三話

「まさか、お姉ちゃんまで付いてくると思わなかった……」

 月宮硝子店に向かう道すがら、由乃は柘榴と歩きながらぽつりとそんな事を呟いた。後ろを歩いてくる姉の奈落の、僅かな苛立ちをひしひしと感じつつ。

「逆に聞くが、お前たち二人だけで月宮硝子店に乗り込んでどうしようというのだ?あの模造煙管についてはとっくに警察が調べて、月宮硝子店からは無くなっているとわかっているのに。それに、お前たちがそんな事を聞いたって、月宮氏が素直に答えるとも限るまい」

「そりゃまぁ、そうだけど……」

 由乃は縮こまりながら、隣の柘榴を覗き見た。そもそも今回については言い出したのは由乃ではなく柘榴だ。由乃は柘榴に頼まれて今ここについて来ている形である。それを姉に話したところ、この体たらくとなった。

「すみません、極楽堂さん……お忙しいところご足労頂いてしまって。家業でも付き合いがあり、雫先輩と親しくしていた自分にだったら、何かお話しいただけるのではないかと思いまして……浅はかだとは思ったのですが」

 柘榴の謙虚な言葉に、しかし奈落は深く溜息をついた。

「そうかも知れませんが、それでも大人の話に女学生二人が首を突っ込んでいくのは関心できませんよ?模造煙管の件も、今警察がきちんと調べています。……本来は私たちが動くような事ではありません」

 しかし、由乃は知っている。姉は口ではそう言っているが、あの紅い煙管の事については相当気にしているのだ。それでも、柘榴を牽制しようとしているのは、だろう。

「……それでも、知りたいのです。月宮のおじさまから直接聞きたい。……何かはご存知だと思うのです。だって模造煙管を作られたその人なのですから」

 そう言うと、柘榴は足を止めた。その製造工場は道路に面したところにこぢんまりとした事務所を構えていた。看板には「月宮硝子店」と書かれている。

 柘榴は事務所の引き戸の前で一息呼吸を整えると、とんとんとノックして引き戸を少し開けた。

「もし……すみません。嘉月製造所の柘榴で……」

 柘榴が全て言い終わらないうちに、引き戸がガラガラと大きく開いた。中からは汚れたシャツに空色の作業服ズボンを履き、頭に手ぬぐいを巻きつけた無精髭の壮年男性が無愛想に立っていた。

「……よう」

 男は柘榴を一瞥すると、ぽつりとそう言った。そして後ろにいた由乃と奈落を見て不審な顔をし、また柘榴に目線を戻した。

「……お久しぶりです、月宮のおじさま」

 これが、亡くなった月宮雫の父親。由乃はやや引きつりがちに愛想笑いをして会釈したが、男はそんな由乃を見て、尚も不審な顔をするばかりだった。




 畳の部屋全体に線香の香りが漂う。由乃はりんを鳴らして手を合わせると、奈落が持参した菓子折りを仏壇の前に供えた。

 月宮家の仏壇は月宮硝子店の離れにあった。そこが月宮家の居住棟なのだろう、事務所にはない生活感がある。由乃は部屋の長押の上に目をやった。そこには、月宮家の故人たちに並んで雫の写真が並んでいた。やや緊張気味のその面持ちは由乃の記憶にある雫よりも若く、女学校に入学した頃のものだと思われる。

 学校でも伏せられていたこともあり、由乃はこれまでどこか雫の死に現実感を感じていなかったが、こうして仏壇の前に来ると否応無く彼女が故人になっている事を思い知らされた。

「……わざわざご丁寧に土産物までありがとうございます」

「かず屋の琥珀羹こはくかんはお嬢さんがお好きだったと柘榴さんから伺いまして」

 先に手を合わせた奈落が雫の父親に応えた。同じく先に手を合わせていた柘榴は、奈落の隣に座り目線を伏せている。

「まぁ、ここじゃなんです。向こうで茶でも如何ですか。……柘榴ちゃんは、何か聞きたい事があるようだし」

 雫の父親に名前を呼ばれて、柘榴は跳ねるように頭を上げた。その思い詰めた目で雫の父親と目線を合わせ、僅かに唇を噛んでいるのが見て取れた。

「……はい、お言葉に甘えまして」

 柘榴は絞り出すような声でそう言うと立ち上がり、移動を促す雫の父親の後をついていった。由乃は奈落の方を見やると、奈落が静かに頷いて立ち上がる。由乃は一息呼吸を整えて、奈落と共に柘榴に付いていった。

 通された居間は、ごく一般的な和室だった。雫の父親に勧められるまま三人は卓袱台の前に並んで座り、その反対側に雫の父親が座る形となった。

 壮年の女性が盆を持ってやってきて、四人の前に茶を置いた。奈落の持ってきた琥珀羹も皿に盛られていた。由乃たちは軽く頭を下げると、女性も会釈して部屋を出て行った。

「まあ、なんだ。自分がこの月宮硝子店の職人で、雫の父親の慎三しんぞうといいます」

 そういって、雫の父親ー慎三は軽く頭を下げる。

「極楽堂鉱石薬店の店主、極楽院奈落です。こちらは妹の由乃。今日は店としても、私の妹とも付き合いのある柘榴さんの付き添いで伺いました」

 奈落に紹介されて、由乃は慌てて慎三に会釈した。慎三はなにやら少し、含み笑いをしているように見えた。

「極楽院奈落ですか……凄いお名前だ。本名で?」

「ははは、よく言われますよ。これでも本名です、祖父が名付け親なんですがね。まぁ、覚えて頂きやすいので助かっています」

「……雫は、極楽に行けたんでしょうかね。それとも、自分で死ぬようなやつぁ地獄行きでしょうか。……まぁ、その責任の一端は自分にあるんでしょうが」

 慎三の言葉に場が静まり返った。雫の死は決められた結婚を苦にしてのものだったので、慎三も責任を感じているのだろう。しかし、記憶が無いとはいえ共に心中して生き残った柘榴は、その言葉に唇を噛み締めた。そんな柘榴の様子を、由乃ははらはらしながら横目で伺っていた。

「……伺いたい事があるのです、おじさま」

 柘榴が口を開いた。慎三はちょうど、紙巻の煙草に燐寸マッチで火をつけようとしているところだった。慎三は柘榴をちらりと見やると、すぐに目線を手元に戻して咥えた煙草に火をつけ、一息吸い込んだ。

「大方、模造煙管の事じゃ無いのか?」

 慎三は煙を吐き出して、そう問いかける。柘榴と慎三の間には、火花でも散りそうな空気が漂っていた。

「はい、その通りです」

「とはいえ、あれはもうここには無い。それはもう警察にも話して……」

「何故! ……何故、あの煙管を作ったのですか。模造品というだけではなく、あの煙管は毒だという話ではありませんか!」

 堰を切ったように柘榴がまくし立てた。由乃は柘榴がここまで感情的に話すのを見た事が無い。しかし、由乃はおろおろと見守るしかなかった。

「それも、警察さんに話した事なんだがな。……聞きたいか?」

「……はい」

 慎三はもう一度紙巻を咥えて吸い込み、紫煙をその口から漂わせる。それは溜息にも似ていて、慎三は煙草を持っていない方の手でこめかみのあたりに触れて少しの間目を瞑った。

「まず、これは言っておこう。あれが毒だとわかったのは製造を始めてからの事だった。煙管に色をつけるために鶏冠石を使ったが、製造中に強い匂いが立ち込めてな。そのうちに体調を崩すものが増えた。だから、あれ自体はあまり数を作っていない。せいぜい五十かそこらだ。……今は作っていない」

「では……始めから毒だとわかって作っていたわけでは無いと……」

「そもそも、真珠煙管専用に作ったわけでも無い。だが、硝子の煙管というだけで誤用されたようだな。……そんな訳で、お蔵入りしていた製品だったんだ」

「すみません、ひとつよろしいでしょうか」

 柘榴と慎三の会話に奈落が口を挟む。少し腑に落ちない表情をしていた。

「……その鶏冠石は、どこから?業者を利用したのでしょう?そちらではその石が毒だという忠告はなかったのですか?」

「芳崎工業ですよ」

「!!」

 聞き覚えのある会社に三人は息を飲んだ。つまりは、雫の婚約者である和葉の家の会社である。

「芳崎工業は大きな会社で、うちもその恩恵にあやかりたかった。それもあって、娘もあそこの伜のところにと…まぁ、あんな事になりましたがね。……鶏冠石を使わないかと話してきたのは向こうなんですよ。熱で形を変える鶏冠石は、硝子にも入れやすいだろうと……」

「……ずさんにも程がある。鶏冠石は少し前まで花火の火薬にも使われていたものですが、毒があるとわかってからは使用を中止されています。……だから恐らくは、芳崎工業でも外に出せずに抱えていたのでしょう。それをこちらに押し付けたものだと思います」

「なんだかわかりません。とにかく、あれを作ったのはそういう経緯です。……それが、ある日忽然と全て、倉庫から無くなっていました」

 そう呟くと、慎三は煙草の火を灰皿の底で潰し、吸い殻を捨てた。そして、頭を抱えて俯くと、呻くような声で小さく呟いた。

「……わかってやれなかった。雫には、想い人がいたのです。だから、この婚約を本当は嫌がっていた。だから、あんな事に……」

「それは……!」

 思わず由乃が声を出したが、柘榴が由乃の腕を掴んでそれを制した。思わず柘榴を見やると、これまでに無いぐらい柘榴が青ざめているのがわかって由乃は息を飲んだ。

「雫は、男に唆されていたんです」

「えっ……」

 思わず声が漏れた。慎三が言っていた想い人とは柘榴の事だと思っていた由乃は、その言葉に混乱していた。

「雫が別な男と親密そうにしているのは知っていましたが、結婚が決まればそのうち離れるだろうと思ってたんです。だが、その男と煙管を運び出すのを見ました。思わず引っ叩いて……そしてそれが、生きている雫を見た最後でした」

 しばらく、その場に沈黙が走った。由乃は頭の中を整理するのが大変だった。つまりは、雫には婚約者とエスの妹の他に、親密な男がいたという事になる。

 突然、柘榴が立ち上がった。

「おじさま、辛いお話を伺ってしまってすみませんでした……失礼します」

「えっ!?」

 由乃が静止する間も無く、柘榴は部屋を立ち去ってしまった。由乃はしばらくおろおろしていたが、奈落に見えないところからそっと背中を叩かれた。思わず奈落の方を振り返ると、奈落はそっと顎で「行け」と言うように由乃を促した。

「すみません、失礼します!」

 由乃は意を決して、立ち上がり柘榴の後を追いかけた。後のことは姉がなんとかしてくれるだろう、そう思いつつ。

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