第22話 暗雲立ち込める
岐阜基地航空祭に向けての準備が始まった。
この辺りブルーチームは息つく暇もない激務で、雨木先輩や皐月三曹ともなかなか顔を合わせて、プライベートな話題で話してる時間がなかった。
あと五日で岐阜基地航空祭という日の夜に、母から電話が入った。
かなり珍しい。
実家の旅館は10月は繁忙期で、正直母が息子に構ってる暇など全くない筈だ。
するともしや朱夏さんに何かあったのだろうか?
留守電を聞くまでもなく、番号をタップした。
「大変や」
母の第一声。
「何や二、三日前から、ウチの前ウロついてる中年男性がおるようや」
「お母ちゃん、姿見たん?」
「いや──出入りしてる板さんと、おしぼりの搬入の業者さんが言わはったの」
それじゃあ、朱夏さんの義理の父親かどうかは分からない。
「ほんでな帳場の西條さんおるやろ?西條さんにお願いして、後付けてもろたんや」
「え、危ないな。警察に頼めばいいのに」
母は思い切りの良い性格だから、時々無鉄砲だ。
「アンタの中学生の時も、最初は警察頼りにならなかった。証拠や誰がやってるのかはっきりせえへんと。だから、何処の誰かだけでも確認しようと思ったんや」
「それで、どうやったん?」
アレコレと言うより、話を聞いた方が早そうだ。
「駅から電車乗って京都駅向かったって。身なりは悪うない風だったけど、ウチの前何度かウロウロしててな。朱夏ちゃんには何も言わず、でも家ん中で出来る仕事よう任せて、外出さないようにしてたんや」
「……」
母のキレ過ぎな判断はともかくとして、朱夏さんがまだ知らずにいる事に、少しホッとした。
小松以来あまり元気のない雨木先輩に話すのは少々気が引けたが、朱夏さんに知らせるなら雨木先輩からの方がいい。
「お母ちゃん、今雨木先輩に知らせるから一度電話切る」
「ほな」
母はあっさり電話を切った。
もう22時を回っていたが、雨木先輩にラインをした。
「何かあったか?」
先輩はそっと休憩室にやって来た。
「母から電話が来ました。最近旅館の周りをウロついてる中年男性がいるらしくて。朱夏さんは外に出さないようにして、まだ何も知らせてないんですが、朱夏さんの義父かどうかは、朱夏さんに確認して貰わなきゃならないので、先輩から話して欲しいんです」
先輩はちょっと考える風だったけれど、すぐに頷きスマホを取り出して、朱夏さんに電話をかけた。
「朱夏、まだ起きてるか?」
先輩はわざとなのか明るい声で話し始めた。
本当にこの人、思いやりのある人だよなってつくづく思う。
自分なら精々感情を隠すだけで精一杯だからだ。
先輩のスマホの奥から朱夏さんの明るい声が聞こえて来た。
『どうしたの?パイロットさんはもう寝てる時間じゃないの?』
この元気な声を緊張させたくなかったけど、仕方ない。
先輩も言い出しにくそうにして、一度目を伏せた。
「あの…あのな、朱夏。今、宙のお袋さんから宙に電話があったんだけど…近頃怪しい男性が旅館の周りをウロついてるらしいんだ。顔が分かるの朱夏だけだし、確認出来ないか?」
『……まさか。すごく気を付けてたのに』
明らかにショックを受けている朱夏さんの声。先輩の表情も辛そうだ。
けれども先輩は何か確信あるような雰囲気で、話した。
「朱夏、結構時間はあったし、何かの偶然で居場所が知られた可能性もある。もしかしたら朱夏のオヤジさんじゃない可能性もあるから、きちんと確認しよう」
『分かった。女将さんにどうしたら良いか聞いてみる。この旅館ならこちらの姿を見られずに、確認する方法もあるかも』
確かに。ウチの旅館の造りは初見の客に分かりやすい造りではなかった。
昔の建築の名残りで、客同士あまり顔を合わせて気まずくないように、各部屋の入口も入り組んでいる。
玄関もストレートに内部が見渡せる造りではない。
「辛かったら、すぐ言えよ。宙のお袋さんも心配してるし」
『うん、ありがとう。女将さん、頼りになるよ、分かってる。宙さんに良く似てるよね』
先輩がチラリとこちらを見た。
何故か思わず赤くなっているのを自覚した。
自分が頼りになるなんて評価受けたのが、初めてだったから──だと思う。
今迄、特に女性からは見た目の話ばかりで、俺自身を見ての話ってなかった。
だから中高一貫の男子校、航学、自衛隊とほぼ男ばかりの社会で、ようやくアイデンティティを確立している事は自覚している。
それが自分の脆さである事も。
男女問わずフラットに付き合えている雨木先輩は、ある意味で理想とは言えた。人間として、きちんと向かい合ってる感じがする。
尤もフラット過ぎて、皐月三曹がちょっと可哀想な状況ではあったが。
難しいな…。
誰かを好きになりたいと思う気持ちと、誰かに好かれたいと言う気持ち。
あまりにバランスを崩せば、それは一方的で偏り方が酷ければ犯罪にもなり得る。
けれども思いを届けないまま、諦めるのも何だかあまりにも自身を卑下しているような気もする。
「宙、ありがとう。お袋さんにも良くお礼を伝えて欲しい。それにまた手間をかけさせるけど」
「いえ、こちらこそ。朱夏さんは既に旅館では戦力みたいですから、朱夏さんの護衛なら母は喜んで引き受けるでしょう」
「お前さ…」
雨木先輩にしては珍しく言い淀んだ。
「はい?」
「いや、いい。今、そんな場合じゃないし…もう寝よう。明日もまたハードだから」
先輩の笑顔にこの時は誤魔化されてしまった。
やっぱり自分は、対人関係に関してはまだまだ本当に経験値が足りなかったと、後日反省したのだ。
ただこの時は自身も全く思いも寄らなかったと言ったら、それは言い訳になるのだろうか?
翌朝、皐月三曹が相変わらず一番乗りで格納庫に居た。
「あら?良く眠れてない顔してますね」
「色々考え過ぎた」
「たまには良いかもしれませんね。色々悩むのも」
珍しく──本当に珍しく皐月三曹がにっこりと微笑んだ。
「そんな事言って……アンタだってつい最近まで元気なかったじゃないか」
原因が良く分かっていただけに、どう労っていいか分からなかった。
「また悩むかもしれないけど」
皐月三曹は帽子を脱いだ。
「此処に今居る事自身、嬉しい事だなって気が付いたので、今出来る事をやるべきだなって考えたんです」
女子の隊員で髪を多少なりとも伸ばしているものは、大抵一つに結い脇はピンで留めている。
皐月三曹も当然そうだったが、肩まであったと思える髪がかなり短くなっていた。
「アンタやっぱりメンタル強いや」
確かにどう悩んでも、今出来る事なんてそう沢山はない。
少ない選択肢から選びながら前に進むしかない訳だから──。
「雨木先輩、いつかは気がつくと思う。アンタ、真っ直ぐだし」
「あまり器用じゃないので。それは川島二尉と同じです」
ああ、顔や見た目で評価しない異性が此処にもいたな、と気が付いた。
皐月三曹は誰にでもそうだ。
「ありがとう」
すると、まるで目の前に雷が落ちたかのような表情で皐月三曹が言った。
「そう言う言葉、川島二尉は滅多に女子の前で言わない方が良いです。勘違いする人、続出しますから」
「なんだよ、俺はお礼も言えないって事?」
「ぶっきら棒なくらいで丁度いいです」
「ひでぇ」
でも言葉とは裏腹に、心から笑えた。
本日、快晴 @cieroazul730
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