

 漣は虹色のハンカチを使った華麗な手品で喝采を浴びた。



 いよいよ最終演目者トリの登場である。

 ステージ中央に立ったC&B会会長・宝来波瑠彦。

 マイクを手に挨拶をする。

「ありがとうございます! 今年も会員の皆さん全員の手品を堪能し、こうして最後に自分がしめることができる幸せを噛みしめています。さて、僕の今年の出し物は――」

 会長とあって波瑠彦の手品は見応えがあった。

 どういう仕掛けになっているのか、皆目わからないトランプのクロースアップマジック……!

 ガラスの板に挟んだカードを瞬時に消して別の場所から取り出す。そうかと思うとカードはもう元のガラスの中に戻っている。のみならず、指を鳴らすたび、そのカードの絵柄が次々に変わって行く……

 割れんばかりの拍手が止むと波瑠彦は再び会場を見渡して言った。

「最後に、今年はもう一つ会長特権でやらせてください。本邦初披露、その名も〈手品師の帽子〉!」

 これは異例の展開だ。交流会での手品披露は1人1演目が会則ルールだから。

 だが、こんな素敵な例外なら皆、大歓迎だ。沸き起こる拍手に深く一礼してから波瑠彦は言葉を継いだ。

「それでは、今回、この手品のために特別に協力をしてもらった我らが仲間、素晴らしい手品師でもあり、素晴らしい帽子製作者でもある佐藤漣さとうれん君にアシスタントを務めてもらいたいと思います!」

「ヒャッホー、待ってました、漣にぃ!」

「しっかりね、漣にいさん!」

 やんやの喝采の中、漣はステージの波瑠彦の横に立った。

「続いて――もう一人お手伝いをお願いします。今年も会を盛り上げてくださった海龍菜館サービスマネージャー、馮蘭さん! よろしくお願いいたします!」

 他のウェイターやウェイトレスたちと壁際に控えていた蘭にサッと照明が当たる。

 吃驚したものの、そこは客商売の研鑽を積んだ蘭。にこやかにステージへ上がった。

「私でよろしいのでしょうか? 光栄です!」

 波瑠彦は蘭の手を取って漣が用意した椅子に座らせる。

 その後、一歩下がって控える漣。


 さあ! いよいよ〈手品師の帽子〉の演目の開始だ。



 ♠〈ポッサムおじさんの猫と付き合う法〉 T・S・エリオット著 池田雅之訳 ちくま文庫



 手品師・宝来波瑠彦ほうらいはるひこが絹のスカーフから取り出した帽子は……

 目にも華やかなスロウチハットだった!


 この形は周囲のつば――プリムと言う――が大きく垂れて、いかにもエレガントな女性向けの帽子だ。

 色は柔らかなトリノコ色。白より淡い真珠の色に近い。

 らんにかぶせようとして、ふいに足を止め、つばを引っ張ると……それは華やかなブーケになった!

 驚く蘭にうやうやしくブーケを差し出す。受け取ったそれを両手に抱いて静かに待つ蘭。

 再びかぶせようとして、手を止める。帽子のトップ部分――これはクラウンと言う――にさっと触れると、はらりと剥がれて……なんと優雅な襟飾りになったではないか! 

 蘭の肩にふうわりと掛ける。シンプルな黒のドレスにとてもよく映えた。

 さて、今度こそ――

 だが三度、手品師は首を振った。

 今度は帽子の裏側を探る。中からもう一つ、そっくりな形の小さな帽子が零れ出た。

 大きい方の帽子はいったんれんに預けて、小さな帽子もつばを取ると、さっきのブーケと同じ形に! 

 こちらはコサージュとして蘭の胸元へ。更に、小さな帽子のクラウンを剥ぐと、こちらは腕飾りサッシュに。帽子本体はキュッとしぼってお洒落なポーチになった!

 こうして様々なもので飾られて、ステージに上がった時とは様変わりしている海龍菜館7代目馮蘭ひょうらん嬢。差し出される品々にちょっと困ったような、恥ずかし気な微笑を浮かべる。その様子が場内を一層盛り上げた。彼方此方で温かな笑いと拍手が沸き起こる。

 そんな中、遂に最後に残った帽子を蘭にかぶせる瞬間が訪れた。

 色々取り払ったので形はシンプルになっている。

 専門用語でこれはヘーローハットと呼ばれるものだ。ヘーローとは〈後光〉を意味する。宗教画にみられる聖人の後ろで輝く光のことだ。大きなベレーを想像していただければわかりやすい。

 そうっと奥に深くかぶせる――

 これも蘭に大変よく似合った。ラファエロ描く聖母像のようではないか!

 と……

 波瑠彦はるひこの動きがここで完全に止まった。

 

 これはどうしたことだろう?


「あ? もしかしてサッカートリック?」


 猫耳を揺らしてそうが姉を振り返る。

 このグレートマジシャン・ミストフェリーズ(偽)だけではない。手品に詳しい会場中の人間がそう思ったことだろう。

 〈サッカートリック〉とはミスったふりをして観衆を不安がらせ、ザワツイタ絶妙の頃合いに全く別の手品を見せて驚かすスタイルのことだ。いわば、〈どんでん返し〉のマジック!

 そう言われれば、確かに今までの手品は波瑠彦にしては単純過ぎる。ほぼ漣の作ったギミック頼りではないか。

 C&B会会長、日本手品界のホープ、宝来波瑠彦は、最後に一体どんなマジックで我々を驚かせてくれるのだろう!?

 会場は期待に包まれた。

 一同、固唾かたずを飲んで見守る中、とうとう波瑠彦は顔を上げて、言った。

「ここにおられる皆さんはプロ・アマを問わず手品を心から愛する手品師です。ですから手品とはヒトをだます究極の芸だと知っておられるはず。見事に騙してこそ手品。ですよね? ですから」

 いったん言葉を切って床を見つめる。

「僕も、今日、それをやりました。題目からして騙しています。すみません。これは〈手品師の帽子〉ではありません。これは――〈求婚の帽子〉なんです」

 静まり返る会場。

 波瑠彦は蘭のブーケを奪うと中から何かを抜き取った。高く翳したのはダイヤモンドリング!

 膝を突き、片手にブーケ、片手にリングを差し出して、


「蘭さん、僕と結婚してください!」


 蘭は強張って身じろぎもない。

 これがあのパターの名手かと疑うくらい、つっかえつっかえ手品師は続けた。

「だ、誰かが『12月は秘密の季節だ』と本に書いていました。皆が贈り物を隠す手品師になる季節。それは何故? どうして人はそんなことをするのでしょう? それは……愛する人、大切な人を喜ばすため。贈り物を見つけた人の驚きの顔がやがて笑顔になる。その瞬間を見るのが贈り手にとって、最高の喜びだからではないでしょうか?」

 声が掠れた。

「す、少なくとも、僕はそうです。今年も巡って来た12月。この幸せな季節にアナタを騙し、驚かせることができて僕はそれだけで幸せです。でも、でも――

 願わくばもっと、僕を喜ばせて……幸せにしてくださいっ! SAY YES!?」


 だが、答えはない。

 淚に濡れて蘭は声がでない。あ、今、唇が微かに動いた?

「何と言ってるんだ、漣?」

 たまらず波瑠彦は漣を見つめた。

 唇を読んだ漣が指を揺らす。同時に客席から立ち上がって一華いっかが叫んだ。


「《喜んで、お受けいたします!》」


「やったーーーー!」


 ここで居並ぶ会員全員、我先にとステージに駆け寄ってそれぞれ〈花〉を、ハンカチからスカーフからコップからトランクからズボンのポケットからシルクハットからステッキから――出した。

 今宵、求婚成功の会長を祝って!

 だれだ、万国旗や鳩まで飛ばしてるのは?

 ままよ、兎に角――


「おめでとうございます、会長!」

「波瑠彦さん! 蘭さん! おめでとう!」

「おめでとう!」 


 尽きぬ祝福の嵐にもみくちゃにされる波瑠彦と蘭だった。





「素晴らしい帽子を作ってくれてありがとう、漣! ウェディングハットは今からサトウ帽子屋に予約しておくからね!」


 レストラン入口。

 見送りに立ったC&B会の会長・宝来波瑠彦と当館7代目・馮蘭。誕生したての恋人たち。

「なんて言っていいか――お世話になりました、漣さん、一華ちゃん、颯君」

 蘭も深々と頭を下げる。

「私、今でも夢の中にいるみたいで。だって、とっくに諦めていたんです。私とハル君……私たちは幼馴染だけど……」

 また溢れる淚。何枚目になるのか波瑠彦がハンカチを差し出す――こう言う時、限りなくハンカチを持っている手品師は物凄く便利だ。

「私たち幼馴染だけど、住む世界が違い過ぎるから、遠くから眺めて応援して行こう、それでいいと決めていたの」

「ずっと恋し続けていたのは僕の方さ。今年こそ求婚しようって毎年思っていた。でも勇気が出なくて次の年、また次の年……だから、ほんとに『今年こそは!』と決心してあらかじめギミックを用意して……ステージに君を引き出した。そうすれば流石に臆病な自分でもやりとげられるって、まさに背水の陣を敷いたわけさ。フウ! こんなに緊張する仕掛けは2度とやりたくないよ」

「波瑠彦さん、この手品だけは、私が2度と・・・させません!」

 ハンカチから顔を上げてきっぱりと蘭が宣言した。

「え」

「だって、求婚の手品ですもの」

「蘭さん……」


「あ、じゃ僕らはこの辺でっ」

「お幸せに!」


 ―― お幸せに!




「うゎあ! 冷えると思った!」


 一歩外へ出ると雪がちらついていた。

「なによ、全身着ぐるみのネコのくせに、あったかいでしょ、あんたは!」

 一華は白い息を吐く。

「それにしても、今年の手品は最高だったわね! え? なぁに? 漣にいさん?」

 漣が微笑んだのに気づいた。


 ―― うん。今、思いついたんだ。手品と魔法の違いについて。

   手品はタネを《明かして》THE END。魔法は《とけて》THE END。

   どうかな?


「上手い、漣にぃ! 手品と魔法――終わり方で比べるならどっちがいい、一華ねぇ?」

「うーん、難しい質問ね。ゆっくり考えるわ。ねえ、ぐるっと回って……ルミナリエを見て帰りましょうよ!」

 次から次に雪は舞い落ちる。空からの白い手紙のようなその中をサトウ帽子屋の兄姉弟きょうだいは歩き出す。



 ―― そう言えば波瑠彦さんが言ってた『12月は秘密の季節』って聞いたことがある気がする。颯、おまえなら何の本かわかるかい?


「勿論! あれはローラ・インガルスだよ。〈大草原の小さな家〉さ!」




 一足早いメリークリスマス!


 あなたはこの美しい12月きせつに、大切な人のためにどんなMAGICを仕込むのでしょうか?




     《手品師の帽子》 ――― 了 ―――


♥神戸ルミナリエは震災被害者への鎮魂と再生の夢と希望の明かりです。毎年12月初旬に開催されます。

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