第21話 乱気流に乗って

小松基地航空祭予行、足代三佐がやけに鋭角的なフライトをしていた為、少し緊張の度合いが高く、本番を前にして疲れてしまった。

訓練が終わり地上に降りて来て、安心感から溜息をついたら、何故か前席から『馬に蹴られてろ』と聞こえたような気がした。

いや、多分空耳ではなかったと思う。

足代三佐が珍しく感情的になっていたようだ。

確かに今日の雲の多さ、低さは5区分ギリギリで、むしろ予行が行われたことが奇跡であり、パイロットとしては気遣いの増えたフライトだったのは間違いがない。

ただそう言う時程、冷静に安定したフライトをする足代三佐らしくなかった。

ブルーから降りて、ヘルメットをぶら下げる足代三佐の背中から微妙に距離を取りながら、ブルーチームの待機している建物に向かった。

うーん、怒ってる?

俺、何かしただろうか?

不思議に思いながら格納庫で整備士に、ヘルメットを預けてブリーフィングルームに向かった。



翌朝。

ここ5年くらいまで、季節柄仕方ないものの台風通過や秋雨前線の影響でブルーのフライトが中止になったり、航空祭の開催自体が取り止めになっていた小松基地で、今日は驚くほど空高く澄んだ青空だった。

後藤二佐は朝から機嫌良く、昨日自分を見ていた表情とは大違いで、今まで見た事がないような笑顔をしていた。

開催前の時間、エプロンに出て空を見上げていたら、隣に宙がやって来た。

「晴れましたね」

「久しぶりにフルの一区分で行けそうだ」

「そうっすね。…あの、皐月三曹から伝言頼まれました」

「皐月三曹が?」

先程格納庫で会ったばかりだ。

何で宙に伝言を?

「朱夏さん、入間基地航空祭の時に東京に戻るそうです。お母さんに会う気持ちになったみたいで」

「そうなのか?」

入間基地航空祭、と言うとこちらは絶賛フライト&営業中。自分たちが朱夏に付いて行く訳にはいかない。

「それは…危険なような気も。朱夏がお袋さんと話す気になったのは、良い事だとは思うけど…」

いきなり親子二人にするのも良くないように思える。正直チャンスは一度きりではないだろうか。

この先朱夏の受ける負担を考えたら。

「東京の支援団体の人に相談してみる。どっちにしろ朱夏が東京で一人で行動するのは危ないんじゃないか?」

「そうですよね、俺もそう思います。皐月三曹にそう伝えておきます」

「あ、宙…」

「…何すか?」

「……いや、いい」

皐月三曹が少し元気が無いように見えた。

いつもまるで変わらない彼女にしては、珍しい事だ。

ただ──もし彼女と宙が仲良くなりつつあるなら、余計な口出しかもしれない。

朱夏の事もこのまま二人を頼っていて良いものか、少し考えた方が良いのだろうか。

やたら開催時間が早くなりつつある航空祭だったが、小松基地はこの10年代々基地司令の威令が行き届いていて、近隣への配慮から開催時間のぴったり決まった時間に開門する。

そろそろ時間だ。

腕時計を見て確認して、格納庫に戻った。



午後1時から始まったフライトは、近年ないキレのあるフライトだった。天気が追い風になり、チーム全体引き締まった気持ちでフライトに望めた。

昨日機嫌が良くないように見えた足代三佐は、今日はいつもの安定したフライトに戻り、1番機との間合いも絶好で、自分としても得るものが多かった。

この後10月の観艦式で横須賀沖でのフライト、岐阜、入間と予定はタイトで正直どれだけ朱夏の為に動けるか自分も自信がない。

せめて母親の元に行く時は、側に付いていた方が良いように感じる。一人にはしない方が良いだろう。

最終的には朱夏自身の問題になるから、俺が関わるのも限界が出て来る。

だからこそ付き合える所は付き合ってやりたかった。

航空祭の終わった夜、宿舎から朱夏に電話をかけた。

『フライトお疲れ様!ツイキャスのライブで見てたよ。ライブ配信してる人が何人かいるんだよね』

朱夏の声はいつものように明るかった。

宙の実家は居心地が良いようだ。

宙の母親は流石に老舗旅館の女将さんと言うべきで、人を見る目のある人らしい。朱夏を遠慮させないよう程よく役目を与えて、朱夏を萎縮させずに滞在させていた。

仕事があるからか朱夏も、事件の事は気にせずに生活出来ているらしい。

東京の支援団体の相談員に聞いた話では、むしろ過去の虐待やハラスメントを告白した後の方が、表目にも本人自身にも心理的な負担が増えるのだと言う。

それは事件を知った後の周囲の態度を、事件被害者が強く感じるからだとも思えるし、実際に態度を変える人間がいるからだろう。

自分はどうだろう。

朱夏を助けたい。

その気持ちにブレはない。

でも以前のように、気楽にデートを申し込めない。

朱夏を一人の女性と言うよりは、家族のように力になりたいと感じている。

それは朱夏を、もう女性としては見てないという事になるのだろうか?

多分朱夏の事件がある程度見通しがつかないと、答えが出ないだろう。

これも一種の失恋かな?

明るく話す朱夏の声に答えながら、ふとそう思った。

「朱夏…入間の時、こっちに帰って来るって聞いた」

『うん…ダメかな』

「朱夏のお袋さんに会うのはもう少し後にしないかな。シーズン終われば俺も付き合えるし、それより一度支援団体の相談員に会って、どんな方法があるかだけでも話を聞いてみないか?」

『……』

「他の人に話すのは嫌だよな」

『…ううん、分かったよ。雫ちゃん。──多分雫ちゃんが感じてるように、わたし今お母さんに会っても、上手く話せないと思う。また喧嘩になっちゃう』

「喧嘩、したのか?以前に」

『わたしは少しでも早く家を出て、お父さんから離れたかった。でもお母さんは自分たちが離婚するから、大学まで行くべきだって譲らなかった』

「お前成績良かったもんなあ」

『雫ちゃんのお陰で数学がなんとかなってたからね。でもお母さんの側にいたら、お父さんに一生…』

朱夏は喉に何か詰まったかのように、言葉を止めた。

「朱夏…」

『──やっぱまだお母さんには会わない方が良さそう。皆んなが応援してくれたから、ついその気になっちゃったけど』

「意外だな。皐月三曹が随分上手く相談に乗ってたんだな」

『由奈ちゃんの話を聞いてると、以前の自分みたいでさ』

「そうか?」

皐月三曹と朱夏では、まるで逆のような感じもするが。

でも確かに最近の皐月三曹は、雰囲気が随分と柔らかくなったような気がする。

それは宙もだ。

「皐月三曹は最近宙と仲が良いから──」

『…雫ちゃん、それ本気でそう思ってる?』

「え?」

『唐変木!!』

突然電話が切れた。

電波の状態が悪い訳では無いらしい。

最後の一言が大分感情的になっていた。

…俺、何か言ったのか?

昨日から皐月三曹を話題にするのが、どうも鬼門らしい。

また何か変な噂でも回っているのだろうか?



「アレ?RAINくん、今日はテンション低いね。そんなんでスローロールしたら墜落しちゃうよ」

「4番機はやらないから、良いっす」

スローロールは6番機が機体を回転させながら、ゆっくり会場をローパスする見た目は静かに見えても、パイロットには強いGもかかり負担の大きな技だ。

以前、隊のパイロットの飲み会で技の腕くらべの話になった時に、全機体でスローロールでエリアをフライトしてみようと言う話になった。話だけで実際にあった訳ではないが、常に訓練している6番機に他が勝てる訳がない。

「叱られたんだ」

ドキリとした。

全くこの先輩は言う言葉がタイミング良すぎて、いつも絶句する。

しかし釣られて黙っていると、話題が思わぬ方向にフライパスする為、早めに道筋をつけなければ。

「別に叱られてないです」

「──泣いてるように見えたもんな。ハリネズミちゃん」

「え?」

そう言えば今朝は皐月三曹の姿は見かけていない。昨日は航空祭当日でお互い忙しくて、あまり記憶にない。

帰投の準備で忙しいからかと考えていた。

いつもフライトの時は変わらずヘルメットを準備して、差し出してくれていたのに。

そう考えていたら、あっという間に金華湾の青い海が見えて、ブルー各機着陸態勢に入って行った。

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