四話

ひい、ふう、みい……随分少なくなってきた。

その分、「候補」の少女が増えてきたという事だ。

物語を餌にして手懐けた少女たち。可愛い可愛い、私の奈落タルタロスたち。

だけど私は見つけてしまった、極上の少女を。

あの子と堕ちるアバドーンはどんなに甘美な事だろう。


……あの子だ。あの子が出てきた。

美しい黒髪と琥珀色の瞳、天上の国を表す氏名うじなと、華やかに散る花の名を持った少女。


その名は、 極楽院 由乃。




「今回も楽しかったよ! じゃあまたねぇ、由乃ちゃん!」

「……」

 煙草屋の前で嬉しそうに手を振る時雨に、しかし由乃は激痛でそれどころではなかった。流石に少し休ませては貰ったが、今日入れたばかりの背中の晶刺がずきずきと痛む。

 なんとか苦笑いを返して小さく手を振ると、踵を返してよろよろと帰路についた。小さい頃から何度入れても、今でもこの痛みには慣れない。小さい頃は気を失うほどギャン泣きしたものだ。その度に恭助や奈落に背負われて帰っていた。

 はぁ、と小さくため息をついて、繁華街を抜ける道へ歩みを進める。如何わしい店が少なくなってきたあたりに、この街ならではの専門店ー天鏡沼の真珠「天鏡珠」だけを取り扱う小売店があった。前に一度、姉が薬用の真珠を買い付けに来たのに付き合ったことがあったが、店は狭いなりに物の品揃えは良い店だ。

 やはり由乃もそれなりの年の女性であるので、華やかな真珠の輝きには目を奪われる。何の気なしに入口を開け放たれている店の中を覗いていると、見覚えのある人影の方に自然と視線が向かった。

「……えっ?」

 思わず素っ頓狂な声が漏れて、慌てて自分の口を押さえた。恐らくは聞こえてはいないだろう、こちらは店の外だし向こうは人の声が行き交う店内だ。しかし、それを見た瞬間由乃は向こうから気付かれないように影に隠れた。そこにいたのは、先日旅館で赤い煙管を喫んでいた風吹と……その側を寄り添うように歩いている、背の高い男の姿だった。

 二人の異様な雰囲気に、由乃は物陰からただ呆然と見つめていた。まず、男っ気の全く無い風吹が男と連れ立って歩いている姿がそもそも異様だ。いやいや、あれは何だかよくわからないけど仕事で付き合いのある方なのではと思っても、その男の片手がさり気無く風吹の体のどこかを触っている……腰だとか、腕だとか。その度に風吹はさり気無く逃げる事もあったが、何だか曖昧な表情をしてそのままにさせていたりもしていた。これを異様と言わずして何と言うのか。

 と、二人が店の奥に入って由乃の視界から消えた。由乃は思わず、店に入って手前の商品棚の真珠を物色する振りをしながら二人の様子を伺った。幸いにしていつもの制服姿では無いので、そうそう気付かれることは無い……と思いたい。

「……いやぁ、お目が高い! その黒真珠は天鏡珠の中でも質の高い花珠、鴉花珠ですよ!」

 店主のそんな声が聞こえてくる。見ると、店主が風吹と男の二人に声をかけていた。

「そうか。ではこれのイヤリングとネックレスのセットを貰おう」

「……はぁ?」

「はぁ!? 何言ってんだよ、そんな高い代物僕にどうしろってんだよ!?」

 由乃は思わず声が漏れてしまったが、幸いにして風吹の声に掻き消されて気付かれはしなかったようだった。淡水真珠とはいえ、天鏡珠はそこまで安いものではない。その一番質の高い花珠、しかも黒真珠とくれば相当だ。あの男、そんな高いものをぽんと風吹に買ってやろうとするなんて、何者なのだろうか。

「お前の仕事上、必要なものだろう。葬式に呼ばれる事だってあるのだから、持っていて困るものではない」

 その不遜な口調は、どことなく姉の奈落を思わせる。風吹はそういう人種に好かれるタイプなのだろうか。そこまで考えて、由乃ははたと思考を止めた。好かれる。何気無い言葉だったが、自分で墓穴を掘った気がする。

 つまり。あの男は、風吹の……

「……要らないよ、そんなの。僕にはコレで充分だ」

 そう言って風吹は、自分のシャツの袖口を掴んでいた。由乃からは見えないが、いつも風吹はそこに黒縞瑪瑙のカフリンクスを付けている。

「そんな昔渡した物を後生大事に……可愛いやつだな」

「かっ……」

 男の言葉に風吹は頬を赤らめた。これは間違いない。もうこれ以上聞くのは野暮というやつだ。あの男は風吹の……まあそういう事だろうし、風吹も常にあのカフリンクスを付けているということ、そしてさっきからのあの男との距離感を考えるとまあ間違い無いのだろう。

 まあ、風吹とて妙齢の女性であるのだし、そういう相手がいることは何もおかしくはない。そう思ってその場所をそっと離れようとした、その時だった。

 けほ、と風吹が咳き込むのがわかった。だんだん咳き込みが酷くなり、風吹はしばらく座り込んで咳き込み続けていた。

「……ごめん、最近咳が酷くてさ」

男はしばらくその風吹の背中をさすっていたが、ぽつりと呟いた言葉が由乃の耳にも入ってきた。

「またか。……一体いつまでこんなことを続けるつもりだ」

「……」

「お前のことだ、また自分で試したのだろう」

「煩いな、六堂。お前には関係ないよ」

「関係はある。お前は一応、私の妻だぞ」

「……!!」

 今度こそ、大声を上げてしまいそうになったところをすんでのところで堪えた。

「はっ……お前の子どもを産んだってだけだろう。その後育ててもいない僕を捕まえて妻とは、笑わせる」

「……」

「!?」

 衝撃的な話が多すぎて由乃の頭がついていかない。あまりの衝撃に、背中の晶刺しょうさしの痛みなどどうでも良くなってしまっていた。

「もういいだろう? じゃあね」

 呆然としていると、風吹がそう言って動き出したので由乃は慌てて目線を商品棚に戻した。

「待て」

「……」

 風吹がこちらの方に来るかと思いきや、向こうの動きが止まった。由乃はそっと二人の方に目線だけを向けると、風吹に六堂と呼ばれた男が風吹の手を掴んで止めている。店主が六堂に渡した箱を、彼はそのまま風吹に手渡していた。

「持って行け。使わないなら売って生活の足しにでもするといい。なんだこの細い腕は、ちゃんと飯は食っているのか」

「……煩いな。心配するならこんなのよりBALでもくれればいいのに」

 風吹はそう言って六堂の手を振り払うと、押し付けられた箱を無造作に外套のポケットに突っ込んで今度こそこちらの方に向かってきた。由乃は慌ててまた商品棚に目を向ける。由乃の背後を風吹が通り過ぎる気配がして、由乃は風吹が向かった方に目線を向けた。彼女はちょうど店を出ようとしているところだった。由乃は慌てて適当に手に取っていた真珠を商品棚に戻すと、風吹の後を追いかけて行った。




 風吹があの自動二輪車で来ていなくて良かった、と、庭先に止めてあった9Eを見て由乃はそう思った。あれを女学生の足で追いかけるのは至難の技だ。

 あれからしばらく歩いてたどり着いた一軒家のような建物。雑踏から少し離れた雑木林の中にあるその小さな場所は、広くはないが思いの外手の行き届いた庭の奥に玄関を構えていた。白く塗られた木の壁と、ところどころにある美しい一枚硝子の出窓が、その主人の死神という二つ名とはかけ離れた温かみを醸し出している。

 先ほど風吹はこの建物の玄関の中に入っていった。ということは、ここが常盤診療所なのだろう。玄関の脇に目立たないが、その看板が掲げられている。

「ここが……風吹さんの診療所」

 考えてみれば、由乃は風吹が「死神」と呼ばれていることは知っているが、具体的にどんな診療をしているのかは知らない。祖父の恭助の言葉を借りるならば「コロリと逝ける名医」ということらしいのだが、一体どういうことなのだろう。しかしその、由乃には想像の付かない「死ぬため」の診療がここでなされているのだ。

 由乃は門の外から診療所を覗き見つつ、僅かに身震いした。そんな由乃の様子を窓の中から風吹が伺っていることには気付きもしないまま。

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