第13話 隠された事情
宙と朱夏が京都の宙の実家に向かった夜、「無事到着」と宙からメールがあった。
朱夏は勤務先に相談して、しばらく在宅で仕事をする事にしたそうだ。
旅館の女将さんをしている宙の母親も、事情をよく飲み込んだ上で朱夏の安全が確保されるまで、朱夏を住み込みで雇うという名目で、朱夏を旅館に置くことに決めたようだった。
何とか安心出来る状況になったので、自分も以前お世話になった、東京の自衛官募集事務所で受付をしている、元弁護士の経歴を持つ知り合いに、早速電話をしてみた。
彼もすぐの返答には窮したようだ。
「接近禁止命令が出てて、尚且つとなると難しいけれど、警察は事件が無いと捜査令状も取れないしね。ただ近年子供の虐待に関しては、民事でも告訴出来る期限が5年前、10年前に比べてずっと延びたから、その線からなら訴えを起こす事が出来るかも。もちろん訴える側の──朱夏さんの覚悟が必要になるけれど。決して短い期間では解決出来ないから」
「子供の頃に、虐待があったと考えますか?」
「まだ朱夏さんからは、話を聞いてないんでしょう?でも今までの経緯を聞いてると、ご両親が離婚したのは高校生の頃だと言う話だけど、その前から何かあったように思えるけれど。まあ、憶測では言えないけれど」
確かに俺も考えた。
母に電話で話を聞いてから、子供の頃を思い出してみると、夜遅くに朱夏がウチに一人で来た事があったのは、俺が六年生の5月。朱夏を夏休みウチで預かったのも、その後すぐの六年生の夏休みだった。
あの時朱夏に「何か」あったのだ。
全く、自分は何を見ていたんだろう。
もっとちゃんと話を聞いていれば。
「すみません、もう少し事情を聞いて来れたら、また相談しても良いですか?」
「無理はしないで。何がトラウマになるか分からないし、デリケートな件だから。こちらでもそう言う件の専門家に、話をしておくから」
電話を切るとため息が出た。
松島基地航空祭が終わったら、短い期間だが夏休みがある。
今度はちゃんと、朱夏の話を聞こうと思った。
宙が京都から帰って来た。
道中、空路だった事もあり、危険はなかったようだ。
朱夏も安心したらしい。翌日はずっと眠っていたそうだ。きっと不安であまり眠れていなかったのだろう。
「母にはよく頼んで来ました。旅館業だし、人の出入りが多いから警官もたまに立ち寄るんだけど、不審な人物がうろついてるからと、巡回を早速増やして貰ってました」
「宙、本当にありがとう。俺も夏休み入ったら、すぐ京都に行こうと思う。──やっぱりただ逃げてるだけだと、追い詰められてくばかりだから、こちらから手を打ちたい」
宙もため息ついて、目の前の椅子を引いて座った。
「朱夏さんに少し水を向けて話を聞いてみたけど、ここから先は先輩じゃないと難しいと思います。オレも同じように追いかけられて、那覇でもそうだったけど、中学の時にも最初共学に通ったらポストに髪の毛が入った御守り袋とか入ってた事があって…。だから途中から奈良の方にある中高一貫の男子校に、転入したんです」
「……それは、気味悪いな」
「オレにはああいう心理って、分からないけれど」
顔の見えない相手から、もしくは全く望まない相手からの押し付けの善意──。
受け止めなければならない人間には、どれだけの負担があるだろう。
今まで26年間生きて来て、自分にはこんな風に人から無闇に感情をぶつけられた事はなかった。
「母に先輩も泊まれるように伝えておきます」
宙に頷いて礼を言い、椅子から立ち上がった。
松島基地航空祭は無事に終わった。
前日夕立があったものの、翌朝は快晴だった。
「雨木二尉は今日から後席乗られるんですよね」
皐月三曹がまだ開催前の準備の時間に、声をかけて来た。
「少し緊張してるかな」
「雨木二尉のフライトなら全く問題ありません、今日の操縦は足代三佐ではありますが」
「訓練の時みたいに、カマかけられないようにしないと」
「雨木二尉は優しいから、皆んなつい色々声をかけたくなるんですよね。きっとORになったら、一番握手の列が長いですよ」
「どうかなぁ。4番機は10年くらい前から、お笑い枠だって聞くし」
それを聞くと、皐月三曹は小さく微笑んだ。近頃彼女は笑顔を向けるようになって来ていた。着任して10ヶ月程経って、ようやく馴染んで来たのだろうか?
「昨日4番機よく見ておきましたけど、今日も安全なフライトであるよう、祈っております」
凛と伸びた背筋が殊更綺麗な敬礼だった。
「ありがとう」
俺も笑顔で答えた。
夏休みに入り、仙台空港から大阪に向かった。
伊丹から京都の伏見──宙の実家が経営する旅館『一柳館』へ向かった。
着いたのは丁度チェックインの時間に当たっていた為、客室に通され、少し待たされた。
1時間程経つと、旅館の女将らしき人物と一緒に着物姿の朱夏がやって来た。
以前会った時に比べて、朱夏は随分痩せてしまっていた。
「遠い所ようこそお越し下さいました。宙がいつもお世話になっております」
「こちらこそ、朱夏の件ではありがとうございます。本当に助かっています」
「いいえ、とんでもない。朱夏さんのお陰で夏休みの繁忙期にも、かなり助かりました。ウチのボンはあまり接客業では役に立ちませんが、朱夏さんはわたしの跡継いで欲しいくらいやわ」
「女将さん、それは幾らなんでも無理です。わたし、まだお客様お通しするだけで、精一杯ですよ」
「フフ、ウチは真面目なんやけど。明日朱夏さんには手伝って貰わなくて大丈夫なんで、良かったら、何処か二人で出かけて来たらどうやろ?」
「良いんですか?」
「今まで休みなく手伝ってくれたやないの」
宙によく顔立ちが似た綺麗な女将さんだった。朱夏と上手くいってるようで、ホッとした。
「朱夏、俺修学旅行が東北で京都初めてだから、少し観光に付き合ってくれ。何処行きたい?」
「うーん、今なら何処が良いかなあ」
「あまり人混みが良くないようなら、街中に出るより、宇治辺りはどう?」
女将さんがにっこりと此方を見た。
「うん、そうしようかな。宇治って10円玉の裏側にあるお寺がある所ですね?」
「そうです、平等院。花も紅葉もない時期やけど、ゆっくり歩けると思いますよ。じゃあ朱夏さん、あとは夕食の準備の時にお手伝いお願い。しばらくゆっくりして」
お茶だけ淹れると、女将さんは部屋から下がって行った。
「朱夏、大丈夫か?本当に此処に来て、顔を見るまで、心配した」
「ありがとう…本当にごめんなさい。迷惑かけて」
「迷惑じゃないし。俺も宙も、本気で守ろうって今必死に考えてるから」
「あの…松島基地航空祭で雫ちゃん、4番機乗ってたって?皐月三曹が動画、ラインで送ってくれたの」
「操縦したのは足代三佐だけど。本格的にフライトするのは11月末の百里からかな」
「じゃあ、見に行かなきゃ!」
朱夏の笑顔はいつも通り屈託ない。
けれど、この笑顔の下に朱夏はどれだけの想いを隠して来ただろう。
自分が気が付かなかった年月分の、その負債を自分は背負うつもりで此処に来た。
朱夏が望むなら、一緒に戦おう。そう思って。
朱夏は望んでくれるだろうか?
痩せてしまった朱夏を見ると、自分の考えが間違っていないか不安にもなる。
けれども朱夏と同様、自分も顔には出さず笑顔で返した。
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