第16話 涙の色
昼食を摂り終えると、少し歩こうと言う事になり、喜撰橋から塔の島に向かった。塔の島はすぐ隣の橘島と合わせて中之島と呼ばれている。朱夏の話では源氏物語の舞台にもなった場所だと言う。
そう言えば朱夏は読書が好きで、高校時代はよく図書館にいた。
でもそれも今思えば、家に帰りたくなかったからだろう。
同じ高校に通ったが、一年下の朱夏の学校での様子はよく分からなかった。
朱夏は数学は苦手としていたが、俺が苦手としていた古文や日本史は得意だったから、一年違いでもお互いにヤマを教えあったりしていた。
たまにウチにも遊びに来ていて、母と仲良く話したり夕食の支度を手伝ったりして、夕食をウチで食べてから帰宅する朱夏を送って行った事もある。
あの頃は兄妹のような関係が続いていて、まさか朱夏の家庭がそんな状況にあるとは思わなかった。
ただ幼い頃にはなかった陰が、あの頃の朱夏にはあったかもしれない。
男子に人気があった朱夏を紹介するよう、随分友人たちからも頼まれたが、大抵朱夏からは「ごめんね、雫ちゃん。上手に断っておいて」とお願いされていた。
「わたし…こんなだから自分に本当自信なくて、一人でいるのが苦手だった。それは今でもそう。なのに誰かを本気で好きになる為には、どうして良いか分からなくて。だから男の人と付き合っても上手くいかなくて」
「それは──それは朱夏のせいじゃないだろ?俺、いつも朱夏が笑ってると安心してた。でも朱夏が本当は笑えるような心境じゃなかったって知って…」
言葉に詰まった。
何を言っても、慰めにもならないような気もした。
気がつかなかった自分。
気付かせずにいた朱夏。
知らなかったと言う事が、こんなに辛かった事はなかった。
「…雫ちゃん」
朱夏が驚いた表情で、指で頬に触れた。
「ごめん……俺が泣いてる場合じゃないのに」
「ううん、わたしの為に泣いてくれたのは雫ちゃんが初めてだから。ありがとう、雫ちゃん」
「朱夏も泣けよ。ずっと泣きたかっただろ」
情け無いなと思いながらも、朱夏を強引に抱きしめた。
「……」
朱夏は声を殺して泣いていた。
自分の涙は止まっていたけれど、しばらくそのままじっとしていた。
「朱夏、話すのが嫌なことは沢山あるだろうけど、敢えて戦ってみないか?」
「戦う?」
「お前の義理の父親にきちんと償わせよう」
「そんな事可能なのかな」
朱夏は不安そうな表情で此方を見た。
「まず証拠集めから始めないと…。大体撮られた写真だって気にならないか?」
「あんまり深く考えないようにしてた」
「最悪、ウェブ上に流出してるよな。かなりお金に困ってたようだし」
最悪──ではなく、ほぼ確実にかもしれない。
「まずは俺が、そう言った案件に詳しい知り合いに話しておくから、朱夏は…嫌じゃなければ経緯を書類にまとめられないか?」
「書類?」
「うん、今まで起きた事の経緯を時系列に沿って書いていく。報告書みたいに。そうすれば第三者にも分かりやすくなる」
「女将さんに時間外もパソコン借りられるか、聞いておく。今、一柳館のHPわたしが作り直してるんだけど、その作業の後にでも少しずつ出来れば」
朱夏の頭をくしゃりと撫でた。
「あまり根を詰めるなよ。ゆっくりでいいから。宙の実家、安全みたいだし。流石京都までは、追いかけて来なかったんだな」
「あのさ、雫ちゃん」
朱夏は改まって言った。
「なんだ?」
「わたし、雫ちゃんとデートしたの後悔したって言ったよね?」
「うん…」
俺も今、後悔してた。
「それ、やめることにした。だって、雫ちゃん、すごく優しかったし」
「バカ、そんなの当たり前だろ」
朱夏が言外に言いたかった事が分かって、思わず赤くなる。
まさかこう言った事が理由とは思わず、2度目のデートを断られた時は、二人で過ごした夜の状況が良くなくてフラれたんだと考えてた。今考えれば全くバカな話だった。
それだけでも俺には朱夏の隣にいる資格はなさそうだが、後ろから見守ることは出来る。
守りたい時に守れない──そう言う仕事なのは覚悟しろ。
それは何度か先輩たちから言われていた。
でも『守る』そのやり方には様々あると教えられたのも、自衛隊の仕事からだった。
「まずは情報からだ」
敵を知らなければ、戦えない。
「頑張ろう、朱夏」
ようやく自分がいつもの調子で、笑顔になれたと思った。
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