三話

「あっ……あの……その……」

 まずい。これは非常にまずい状態だ。まずなんで追いかけてきてたのかも説明できないし、不純異性交遊と叫んだ事で全部見ていた事も誤魔化しようがない。

 暫く呆けていた柘榴は、徐々に落ち着きを取り戻したのか溜息をついて由乃をまじまじと眺め回してきた。ちょっと、失礼なぐらいに。

「……貴女、さっき教室から私を見ていた人ね?」

「えっ、気付いてたんですか」

「貴女の外見は、目立つから……それに、その金色の目に見られていたのだもの。すごく印象に残っていたわ。極楽院 由乃さん」

「私の名前……ご存じだったんですか……」

 由乃は初めて自分の少し変わった目の色に感謝した。しかし、相手はどうでも良さそうに、気だるげに手にしていた煙管をまた口にしようとしていた。

「あ、あの!」

 焦った由乃は、大声で柘榴に声をかけた。これ以上、吸わせてはいけない……と、なんとなく思ったのだが、そのあと何を言えばいいのかわからない。下手な事を言えば、姉に怒られてしまう気がする……なんとなく。

 しかし、柘榴の怪訝そうな目が由乃の方に向くばかりだ。とりあえず、とりあえず何か言わなくては。

「あの! 私の『お姉様』になっていただけませんか!?」

「……は?」

 大声で叫んでしまってから、由乃は自分の言葉に絶望した。言うに事欠いて何を言ってしまったんだろう。勢い任せに「エス」を申し込んでしまうなんて。しかも、下級生の私から。

 普通、「エス」の関係とは上級生から下級生に申し込むものだ。下級生から「エス」の申し込みをするなど聞いたことが無い。……少なくとも、由乃は。

「……貴女、気は確かなの? 私の噂を聞いた事が無いわけではないでしょう?」

 幸いにして、下級生から声を掛けた事を柘榴は気にしなかったらしい。しかし、自分に対して、という点の方が腑に落ちないようだ。

 柘榴の噂……それは、勿論あの心中事件のことだろう。しかし。

「でもそれ、ただの噂ですよね?」

 由乃は、そう言い切った。噂とは周りの人間が面白可笑しくいいように作り変えてしまうものだ。由乃は噂よりも、本人の口から聞いた事を信じる事にしている。そこにたとえ、嘘が含まれていたとしても。

 由乃の真摯な目に捉えられて、柘榴は少し躊躇したようだった。目線を由乃から外して、何か言い澱むように……言葉を選ぶように、話し始めた。

「……覚えて……ないの。気が付いたら天鏡沼の湖畔にいて……倒れていた。隣に雫先輩が居たけど……その時には……もう……」

「……覚えていないなら、柘榴先輩が月宮先輩を殺したのかどうかもわかりませんよね?」

「それでも、私は生き残ってしまったのよ」

 その柘榴の一言は、やはり酷い自責の念を感じるものだった。まるで、自分に降り掛かる根も葉もない噂を全て受け入れようとしているようだった。

「……雫先輩と私は、確かにエスだったわ。私は、ずっと先輩をお慕いしていた……エスの関係をお願いしたのは私からよ。先輩が受け入れて下さった時は嬉しかった」

 成る程、だから先程の由乃の申し出にも動じなかったのだ。自分自身がそうだったから。由乃はそのまま、柘榴の話に耳を傾けた。

「でも……先輩には婚約者がいた。それを先輩は痛く気に病んでいたし、私も嫌だった……。だから、一緒に身投げしようと……そういう話があったのは事実よ。私と雫先輩は、確かに心中を……」

 そこまで言って、柘榴は少しふらついた。由乃は思わず支えようとしたが、それを柘榴に制止されてしまった。柘榴は真珠煙管に口をつけると、蒸気を吸い込んで口から吐き出した。由乃が制止する暇もなかった。

「……だから、私にはこれが必要なの。ね? お姉様を見捨てた妹。隠れて真珠煙管をんで、書生と逢引する不良女学生。貴女に良い事なんてひとつもないわ」

「良い事がなければ、好きになっちゃいけないんですか?」

 由乃の言葉に、柘榴は目を丸くした。柘榴の言ったことなど、由乃は全く意に介してなかった。

「……わかっているの? 私、癲狂院にも入っていたのよ。それこそ、あの湖畔の保養地の癲狂院にあれからずっと入れられていたわ。落ち着いてきたからと復学を認められたけど……ただの気狂いなのよ?」

「そんな経験をすれば、誰だって気狂いになるに決まってます!」

 由乃は自分でも、何を必死になっているのかわからなかった。それでも、兄の染夜の面影を持つ彼女に、どうしても近付きたくなっていた。

「……私、兄が居たんです。私の家ではただ一人の男児で。祖父は自由な人で、家を出て鉱石店を開いてしまっていたので、父は兄に……跡取りを期待していたんだと思います」

 柘榴は黙って、由乃の話を聞いていた。これは姉の奈落も、由乃自身もあまり周囲に語ったことのない、身内では禁忌とされている話だった。

「でも……私が五つの時に兄は死にました。……私のせいだったんです。確実に私のせいで引き起こされた……事故でした。父にはその後随分邪険にされましたし、姉はその後祖父の鉱石店を継いでしまったので……あの家を守れるのは、私しかいません。ですから私もいずれ、どなたか適当な殿方を婿に取って子どもを産むのでしょう。ずっと……それを求められてきました」

 だから、今の生家を出た店での生活は、由乃にとって人生の中での僅かな自由時間でもあった。それに、その間に婿に来てくれそうな男を探せるのならそうしろと、父からも言われていた。

「正直、姉が羨ましいですよ。自由恋愛してて、それでいてまるでおぼこみたいな顔して……時々腹が立ちます。……でも、私が苦しい時に手を差し伸べてくれたのも姉なんですけど……って、そんな姉の話ではなくてですね! ええと、何が言いたいのかというと……!」

 だんだん話が逸れて由乃は混乱し始めた。自分は本当に何を言っているのか。何故姉を引き合いに出してしまったのだろう。

 だが、正直姉を妬んでいる部分があるのも事実だった。勿論、姉は姉なりの苦悩がある事もわかってはいるのだが。

 だがそんな由乃を見て、柘榴はふわりと……本当に、今までで一番穏やかな微笑みを見せた。その笑顔に、由乃は一瞬どきりとした。

「……お姉さん、いい方ね。貴女のお姉さんにはお世話になっているわ。この真珠煙管の真珠や薬液も、極楽堂さんのところから買ったものよ」

「えっ!?」

 今度は、由乃が呆気にとられる番だった。柘榴の煙管が姉の店で購入したものだとすれば……それはれっきとした正規品だということになる。

「……ふふふ、処方外だと思ったでしょう」

「はい……そう思ってました。御免なさい……」

「いいのよ、慣れているわ。なまじ処方外で喫煙する人が多いからそう思われやすいのよね」

「でも……! 真珠煙管は未成年の使用は禁止されているんじゃ……?」

 由乃がそういうと、柘榴は怪訝そうな顔をした。

「……お姉さんから説明されていないの? そもそも処方外の真珠煙管の使用はいけないことだけど、きちんとした処方があれば未成年でも喫煙は可能なのよ。見た目が煙管のようだから誤解されやすいのよね。最近は女学生の間で廉価品の硝子煙管も流行っているようだけど、私が使っている煙管も正規品。……うちで作ってる硝子煙管なんだけどね」

 そういうと、柘榴は持っていた煙管を由乃にも見えるように持ち直した。柘榴が持っているそれはあまり装飾の施されていない機能的な形をしていて、医療用と言われると納得できる。そういえば姉がたまに使う真珠煙管もこれと同じものだ。

「極楽堂さんには、そういう意味でもお世話になっているのよ。うちの煙管を卸させてもらっているから。うちの家では小規模だけど硝子製品の工場をやっていてね、正規品を扱う会社として少しは名が通っているのよ」

「あっ……嘉月製造所!」

 柘榴の話を聞いて由乃はやっと思い出した。店に時々積んである箱に書いてある「嘉月製造所」の文字。あれは、柘榴の家から製品を入荷していたのだ。

 柘榴は煙管の火皿を手拭いで拭いて、鞄の中から巾着を出してその中に仕舞った。そして改めて、由乃のほうに向き直った。

「……貴女がとてもお辛い昔の話を打ち明けてくれたのだから、私もそれに応えるべきよね。だけど、残念ながらエスの申し出は受けることはできないわ。私のエスの相手は生涯、雫先輩と決めているから」

「あっ……はい……そうですか……」

 柘榴の言葉に、由乃はあからさまに落胆した。まあ、予測できていたと言えば予測できていたし、そもそも衝動的に申し込んでしまったことなので承諾を得られるとも思っていなかったのだが。

 そんな由乃の露骨な態度を見て、柘榴は苦笑いした。

「だけど、無碍にもできないわね……貴女のお姉さんにはお世話になってもいるし……。そうね。エスにはなれないけれども、お友達……ならいいかしら」

 由乃はぱっと顔を上げて明らかに目をきらきらさせた。言葉にせずとも態度が全てを物語っているのが柘榴には面白いようだった。

「ふふふ……ねえ、ところで何故私とエスになりたかったの?」

「えっ……あの……それは……」

 そういうと、由乃は口籠ってしまった。言い辛い。しかし、問われた事には答えなければと由乃は思っていた。しばらくもじもじした後、小さな声で由乃は言った。

「あの……笑わないで下さいね?……染夜……兄に、貴女が似ていて……ついさっき、一目惚れしてしまったんです……」

 しばらく間があった。やがて、柘榴が口元を覆って奇妙な表情をした。居たたまれず俯いていた由乃が長い沈黙に恐る恐る顔を上げると、柘榴のその表情は実は笑っているのだということに気付いた。

「……笑わないで下さいって……言ったのに……」

 涙目で由乃は非難したが、その口調は益々柘榴を静かに笑わせるだけだった。彼女は顔を覆って、蹲って笑っていた。

 その姿は、まるで泣いているようにも見えて、なんとなく由乃は奇妙な感覚に襲われた。

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