第15話 事実と真実
翌日宙の母親の計らいで、朱夏と二人で宇治の平等院鳳凰堂に向かった。
夏休みも終わり、シーズンオフな事もあり宇治の町も平等院も静かで人は疎らだった。
平等院の池のほとりをゆっくり一周しながら歩いた。
その後ろ姿がやけに儚げに感じて、どちらかと言えば背が高く大柄な朱夏が、一回り小さく見える。
「朱夏、ちゃんと食ってるか?昼に何か朱夏の好きな物食いに行こう。宇治抹茶のソフトクリームとかさ、さっきから店沢山あるし」
「雫ちゃん、抹茶味苦手じゃん。そう言えば由奈ちゃんも抹茶味苦手って言ってたな。苦いのダメなんだって」
「由奈…って皐月三曹?」
「由奈ちゃん、お菓子作り得意なんだって。おばあちゃんが養鶏家なんだよね?小さい頃から卵使うお菓子を良く作ってたから卵の計量と、あと普通のお料理と違ってお菓子はレシピ通りに作るのが大切だから、得意なんだって話してた。適量とか丁度良いくらいとか、お菓子のレシピはあまり曖昧な事書いてないのが、飛行機の整備みたいで良いって」
飛行機の整備とお菓子作りがイコールな辺り、皐月三曹なら如何にも言いそうだ。
「何だか俺の知らない内に随分仲良しだな。宙もお前の事すっごく心配してた。だから今日は俺、朱夏の話を聞きに来たんだよ」
朱夏はゆっくり顔を上げて、俺を見た。
なかなか覚悟が付かなかったのだろう。
それは朱夏の受けている被害の大きさと苦しんだ期間の長さを、語るものだった。
「雫ちゃん、わたしのこと嫌いになるよ」
「ならないよ。俺がお前を嫌いになったのは、小学二年生の時にブルーのプラモ、壊された時だけだ」
「あー、あの時は怒ってたよね」
「お前、必死に直してくれたよな。ピトー管が変な所に刺さってたけど」
「アンテナみたいな物かと思ってたんだよ」
「まあなぁ…」
朱夏の頭をさらっと撫でて、池の側(はた)にあったベンチに座ろうと勧めた。
「お父さんとお母さんが結婚したのは、わたしが5歳の時だった。雫ちゃんも住んでたあの団地に、引っ越して来る直前だったの。後からお母さんに聞いたけど、わたしの本当のお父さん、早くに亡くなってて、実のお父さんの実家側からわたしの養育費が出てたんだって。だから今思うにお父さんがお母さんと結婚したのは、そのお金が目当てだったんだと思う」
朱夏は対岸の鳳凰堂の建物を眺めているような、それよりも遠くを見つめるような視線を池の対岸に向けていた。
「でもわたしが10歳くらいの頃に、お父さんの事業の借金が嵩んで、お父さんが実のお父さんの実家に、養育費の値上げを交渉しに行ったらしいの」
「ひでぇな。何だかゆすりっぽくないか?」
「そうだったみたいだよ。結局、養育費が他の事に使われてると知って、実のお父さんの実家からは縁を切られちゃって──それで」
朱夏は両腕で体を抱えるようにして、腕組みをして、俯いた。
少し震えている。
…どうしよう。話すのやめさせた方が良いんだろうか?
「ある日お父さんが、写真撮らせろって言ってきたの」
「写真?」
「最初普通に撮ってたけど、段々とエスカレートして来てスカートの中や水着姿や、着替え中を突然撮ったり」
「──!」
「ヤダって散々言ったんだけどね…」
「……」
言葉がなかった。
朱夏の話す内容が、言葉以上に現実は酷いと分かるからだ。
「五年生の時に、夜中寝てる所いきなり脱がされた時は本当怖くて」
朱夏の声に涙が混じるのが分かった。
「それで夜中にウチに来たのか…。朱夏、あの時はもう団地から引っ越ししてたよな」
「うん。お父さん、無理して家買ったんだと思う。引っ越し前、お父さんとお母さんがすごく喧嘩になって、お母さんが倒れて救急車で運ばれたんだよ」
「五年生の時、ってのはその後か」
「お母さん、夏休みに心臓の手術して、あの時雫ちゃんちに預けられて、本当にホッとした。雫ちゃんのお父さんって大企業にお勤めしてたじゃん。だから、ウチのお父さん、変な見栄張って雫ちゃんの家族の前では、カッコ悪い事出来なかったんじゃないかな」
池にいた鴛鴦が飛び立つ音で、朱夏はびくりとした。
「高校生の時に、お母さんの体調が持ち直してから、お母さんが離婚の準備始めた時に、お父さん、わたしと結婚するって言い出した」
「はあ?!だって義理とは言え親子だろ」
「わたしの籍、お母さんが本当のお父さんの実家に気を遣って、そちらのままなの。お母さんとも苗字別だよ」
「お袋さん、気付いてたんだな」
「全部知ってたから、喧嘩になったんだろうけれど」
朱夏は立ち上がった。
「雫ちゃん、お参りして此処から出ない?少し外歩こうよ」
陽射しが水面に反射して、朱夏の表情はよく見えなかったが、頷いて立ち上がった。
鳳凰堂の中も静かだった。
写真で見るよりは、小ぶりに感じる建物だ。
朱夏は中央の阿弥陀像にそっと手を合わせた。
自分も一緒に並んで手を合わせる。
既に9月になっていたが、陽射しは昼近くなると強い。
今年は梅雨が長く夏に気温が高くなる時期が遅かった為、残暑が厳しかった。
同じ時期の松島と京都だと、京都はかなり蒸し暑く感じた。
「これから何処に行く?」
「お昼食べようよ。お蕎麦食べたい」
「うん、奢ってやるからパフェも食べよう」
「相変わらず甘い物好きだねー」
あはは、と朱夏は笑ったが、まだそれは心からの笑顔ではない。
自分はずっとこの笑顔で、自分の気持ちを誤魔化してしまったのかもしれない。
朱夏の話を全て聞こうと思った。
その為に来た。
けれども考えるより、残酷な現実がある。
まだ話せないでいる事実はあるだろう。
どうしたらこれ以上朱夏を傷つけずにいられるだろうか。
夏の名残の陽射しが、宇治川の川面に強く煌めいていた。
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