第18話 Cross rode

「きゃっ!」

ガツンと言う何かにぶつかる音と、ズサっと転ぶ音がした。

「皐月三曹!?」

慌てて助け起こしに行ったが、皐月三曹は「大丈夫です」と言い、自身で立ち上がった。

ブルーインパルスの格納庫。

皐月三曹と話す時は、いつも此処に来ることにした。彼女は一人きりでもこちらにいることが多い。

T-4の翼の下にいた彼女はこちらに気がついて、うっかり立ち上がろうとしたらしい。

整備なら怠りない彼女だが、確かに普段からドアにぶつかったり手を挟んだりと、なかなか賑やかだ。

「頭、見せてみて」

「だ、大丈夫です。雨木二尉」

頭を押さえて、皐月三曹は真っ赤になった。

「あの…、朱夏さんから色々伺ったんですが、朱夏さん、お母さんに会おうかって考えているそうです」

「朱夏が?」

「昨夜電話で話したんですが、朱夏さんは『今まで会う気がしなかったけど、今なら少し冷静に話せると思う』って話してました」

朱夏と朱夏の母親は、朱夏の話からすると高校卒業後、朱夏が家を出てから会っていない事になる。離婚はしたようだが、義父の件で朱夏の母親は朱夏を保護しなかったらしい事は分かる。

証拠を、と言われ、まずはweb上に写真が流出してないか、相談先の援助団体が調査を請け負う事になった。こればかりは探し方があるそうで、素人が出来る事がないと言われた。

当時の様子を朱夏以外の誰かから話を聞けないか、と聞かれ、朱夏に母親の住所を聞いた。次の休みに自分が話を聞いて来ようと考えていたからだ。

朱夏はあまり気の進む様子ではなかった。

無理もない。

一番守って欲しい時に、守って貰えなかったのだ。

「雨木二尉、朱夏さんはまだようやくその気持ちを口に出してみただけなんです。ゆっくり行きましょう。先日祖母にお願いして、朱夏さんのいる川嶋二尉のご実家の旅館に卵を送って貰いました」

皐月三曹がにっこりと微笑った。

──普段生真面目な表情ばかり見ていたけど、皐月三曹は笑顔になると彼女が周りにはなかなかいないくらいの、美人だったと思い出す。思わず自分が赤くなるのが分かった。

何照れてるんだか。

「ありがとう、色々気遣ってくれて。朱夏も宙のお袋さんも喜ぶ」

「川嶋二尉が、老舗旅館の一人息子だとは思いませんでした。客商売には全く向いてませんよね」

皐月三曹にまで言われている。

「アイツ、でも意外と腹が座ってて頼りになる。那覇にいたならスクランブルばかりだっただろうから、緊急事態慣れしてるのかもな」

「最近、ちょっと優しくなりました」

「へえ」

そう言えば年齢的にも一つ違いになる、宙と皐月三曹ならば美男美女で似合っている。

自分のうっかりな行動から、皐月三曹と自分の間に何かあるような噂が、夏まで基地内であったのは知っていた。

同じ4番機の足代三佐など、確定的なように声をかけて来るし、基地司令の耳にまで届いているなどと言う噂まであった。

真面目で率直な皐月三曹を傷付けていないか気になっていたが、もし何か自分が力になれる事があれば、出来る限り力になりたいと考えていた。

朱夏の件も返事一つで、受けてくれたと宙も話していたっけ。

「皐月三曹、本当に感謝してる。朱夏も喜んでるし。皐月三曹とお菓子のレシピの話をするのが楽しいってラインで来てた」

「雨木二尉は甘い物がお好きだそうですね。何がお好きですか?」

「この前のプリン、すごく美味しかったよ。あとはシュークリームとか…」

「シュークリームですね」

何故か皐月三曹はポケットからメモを出して記入していた。

「小松が終われば、次は岐阜、浜松、入間と忙しくなりますね」

「今年は更に観艦式でフライトあるからなぁ…。タイトなスケジュールだよな」

「足代三佐は入間がラストフライトでしたね」

そろそろ自分がORになる日が近づいて来ていた。

「教われる事は今のうちに教わらないとな…」

「足代三佐もそうですが、雨木二尉も機体の使い方が丁寧で、整備士としては助かります。機体の寿命も少し伸びますから」

「そうかな?」

「雨木二尉が丁寧なフライトをなさるパイロットだって言うのは、入間にいた頃に、301飛行隊から異動して来た同僚から聞いていました。だからわたしーー雨木二尉にお会いしたいと思っていたんです」

確か歓迎会の時に彼女が言っていた。

『きたいを無駄にしないパイロット』ーー機体、だったのか。

確かにあれだけ毎日丁寧に整備をする皐月三曹だ。

如何にも彼女らしい、挨拶だったんだと納得した。

皐月三曹には後頭部をちゃんと、誰かに見てもらうよう話した。皐月三曹は少し赤くなって分かりました、と返事をした。



秋になって、天候が安定して来ると訓練も本格化して来た。

毎日後席に乗っていて分かるのは、足代三佐のフライトが益々鋭角的で、他機とのスレスレな間合いを縫っての物になっていっている事だった。

「丁度慣れてイケる!って頃に異動になるんだよね、僕たち」

回転させた機体が正常に戻ると、ため息混じりの声で足代三佐が言った。

「そうっすね」

ようやく空技によって感じられるGの重さや変化に慣れた頃に、TR期間が終わる。

「ちょっと厄介だけど、佐藤一尉の異動が少し早まるみたいだよ。そろそろ訓練機も新型機か、もしくは改変をって話があるから、そちらに異動になるかも。S agitくんはRAINが見てやって」

「アイツなら大丈夫っす」

「アレ?随分信頼があるね」

「プレッシャーには強い奴だから」

「RAINくんは落ち着いて来た。これなら僕は悠々引退出来る」

「まだ天候最悪かもしれない小松と、空域スレスレの岐阜、人間航空祭の入間がありますよ」

「また後藤総括班長の天候祈願の神社通いが始まるね〜」

「てるてる坊主なら一個10秒で作れるようになりました」

地上から比べると、かなり強い日差しがキャノピーのガラスに反射する。

濃い空の色。

下に見える金華湾の海と変わらない青の深さは、どちらが空か分からない程に見えた。

この季節、いつも感じる感動はブルーに乗る者で無ければ、分からないかもしれない。

朱夏もいつか、ありのままに空や海や風を感じられる日がきっと来る。

そう願った。

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