第10話 恋はプリンより甘いか
7月半ばの日曜日、千歳基地は航空ファンで混み合っていた。
基地開設73年、シグナス──政府専用機2機のターミナル基地である事もあり、人気も高い。
時期も悪くないから、早めの夏休みを取って、観光と兼ねて出かけて来るファンも多かった。
もちろんブルーインパルスも展示飛行を予定している。
けれどいかんせん今年は梅雨が長引いて、配慮に配慮を重ねての日にちの選定だったにも関わらず、朝から小雨が降り続いていた。
総括班長の後藤二佐など、あからさまに天気の愚痴を雨木二尉に話す物だから、雨木二尉は元気が無かった。
大体名前は自分で決められるものじゃないのだから、仕方ないじゃないと思うのだが、雨木二尉の人柄からだろうか。
皆んな、彼には冗談のように見せて結構言いたいように言う。
雨木二尉はいつもニコニコと笑顔で、それが隊内でも潤滑油の役割を果たしていた。
偶に困った表情でいると、助けたくなるのだけれど、わたしの利かない機転では声ひとつかけられず、いつももどかしかった。
なのでせめて4番機を安全に確実に、完璧に整備して置こうと必死だ。
千歳でもまだ航空祭が開始する前の時間に、もう一度点検し直した。
本当は勝手に仕事を増やすな、と川嶋二尉辺りがいたら叱られそうな所ではある。
「いつも、ありがとうね〜」
不意に背後から声がかかった。
4番機ORの足代三佐だ。
足代三佐は防大出身で、軽い話し方の割にはかなりのキャリアの持ち主だ。
ロシアのSu-57をしつこくF-35一機で追い回して、防空識別圏から叩き出したなんて噂もあった。
にっこりと笑顔だが、中身はなかなか不敵な所がある。
「皐月三曹はいつもホンキが漲ってるよね」
「……それは、空を飛ぶ物に対して手は抜けませんから」
「うんうん。そう言う所、お父さんそっくりだよね」
「…父を知ってるんですか?」
「一度お世話になった事あるし、それにあのF-4の整備してた頃から有名だったでしょ。彼の整備した機体は全くの無事故だったって──伝説だよね。まだ現役だけど」
「はい、那覇の救難におります。もうそろそろ退役です」
「融通が利かない所も、お父さんに似たね」
「……」
足代三佐の真意が見えず、思わず手が止まる。
「RAINくんもね〜、あんな優男風でモテるだろうに、何か妙に自己評価低い時あるから、君の気持ちにも気が付かないんだろうけど」
「…あ、あ、雨木二尉とは皆んなが面白がって噂にしただけで!あんな──わたしが相手じゃ雨木二尉に迷惑になります」
意識した訳ではないのに、顔が赤くなるのが分かった。
「そんな事は無いと思うけどね。パイロットはどうやっても、3年以上同じ場所にいられないからさ。RAINくんが気が付かないなら、君が頑張らないと」
ぽすっと頭に手を置かれた。
180cm越えている足代三佐とわたしが並ぶと、身長だけならまるで巨人と小人みたいだ。
「たまにはハリネズミちゃんも針を寝かしてみると、良いと思うよ」
ハリネズミ?
足代三佐は「程々にして休みなさいよ〜」と手を振って行ってしまった。
ハリネズミって──わたしの事か。
雨木二尉は、今日は本当に元気がなかった。
ナレーションが静浜の時の65%の出来で、隊長と総括班長から呼び出されている。
こんな時何か言葉をかけたいと思うけれど、本当にどうして良いのか自分では分からなかった。
そう言えば今日は雨木二尉の幼馴染にあたると言う、日山朱夏さんが来ていた。
朱夏さんは情報発信系のウェブブログや動画を配信する大手企業とフリーのライターとして契約している人で、普段は不動産系の真面目な記事を書いていると、先日の取材の時に話していた。
朱夏さんの記事は反響が大きくあり、たまたま食堂で会った基地司令からも、良いインタビューだったと褒めて頂いた。
記事が良かったのは、わたしでは無く、朱夏さんのライターとしての能力のおかげだろう。
朱夏さんは明るく親切で、しかも可愛いらしくて背も高かった。
基地見学の時は白地にブルーのラインの入ったニューバランスのスニーカーを履いており、それがまた彼女のすんなりとしたスタイルや、長い足をより良く見せていて、女子のわたしでも惹きつけられてしまう。
弾むように進む会話は、なかなか一見の相手に何を話して良いか分からないわたしには、ホッと安心出来るタイプだった。
雨木二尉は「幼馴染」と紹介していたけれど、あんなに素敵な人が子供の頃から側にいたら、付き合わないなんて事があるだろうか?
ラインIDを交換したので、朱夏さんとはたまにやり取りをしている。
今日の航空祭も雨木二尉がナレーションをすると知らせたら、朱夏さんはすぐに「行く」と返事をくれた。
「由奈ちゃんのお仕事って、本当スゴいよね。パイロットが無事飛べるのも、きちんとした整備あっての物だもんね。すごく勉強もするんでしょう?」
まだF-35やF-15のデモフライト中に、ターミナルビルの側に来て、二人で並んで空を見上げていた。
「勉強と言うか、父や母の影響で子供の頃からずっと飛行機ばかり見てたから。好きって言うより家族みたいな、そんな感じです」
「そっか〜。わたしは子供の頃は、なりたい職業ってなくて、大人になってから書こうって思って、ライター募集の記事見て応募したんだよね。だから雫ちゃんや由奈ちゃんみたいに、子供の頃からやりたい事決まってる人って憧れだなぁ」
朱夏さんは空を眺めながら、言った。
「皐月三曹、そろそろ時間だろ」
呼ばれて振り向くと、そこには川嶋二尉がいた。
何故か朱夏さんが川嶋二尉を見て会釈をする。
この二人、知り合い?
「川嶋さん、先日はありがとうございました。本当に助かりました」
「朱夏さん、メッセンジャーでも言ったけど、まどろっこしいから宙で良いです。役に立ったなら良かったけど…皐月三曹、先に行ってて下さい。オレもすぐ行きます」
何だか体良く追い払われてしまったけど、確かにもう時間だ。
少し気になったけど、ある意味他人のわたしが関わるのもと考えて、ターミナルビルの中に戻った。
戻るとブルーチームが待合室に使用している部屋からこちらに向かう、雨木二尉がいた。
「ブルー、何とか飛べそうだよ」
雨木二尉はホッとした表情だった。
「あのーー今そこに」
「皐月、早く来い!」
宇部一尉から呼ばれたので、雨木二尉には朱夏さんが来ている事を告げられなかった。
翌日ブルーチームは松島に帰投した。
自分も他の整備チームの隊員と一緒に、C-2で帰投する。
2016年から運用が開始された機体で、今は美保と入間に配備されている。
先行して運用されていたC-1よりずっと音も静かで、揺れも少ないと父は話していた。
いつか大型の機体の整備をするのが、希望でもあった。
帰投してみて気が付いたけど、雨木二尉はやはり元気がなかった。
理由は分からないけれど、そう言えば朱夏さんからは「時間がなくて、声がかけられなかったから、雫ちゃんによろしく伝えて」とラインが来ていた。
そんな時、祖母から何故か山程卵が届いてしまった。正直、生ものだし一人暮らしに3ダースも送って来るのはどうかと思うが、勿体ないので基地近くのパン屋兼お菓子屋の大洋堂さんにいつも引き取って貰っていた。
──そう言えば雨木二尉はプリンが好きで、食事のメニューに出てると嬉しそうだったっけ。
ブルーチームの食事は専門の調理師が付いているが、調理師のおば様方とは仲良くして貰ってたので、出来ればプリンを作りたいと相談してみた。
すると調理師の一人が、テレビに出たウチの祖母を知っていて、ぜひにと言ってくれたので、その日救護室で検査を受けてから消毒して、調理室に入れて貰う事が出来た。
「すごいわね〜!こんなに黄身が盛り上がってる卵、初めて見た」
調理師のチーフは嬉しそうな声を上げた。
「由奈ちゃん、蒸し器とオーブンどっち使う?」
「チーム皆んなの分だし、オーブンの方が」
「焦げ目付けましょ、その方が美味しいから」
「はい」
調理室はなんだか卵以上に盛り上がっていた。
「プリン、皐月三曹が作ったんだって?」
夕食後、雨木二尉から声をかけられた。
「おばあちゃん…祖母が卵をいつも3ダースも送って来て、困ってたんです。いつもは大洋堂さんに差し上げるんですが、今回は調理師さん達に相談してみました」
「味が濃厚ですごく美味かった」
「わたしのレシピだと、砂糖の量が多めなんだそうです。だからおかずに使う砂糖の量で、カロリー調整して貰いました。皆さんのお陰です」
雨木二尉は今までも笑顔ではあったけど、本当に心から嬉しそうに笑った。
「ありがとな。俺も何だか元気出た」
じゃあ、と手を振ると雨木二尉は去って行った。
わたしも嬉しかった。
少しでも、ほんの少しでも役に立てたかな…?
すると反対側からやって来た、足代三佐と小寺一尉が、「ありがとう」と言いかけて止めた。
わたしの顔をまじまじと見ている。
え?!わたしの顔、何か付いてる?
「ハリネズミちゃん、すっごく良い表情(かお)してる。たまにはそう言うのが良いよ」
──どうも全開の笑顔で居たらしかった。
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