三話

 全てを思い出した柘榴は、青白い顔をしてわなわなと小刻みに震えていた。

「……まさか、雫さんが手紙を出していたなんて知らなかったものでしてね。貴女があの場所に来るのは完全に想定外だったんですよ。まぁ、貴女の様子を見てこれは好都合だと思いましてね。エスの姉妹同士での心中は今、珍しくもない話です。貴女に恨みはありませんでしたが、見られた以上、雫さんと黄泉路を共にして頂こうかと思いまして」

 淡々と、むしろどこか楽しげに和葉はそう言っていた。

「ですが、まさか生きているとは思いませんでした。ですから、貴女に近づいた訳ですが……幸いな事に貴女は記憶を失っていた。だから貴女に気があるように装って、ずっと貴女の様子を伺っていたのですよ。配偶者にしてしまえば身近で監視できますし、思い出すような事があればその時に始末すればいい。そう思いましてね」

 好青年の笑顔で、和葉はとんでもないことを口にしていた。しかし、この棚に並べられた毒の石の数を見れば、その言葉は真実味を帯びて二人を威圧する。

「何故……貴方が雫さんと心中しなかったんですか……」

 由乃は何とか声を絞り出して和葉に訊ねた。確かに全て辻褄が合う。しかしならば何故、和葉はそんな回りくどい事をしたのか。

「……『メメントモリ』、と言う言葉を引用しましょうか。自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな、いい言葉です。私は、人とは死ぬために生きていると考えています。美しい死に様というものは目下私の命題でしてね……雫さんが私と共に死にたいとおっしゃって下さった時、私はこれ以上無い程の興奮を覚えました。そして、彼女の死に様はとても美しかった……!」

 そう言うと、和葉は由乃に近付いてきた。また何かされる、そう思って由乃はぐっと目を瞑った。しかし、なにも起こらない。恐る恐る目を開くと、目の前で和葉が由乃に跪いていた。

「ああ……私のタルタロス。貴女を探していただけだったのに……いつの間にか私は心を奪われていたんです……女の命が消え逝く瞬間の、その美しい輝きに。愛に殉じて命を賭すと決めた少女の、強くて、儚い麗しさに。私はまたそれが見たい……!」

 おぞましい。由乃はただそう思った。和葉は本気で言っているのだろう、それが余計に彼の狂気を浮き彫りにする。

 そして、由乃はその和葉の言葉を聞いて、ある事に気付いた。

「……まさか、紅い煙管を女学生に広めていたのは」

 由乃の言葉に、和葉はよくぞ気付いてくれたと言わんばかりに目を細めた。その表情に由乃はぞっとした。

「ええ、私です。私の書いた小説を読ませて、その世界観に共感してくれる感受性の高い少女を探しては、紅い煙管を渡していました。鶏冠石の毒で労咳を引き起こし、結核のような咳をしながらも恍惚と悦に浸る少女たちはとても愛しいものでした」

「じゃあ、桜子先輩も……」

「ええ、彼女は一度煙管を取り上げられてしまったそうです。わざわざそれを話してくださいましたのでもうひとつ差し上げたのですが、大変喜んでおられましたよ」

 点と点が繋がっていく。しかしそれは、最悪の結論を導き出そうとしていた。

「貴方は……自分の欲望のために雫先輩を殺して、他の女性たちも手にかけようとしていたんですか……」

 由乃がそう尋ねると、和葉はやや不満げな顔を見せた。

「私は、雫さんを手にかけたりなどしていない……彼女は自ら命を絶ったのです」

「だけど! ……だけど、柘榴先輩まで殺そうとしたじゃないですか!!」

「……」

「それに、なんの関係もない桜子先輩や、他の女性まで……!」

「でも、彼女たちは悦んでいましたよ?」

「そんなのは……!」

 なおも由乃が言葉を続けようとすると、唐突に和葉が立ち上がって由乃の横っ面を平手打ちした。由乃はあまりの衝撃に言葉を失う。呆然とする由乃に、和葉はあの好青年の笑顔を顔に貼り付けていた。

「貴女を私の理想のタルタロスにするには時間がかかりそうですね。まぁ、簡単に私に靡いてしまう女性よりはやり甲斐があって楽しそうです……さて」

 未だ呆けている由乃を余所に、和葉は倉庫内に転がっていた麻縄をひとつ手にとって、今度は柘榴の方に近付いていった。

「由乃さんを連れてきて下さってありがとうございます。貴女を監視している必要も、もう無くなりました」

 そういって、和葉は麻縄の両端を両手に持ち、柘榴の上に跨った。まさか。そう思って由乃はなんとか動けないか身を捩らせたが、自分をソファに括り付けている縄が余計に体に食い込むばかりだった。

「貴女の愛しい『お姉様』のところへ、連れて行って差し上げますよ。大丈夫です。貴女の命が潰えた後は、きちんと天鏡沼に沈めて差し上げます。……雫さんと、同じところへ」

 さっきから、柘榴は青ざめて事の成り行きを見守っているだけだった。しかし、和葉のその言葉に、わずかに体が動いたのが由乃から見えた。

「……ないわ」

「……?」

「行けるわけがないわ、私が雫先輩のところになんて。雫先輩は貴方を愛していたのよ。私じゃない」

 そう言って、柘榴はその印象の強い目でぎりりと和葉を睨みつける。しかし、それを見ても和葉は薄く笑うばかりだった。そして、その手に持っている麻縄を柘榴の首に回した。

「関係ありません。世間は貴女が雫さんの後を追ったのだと思うでしょう。そういうものです」

「哀れな人」

 柘榴がそういうのと同時に、和葉は手に力を込めた。麻縄が柘榴の首を締め上げていき、柘榴の顔がだんだん赤くなっていく。由乃はあてどもなく叫んだ。それで状況が変わることなどない事はわかっていたが、叫ぶことしか由乃にはできなかった。

「やめて! 柘榴先輩から手を離して! お姉ちゃん、お姉ちゃん助けて!!」


 その時、倉庫の入口の方からとんでもない破壊音が聞こえてきた。何かで壊された入口の扉から、逆光が一人の人間の影を浮かび上がらせる。その影が手にしていたのは「保養所前」と書かれた……

「……バス停?」

 由乃は思わず素っ頓狂な声で、そう言っていた。あまりの突然の出来事に、和葉もその手を止めていた。急に縄を緩められた柘榴は、思い切りむせ込んでいた。

「お前の意のままに死に憧れるのが奈落タルタロスの娘ってわけか」

 人影が声を出した。それは由乃が聞き馴染んだ声。あまりの安心感に、由乃は目に涙を浮かばせていた。

「だが、残念だったな。その娘は一筋縄ではいかんぞ。なにせ、この私の妹だからな」

「お姉ちゃん……!」

 由乃がそう言うや否や、人影は手にしていたバス停を振り回した。倉庫の中の棚が崩れ落ちて派手な音を立てる。

「ちょ……なっ、何者だ!!」

 狼狽えた和葉が叫ぶ。徐々にその人影は像を成して、三人の目にそれが誰なのか、はっきりと映し出していた。

「皮肉な話だな。こうしてお前の企てを妨害しに来た私の名前を教えてやろう……極楽院、奈落だああああぁぁぁぁぁ!!!」

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