二話
「そう……桜子さんは同級生だけれども、由乃さんたち姉妹とそんな繋がりがあったのね」
放課後。由乃はまた柘榴のいる校舎裏に来ていた。柘榴はいつものように真珠煙管を吸いながら、大きな
鼓梅やの々かとあんな話をした手前、どうにも柘榴と会うのは気恥ずかしいものがあったが、それよりも会いたいという気持ちが優先してしまっていた。しかし、面と向かうのは恥ずかしい。由乃は何と無く柘榴とは目を合わせずに、列を成して行き交う蟻の群れを眺めていた。
「私も驚きました……それに、桜子先輩ってとても慕われているんですね。の々かちゃんが教えてくれました。下級生に人気があるのだと」
そんなの々かも熱を上げている一人な訳なのだが。
しかし、今の由乃にはどうでもいい話だった。そもそも、姉の事といい桜子の事といい、勝手に悋気される事が多いのはどういう事なのだろう。
私が、本当にお慕いしているのは……
「……桜子さんは読書家で、それで図書委員になれらたと伺っているわ。それでいて気さくでご友人も多いから、人望も厚い。お人柄の良さが皆さんに慕われる理由でしょうね……私とは正反対だわ」
そういって苦笑いする柘榴に、由乃はそんな事はない、と言おうとして顔を上げたが、その柘榴の曖昧な笑顔にまた言葉が詰まった。その表情は卑怯だ。その顔をされると、由乃は何も言えなくなってしまう。
その時、ふと由乃は思い出した事があった。
「でも……でも、桜子先輩は、あの紅い煙管を持っていたわ。隠れて喫んでいたのだわ」
そうだ。桜子はあの模造品の紅い煙管を持っていた。それにあの咳。模造品の煙管には毒があって、吸引を続けると結核のような咳が出るのだと姉が話していた。あのような咳が出るという事は、桜子はあの煙管を喫んでいたに違いない。
そこまで考えて、はたと由乃は気付いた。そうだ、以前和葉が雫の遺品だと言って柘榴に渡した紅い煙管。柘榴とあの模造品の煙管には、因縁があるのではないか。
由乃は恐る恐る柘榴の方を伺い見ると、柘榴は何か考え込むような顔で自分の煙管を眺めていた。
「……そう。桜子さんが……一体どこから……」
そう呟いて自分の煙管を眺める柘榴の表情からは、その感情が読めない。
いや、もう察するのはやめにしよう。由乃は心に決めた。それが土足で相手の心に踏み込む事だとしても、お互いの心に
「柘榴先輩、私見てしまったんです。以前柘榴先輩がここで和葉さんとお会いしていた時、彼からあの紅い煙管を受け取っていましたよね。……なぜ、柘榴先輩はあの紅い煙管を……叩き壊したんですか?」
由乃の言葉に、柘榴は目を見開いて由乃を見つめ返す。チリリ、と、何とも表現し難い刺激臭のような匂いがした。これは、きっと柘榴の感情だ。
「商売敵の、商品だからですか……いえ、きっと違いますよね。柘榴先輩はそういう方ではないと私は思ってます。だから、気になっていました」
「……そう、見られていたの。ああ、だから貴女は裁縫道具を……そういう事だったのね」
柘榴の真っ直ぐな目線を受けて、由乃もきゅっと唇を噛んだ。春の風が校庭の染井吉野の花びらを運んでくる。柘榴の短い髪が風に揺れて、柘榴は一瞬その髪に指を絡めた。
「あれが……あの紅い煙管が、本当は私の命を奪ってくれるはずだったのよ」
そう言って、柘榴は一瞬顔を歪めると、真珠煙管に口をつけた。まるで、それがあの紅い煙管なら良かった、とでも言うように。
「少しだけ、覚えてる。私もあの紅い煙管で、何かを吸ったのよ。……確か、紅い石。とても強い匂いのする石だった」
「紅い石……」
強い匂いのする紅い石……それは、紅い煙管に使われている鶏冠石だろうか。砒素の硫化鉱物である鶏冠石は加熱すると強い刺激臭がすると、姉が昨日言っていた。
「だけど、同じものを吸った筈の私は生き残って、雫先輩だけが死んでしまった……何故こんな不公平をするのかと、あの時はあの紅い煙管が憎くてしょうがなかったわ」
「……それで、思わず叩き割ってしまったと……」
「がっかりでしょう?私、そんな感情的なところもあるのよ?」
そう言って自嘲気味に笑う柘榴に、由乃は首を振った。なんて声をかけたらいいのかはわからない。由乃は自分の人生経験の浅さを今ほど呪った事はない。
だけど、柘榴と雫が心中に使ったのが鶏冠石なら。この紅い煙管を作った月宮硝子店に、鶏冠石もあった事は間違いない。
「その、紅い石は……多分、あの紅い煙管に使われています」
「……」
「月宮硝子店で作られたと言う紅い煙管は……毒の煙管なんです。今、何人もの女学生が、あの煙管を喫んで体を壊しているらしいのです」
「……」
「その紅い煙管の出所を探る為、うちの店に警察も来たそうです。製造していた筈の月宮硝子店からは、模造品の煙管は無くなっていた……誰かが、何かの為に紅い煙管を流通させてる、そんな気がするんです」
自分は、なぜ今柘榴にこんな事を言っているのだろう。だが、柘榴はその裏側にとても近いところにいる気がする。きっと、柘榴が何かの「鍵」なのだ。
だが、由乃自身なんの確証もなかった。そしてふと、常盤診療所にあったたくさんの紅い煙管のことが脳裏を過ぎった。
もしかしたら、風吹は由乃がこれらの事を知るずっと前から、独自に動いていたのかも知れない。だとすれば、風吹は……
「あの紅い煙管そのものが……毒」
柘榴のつぶやきで由乃は我に返った。柘榴は目を見開いて、由乃を見つめているような、それでいてどこも見ていないような不思議な目をしていた。しかし、わずかに震えるその瞳からは、驚きや動揺が伺える。
「そんな……月宮のおじさまが……何故そんな事を……」
「月宮のおじさま?」
「同業だったし、雫先輩のお父様だからお会いした事はあるの……だけど何故?月宮のおじさまは、確かに模造品を作る商売敵ではあったけど……毒だなんて……」
柘榴は口元を手で押さえて僅かに震えていた。明らかに動揺している。
どうしよう。由乃はおろおろしつつも、柘榴の様子を伺っていた。やがて、柘榴は口元を押さえていた手をぐっと握って、何かを心に決めたようだった。
「私、月宮硝子店に行くわ。月宮のおじさまにお会いして、本当の事をお伺いするわ」
いつの間にか、風は止んでいた。柘榴の髪に絡んでいた桜の花びらはふわりと揺れて、彼女の足元へと舞い落ちた。その足元にはなんの因果だろうか、以前柘榴が叩き割った紅い煙管の欠片がきらりと光っていた。
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