第45話狙われた聖女
左右対称に造られた修道院は、手入れの行き届いた漆喰の白い壁が輝き、門扉や窓枠に施された百合の模様が、穢れのない聖なる領域へと高めていた。
まずは様子見をしようとセレネーが修道院へ足を踏み入れると、聖水入りの小瓶を持った小太りの中年修道女が駆け寄り、前に立ちはだかった。
「悪しき魔女よ、ここは貴女のような人が来る場所ではありません。神の天罰が下る前に立ち去りなさい!」
ふくよかで丸い顔を真っ赤にしながら叫ぶ修道女にセレネーが驚き固まっていると――パシャッ。彼女は手にしていた小瓶の栓を開け、水らしきものをかけてきた。
「冷た……っ! え? いきなり何をしてくるのよ?!」
「せ、聖水が効かない?! そんなハズは……」
不満げに唇を尖らすセレネーに修道女がたじろぐ。その言葉を聞いて彼女の恐れと憂いを察し、セレネーは表情を和らげる。
「効かなくて当然よ。確かにアタシは魔女だけれど、悪魔と契約している訳でもないし、悪事も働いていないもの……アタシはセレネー。ここにいる人にちょっと用事というか、話があって来たのよ」
「そ、そうでしたか……この聖水が効かないことが何よりの証。大変失礼致しました。お恥ずかしい話、緊急事態で立て込んでおりまして……」
気が立っていた修道女の顔から赤みが抜け、疲れ切った顔が覗く。よほど困ったことが起きているらしいと、セレネーは修道女を伺う。
「差し支えなければ何が起きているのか聞いても大丈夫かしら?」
「ええ……実はここにいる若い修道女のひとりが、悪魔の目に留まってしまいまして……ここしばらく連日のようにやって来て、彼女を連れ去ろうと誘惑を続けているのです。今は結界が張られた部屋で籠り続けておりますが、ずっと外に出られず……おいたわしいことです」
言葉から汲み取るに、どうやら立場のある人らしい。もしかしてと思い、セレネーは話に踏み込んでみる。
「ひょっとして、狙われているのはフレデリカ姫?」
「……! そ、そうです! 外部には名前もお立場も伏せているというのに……」
「実はそのフレデリカさんに用があって来たのよ。良ければ部屋の外からでもいいから、お話をさせてもらえないかしら? それから、彼女が一生悪魔につきまとわれるせいで外出できないなんて困るでしょうから、どうにか解決できるよう手を尽くしたいんだけど……」
話を聞くにつれて修道女の瞳が潤み出す。そして目に涙を溜めながら安堵の笑みを浮かべ、セレネーの手を握ってきた。
「ありがとうございますっ! 本当にどうしたものかと私共も困り果てていたのです……どうか姫の力になって差し上げて下さい。今案内しますから、どうぞ私について来て下さいな」
いそいそとセレネーの手を引き、修道女がすぐさま案内を始める。余裕のない様子に、それだけ大変な思いをしていたことが伝わってきて、セレネーは気を引き締める。
悪魔は執着が強く、一度狙われると執拗にその相手を狙い続ける。中には死後もその魂を追い、生まれ変わった後もその魂を求める悪魔もいると聞いている。解呪のことを抜きにしても、これは放っておく訳にはいかなかった。
ここにいると案内された所は、三階の端にある小部屋だった。
扉には銀色の魔法陣が描かれ、取っ手にも銀の鎖が巻かれ、念入りに結界が施されていた。
「私は階段近くのほうにおりますから、お話を終えられましたら声をかけて下さい」
修道女はそう言うとセレネーに軽く会釈し、元来た道を歩いていく。
話し声が聞き取れない距離まで離れたことを確かめてから、セレネーは扉に向かって声をかけた。
「初めましてフレデリカ姫。今お話しても大丈夫かしら?」
「……はい。貴女はどちら様でしょうか?」
水晶球で見た、麗しい姿をそのまま現したような美声。姿を見なくても美人だと思わせる声なんて……と驚きつつ、セレネーは小さく咳払いをして声を整えてから告げた。
「アタシは魔女セレネー……貴女の力を借りたくて会いに来たのだけど、困ったことになっているようね。どうにかして悪魔を追い払うから、その後、どうか力を貸して。解呪に何度も失敗して困ってるカエルがいるの。そのカエルを――」
「もしかして、そのカエルというのはアシュリー様ですか?!」
落ち着いた声から一変、興奮気味な声が扉近くから聞こえてくる。思った以上の食いつきぶりに、セレネーは目を丸くする。
「え、ええ、そうよ。もしかしたらフレデリカ姫が王子の呪いを解いてくれるんじゃないかって、クリスタルが教えてくれたのよ」
「私にできることがあれば、なんだってします! アシュリー様……初めてお会いした時から、優しく思いやり溢れるあの方をお慕いしておりました。いつの日か嫁ぐことができればと夢見ておりましたが……カエルの呪いを受けたと聞き、その呪いが解けるよう神に祈りを捧げるため、こうして修道女となった次第なのです」
王子のために修道女に……ああこのお姫様、本気で王子のことが好きなんだわ。
こんなに真剣に想ってくれている人がいたなら、最初から教えてよクリスタル……と心の中で水晶球を恨めしく思いつつ、セレネーはフードを軽く突いてカエルに出てくるよう促す。
ゆっくりとフードから這い出たカエルをセレネーは手の平に乗せ、腕を伸ばして扉にできるだけ近づける。
どう言葉をかけようかと迷っているのか、カエルはなかなか喋らない。ゴクンと息を呑み込む気配がセレネーの手の平に響いた。
「……フレデリカ姫、私のためにありがとうございます」
「その声……アシュリー様ですね! ああ……今すぐお顔を見たいのに、それが叶わないなんて……」
「セレネーさんと力を合わせて、姫が自由になれるよう頑張りますから……だからどうか、もうしばらくだけ我慢して下さい」
「はい……アシュリー様……来てくれて、嬉しいです……ずっと怖くて、怖くて……」
フレデリカの声に嗚咽が混じり出す。悪魔に狙われて、でも周囲に迷惑をかけまいと毅然とした態度を崩さず頑張ってきたことがよく伝わってくる。
カエルは「今までよく耐えられましたね。あともう少しだけ、どうか――」とフレデリカを宥めながら勇気づけると、おもむろにセレネーへ振り返った。
「セレネーさん、どうかお力を貸して下さい。フレデリカ姫を悪魔から救いましょう」
「ええ、もちろんよ王子。これから詳しい話を聞いて対策を考えるわ」
これを乗り越えれば王子の呪いが解ける。
いつになくやる気がみなぎり、セレネーの顔に不敵な笑みが浮かんでいた。
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