第17話 複座の効能
松島基地に帰投した雨木先輩から、朱夏さんの件で色々な相談を受けた。
先輩は休みの最後の日の早朝、京都を引き上げ新幹線で東京に向かったそうだ。
とりあえず朱夏さんの身の安全は確保されてはいるけれど、またいつ情報を得て朱夏さんの義理の父親だと言うその男が、追いかけて来るか分からない事は確かだった。
東京で先輩は元弁護士の知り合いに勧められて、10年以上前からネット中心に、子供や女性に対する性的虐待やハラスメント行為に対して取り組んで来た団体の主催者に会いに行っていた。
問題の解決方法を一つでも多く探る為だ。
先輩の話では、簡単には行かないがもし証拠があれば警察に被害届を出す。もしくは捜査を開始出来るだけの事案になれば警察に協力をお願い出来るだろうとの事だった。
成人に対するストーカー行為は、なかなか証拠が掴みにくく、警察がその場で捕まえても加害者が認めない限り、なかなか事件として上げるのは難しいとの事だった。
ただ近年──ひどい児童虐待の事件が続いた事から、児童に対する強制わいせつや傷害などは刑事事件の時効が本人が成人してから10年と言う形で、一般の事案よりも延長される形になっていた。
それでもオレから見れば、まだ足りないと感じる。こう言った行為は受けてからの心理的被害がかなり大きく、立ち直るのに時間がかかるからだ。
オレだって──未だにやや人間不信だ。
ただ先輩に安全にフライトして欲しかった皐月三曹の事も、受け入れ難かった程に。
皐月三曹の気持ちは航空機を整備している者ならば、誰でも持つものだし、その気持ちを雨木先輩に押し付けたくなかったからこそ、先輩から隠れた行為になっていたのだから。
一方的な思い込みから、他人を自由に出来ると考える奴らの考え方は、まるで理解出来ない。かと言って放置して、朱夏さんが一生逃げ隠れしなければならないのは、おかしいだろう。
夜の食事後の休憩時間に、先輩の部屋で今後について話し合った。
9月の末には小松基地航空祭でブルーが飛ぶので、その為の調整で忙しい時期だった。
「皐月三曹に話して関わらせたらどうでしょうか?」
「え?皐月三曹を?」
先輩はものすごく驚いた顔だった。
「多分朱夏さんにとって身近過ぎる人は、朱夏さんは相談しにくいんだなって話聞いてて感じました。先輩には朱夏さん、嫌われたくなかったんですよ、先輩のこと信じていても。それはオレも分かる気がする。那覇の件は母にも話してないし。あとは同性の方が話しやすい内容ってありますよね」
先輩は大きな目でじっとこちらを見た。
そして、はぁーっと息を吐き出して言った。
「宙、今回の件、お前がいて本当に良かったと思う。俺、本当に能天気だよな。そう言う事思い付きもしなかった。でも確かに今回の京都行きでも、朱夏は全部話せてないし、それで当然だと思ってる。むしろ自分には話して貰う権利があるのかどうか、考えたくなった」
「母の話では、朱夏さん張り切って旅館のHP直してるみたいだし、先輩に話した事は却って良かったみたいですよ」
「ありがとう、宙」
先輩の真っ直ぐな人柄が滲むような笑顔だった。
少しでも先輩の助けになっているのなら、自分の過去も無駄じゃないと思った。
「明日早速皐月三曹に話してみませんか?皐月三曹と朱夏さんて、顔合わせた事あるんですよね?」
「うん、朱夏の仕事でインタビュー受けたんだ」
「やり取りあるみたいだし、皐月三曹も他人事なら冷静に動けるだろうし、慎重な性格でもありますし」
「…宙が皐月三曹をそんな風に評価してるなんて、知らなかった。足代三佐なんてお前たちの事『PAC3とガスホルダーだ』なんて話してたのに」
「それどっちがどっちなんすか。一度朱夏さんにも了解を取って、皐月三曹を朱夏さんの相談窓口にしましょう。動くのはオレと先輩で」
「わかった。皐月三曹には俺から話す」
それは皐月三曹の気持ちを考えると、どうだろう。
「皐月三曹にはオレから話しておきます。先輩は東京のその団体の人に具体的に何をするのか、尋ねてみて下さい」
先輩は不思議そうな表情をしたが、了承してくれた。
この人は人に対しての思いやりは深いし繊細なのに、変なところで鈍い。
皐月三曹の先輩に対する気持ちは、今やチーム全員どころか、基地司令や食堂の調理師も含めて基地内全部知ってんじゃないかと思うんだけど。
「分かりました」
皐月三曹はいつもの生真面目な顔で、一言でこの複雑な案件を了解した。
「あまり、ガツガツ朱夏さんに聞かないで、様子は見て相談に乗ってあげて欲しい」
「分かりますよ。T-4の整備だって無闇に分解しても機械の調子なんて分かりません。まずは作動してる時によく音を聞いたりフライトの様子を見たりしておく事も大切なんです。朱夏さんが話したくない事、しかもこんなに辛い事で無理に聞いても仕方ないです」
喩えが飛行機なのが皐月三曹だったが、彼女は本来察しの早い人間なんじゃないかと、認識を改めた。
人ってやっぱり話してみないと分からない。
子供の頃からの虐めや学生時代、入隊してからのストーキング被害で、他人とは間合いを置き、極力関わらずにいた。
隊に入った時に、その部分は何度か指摘されて来ていたが、どうしても改められずに、自分自身コンプレックスにもなっていた。
那覇の304飛行隊の隊長はオレにブルーチームへの異動の内示が出た時に、少し考えるようにしてから、何か思い付いたように笑って言った。
「戦闘機って今は殆どが単座だけど、昔は複座の戦闘機が主流だった時期もあった。お前のそう言う部分、もしかしたら複座なら良い影響があるかもしれない。複座って前と後ろの協力関係が必要だし、ブルーは3年しか乗れないから、短い期間でコツを掴まなきゃならない。まあ、広報だからお客さんに笑顔もいるしな」
当時自分には少し荷が重く感じる言葉だったが、今なら分かる。
「ブルーに乗って、着陸してキャノピーが開いた時、世界が変わるぞ」
隊長の餞の言葉だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます