第8話 キレ過ぎの5番
今年は防府北基地でのフライトを終えると、6月はひたすら基地で訓練の日々を過ごしていた。
それにしても今年は良く降る。
──フライトが無ければ、天気が悪くても俺のせいにはならない。
だから後藤二佐にてるてる坊主を作るよう言われても、あまり気にせずにいられた。梅雨に降るなら当たり前な訳だし。
しかし室内での体力作りやミーティングが多いせいか、隊内で微妙な空気が流れる時があった。
それは今、注目の二人がいるからだ。
「今、ハリネズミちゃんとSagitくんは休暇中なんだっけ?」
休憩室でブルーのフライトの動画を見ながらナレーションの練習をしていたら、足代三佐がやって来た。
Sagitは川嶋宙二尉のTACネームだ。
何でも誕生日が12月で射手座だったので、射手座を意味するサジタリウスから取ってSagitらしい。
自分と比べると、イケメンはTACネームでも得するんだなぁと少し面白くない。
隣には5番ORの佐藤一尉と、6番TRの小寺一尉がいて、ナレーションの練習に付き合ってくれていた。
「そうです。皐月三曹は明日帰って来るんじゃなかったでしたっけ?彼女百里基地の側でしたよね、実家」
「うん、小美玉の養鶏場の孫娘だって話してたね。何でもお祖母さんがカリスマ養鶏家なんだとか」
そう言えば前の帰省の時に「祖母の家の卵で作られたクッキーです」って、お土産持って来てたっけ。あれは美味しかった。
「あの二人居ないと、少しは深呼吸出来るよね」
足代三佐はほうじ茶ラテのペットボトルを片手に、溜息をついた。
流石にあの「格納庫で皐月三曹を川嶋二尉が泣かせた」事件以来、チーム内にかなりギスギスした空気が流れている。
「RAINくん、あの二人どうにかならないの?」
「なりませんよ!原因だって良く分からないのに」
「まあねぇ、PAC3でガスホルダー狙うような組み合わせだもんね、あの二人」
爆発物に危険物。
どうやっても炎上は避けられない。
「川嶋は雨木くんには懐いているように見えるけど」
佐藤一尉が言った。
「そうっすか?航学で何かと声はかけましたが、何分無愛想で」
「広報や上も写真だけ見て決めた訳じゃ無いよな。ブルーのパイロットって、とりあえず笑顔がウリなんだから、アレで5番は厳しくないか?」
「ウデはありますよ、アイツ」
腕組みして小寺一尉が言った。6番機はそろそろORがラストフライトなので、彼がORになる。
「かなりキレキレのフライトって感じですけど。いずれアレに合わせてタック&クロスとか、考えただけで怖いかも」
「TERYも苦労するねぇ」
TERYは小寺一尉のTACネームである。
ふと窓の外を見ると、雨はしとしとと降ったりやんだりを繰り返していた。
朱夏は今どうしているだろう。
先月取材に来て書いた記事は、ウェブ上だけあって早くもアップされていた。
朱夏は皐月三曹から、様々な話を聞き取っていて、いつも同じ勤務先にいる筈の自分ですら知らない事が沢山あった。
かなり女性の活躍の幅が増えたとは言え、自衛隊はやはりまだまだ男性主体の組織なのだ。
皐月三曹──女性の視点から見ると、ブルーチームはこんな風に見えるのだと、新鮮に感じた記事だった。
朱夏にこんな才能があったとは。
幼馴染でそれなりに付き合いが長いのに知らなかった。
前回、朱夏の部屋で会って以来気になっている事はあったから、そろそろきちんと顔を見て話した方が良いかもしれない。
6月も末近くなって、ようやく休暇の順番が回って来た。
朱夏に連絡を取ると、やはり神楽坂まで来て欲しいと言われた。
会って気が付いたのは、いつものあの明るい朱夏ではなかった事だ。
何かに怯えているようにも見えた。
「あのさ、朱夏。少し歩きに行かないか?この辺りだと──九段下に出て北の丸公園とかどう?」
「……うん」
こっくりと頷く朱夏のペースに合わせて歩く事にした。
東西線に乗ると、九段下までは一本だ。
坂道を登り武道館の屋根を見ながら、北の丸公園に向かった。
都心でもこの辺りはまだ緑の色が濃い。昨日までの雨が上がって、今日はやや夏日と言える程晴れた。
「そうだ、俺漕ぐからさ、千鳥ヶ淵でボート乗らないか?」
あれなら周りに話を聞かれず、2人だけで話すことも出来る。
もちろん気晴らしにもなるし。
本当は春なら桜並木の下をボートでくぐり抜ける事も出来て綺麗だ。でもボートから見る初夏の濃い緑の葉陰も、悪くはなかった。
いつもなら賑やかなくらいに喋り続ける朱夏が、今日は聞かれたことに辛うじて答える程度で、口数は格段に少なかった。
そう言えば自分が小学六年生、朱夏が五年生の頃に、朱夏が夜遅く一人きりでウチに来たことがあったっけ。
あの時も朱夏が殆ど話さず、とても心配した記憶がある。
朱夏と初めて出会ったのは、東久留米市内の団地に我が家が越して来てからだった。
団地近くに大きな公園があって、そこに一本だけ大きな枝が伸びた欅の木があり、朱夏はその木の上から俺に声をかけて来た。
その頃は髪も短かったので、朱夏はまるで男の子のようだった。遊びも普通に女の子が好むような遊びではなく、俺や他の男の子に混ざって、外遊びをする事が多かった。
その頃の思い出もあって最近まで、朱夏を異性として、あまり意識しなかったのだと思う。
「悩んでるなら、ちゃんと口に出して言えよ。隊でもあるんだよ、そう言うミーティング。報告とか連絡とか、相談とか。出来ないって思い詰めるのが、一番マズいからな。まずは口にして形で見ちゃうのが一番いいんだ」
「うん…ありがとう。ごめんね、心配かけて」
何かある。
でもこの事に関して、やはり朱夏の口は固かった。
多分仕事や人付き合い、最近出来た悩みではない。
そうなると、朱夏の家族のことになるだろうか。
自分の知ってる範囲では、母から聞いた通り朱夏の両親が離婚してるって事になるが──。
朱夏は一人っ子だった。
朱夏の父親は俺も知っていたが、子供心になかなかイケメンの、人当たりの良い人物だったと記憶している。反対に朱夏の母親は物静かで大人しい人柄で、ウチの母とは随分違うのに、それなりに母と仲が良いのを不思議に感じていた。
離婚する程仲の悪い家族には見えなかった。
当時父親の育児参加が世間で話題になっていた事もあり、朱夏の父親も授業参観に来たり、たまに学校まで朱夏を迎えに来たりもしていた。
「…朱夏んちの親、別れたって聞いた」
俺から話し始める事にした。
細心に細心の注意を重ねて。
あまり直球過ぎると、朱夏を傷付ける可能性もあるからだ。
「…うん。高校生の時にね」
光る水面の上を、真鴨がスゥーっと通って行く。
「その後、就職したって」
「最初、狭山市にある自動車部品の工場に事務で入ったんだ。寮があったから」
朱夏はずっと視線を、北の丸の石垣に向けていた。
横顔は無表情にも見えたが、何処か自嘲してるようにも見えた。
「でも──トラブルが起きて、そこにいられなくなって」
「トラブル?」
「お父さんが娘に会わせろって、寮の管理室で騒いじゃって」
「……」
「親が別れた時、協議書交わしたんだけど、わたしには会わせないって約束だったんだ」
「その約束は朱夏も納得したのか?」
「……うん」
今ひとつはっきりとは見えないものの、やはり朱夏の悩みは彼女の両親に由来するものらしかった。
「あまりすごかったから、裁判所から接近禁止命令まで出して貰ったけど、でもまたいつ追いかけて来るか分からなくて。それで此処2年くらいはしょっちゅう引っ越してる」
まるでストーカーの被害に遭ってるような話だ。朱夏の父親は穏やかな人に見えたが、家族の話ばかりは聞いてみないと実際には分からない事も多い。
「それは警察には相談してる?」
「…うん。でも」
俯くと朱夏は黙り込んだ。
恐らく話したくないようなやり取りが、色々あったのだろうと思われる。
そっと朱夏から視線を外し、ゆっくりボートを漕いだ。
もう夏と言って良い陽射しだが、たまに吹き抜ける風が涼しい。
「前にさ、基地の花火見に行ったの覚えてる?」
「基地って、入間基地の?」
「あの頃アニキがまだウチにいたから、連れてって貰ったよな」
10歳年上の兄がいた。歳が離れていた上に、地方の国立大の医学部に進学した為、あまり一緒に暮らした思い出はない兄だった。今は、瀬戸内海の島で診療所を開いていた。
「うん、そう言えばピンク色のわたあめ食べたね。大きくて」
「そうそう。二人で並んでわたあめ持って写真撮ったけど、わたあめがデカすぎて、顔が写ってなかったよな」
「あはは、そうだったね」
やっと朱夏は笑った。
これが俺が知ってる朱夏だ。
でも実際は大きく違うのかもしれない。
俺が見ていたのは、朱夏のある一面だけで。
貸し出しの終了時間が来たので、ボートを岸に寄せた。
「あのさ、ブルーのチームに川嶋宙さんて人、いる?」
「……いるけど」
カフェでお茶にしていたら、朱夏から不意に聞かれた。
何故朱夏の口から、川嶋二尉の名前が出るのか?
「フェイスブックの雫ちゃんの繋がりで、『知り合いですか?』って出て来たんだよね。それで名前を知ったんだけど…。わたし──先々週渋谷のサイ・ウェブコムに打ち合わせに行った時、会社のビルの入口にお父さんが待ち伏せしててて……。違う出口から出たんだけど、追いかけて来たの。そこを偶々通りかかった宙さんが助けてくれたの」
「そんな事が…」
あったのか。
そう言えば川嶋二尉が休暇を取ったのは、先々週だ。
「皆んなが見ないフリして通り過ぎて行く中で、宙さん、パッと間に入ってくれて──すごく助かった。対応も素早くて。警察にも付いて来てくれたの。その時は名前も言わずに急いでるからって去って行ったんだけど、フェイスブック見てたら偶然見つけて。雫ちゃんの繋がりから出て来たから、もしかしたら同じ隊かもと思ったんだ」
「…大変だったな。怪我はなかったのか?」
「わたしはなかったけど、宙さんが殴られちゃって」
「──え!」
「やり返さなかったのは、自衛官だったからなんだね。最初手を出さないように、上手に交わしてたみたいだけど、お父さんも昔空手やってた人だから一発入っちゃったみたいで」
休み明け、川嶋二尉はいつも通りの涼しい表情で出勤し、そんな話はまるでしていなかった。尤も警察の絡むような案件ならば、隊長には報告が行ってるかもしれない。
「…そうか。それにしても、朱夏のオヤジさんの件がそこまで深刻だと思わなかった。お前、一人暮らししてるの危なくないか?」
「…そうなんだけど。友達とルームシェアも考えたんだけど、そうすると友達にも絡んだりするし──実は雫ちゃんとデートする前に、付き合ってた人いたんだけど、跡付け回して嫌がらせしたみたいで、わたしから別れたの。だからーー」
朱夏はガバっと頭を下げた。
「本当にごめんなさい!雫ちゃんに付き合って欲しいって言われた時、雫ちゃんなら守って貰えるかもしれないって、打算があったの。でも──最初のデートであんまり優しかったから、ものすごく罪悪感、感じちゃって。本当に本当に、ごめんなさい」
「……」
返す言葉がなかった。
謝るのは俺の方だ。
朱夏の表面ばかり見ていて、こんなに大変だったなんて少しも知らなかった。
知ろうとしていなかった。
幼馴染で何でも話せる、話せている。
その見せかけの安心感に、自分で自分を誤魔化してはいなかっただろうか?
「打算なら俺もあった」
「え?!」
「朱夏なら──転勤の多い自衛官の事情とか分かってるし、俺の好物皆んな知ってるしさ。結婚出来たらって思ったんだ」
朱夏は目を丸くしてこちらを見ていた。
プロポーズはもっと別のタイミングで話したかったが、これは仕方ない。
「確かに──わたしだったら、雫ちゃんのお母さんとは本当に親子みたいだしね」
朱夏はにっこり笑った。
良かった。朱夏に自分の事を重荷に感じて欲しくなかった。
だから敢えて口にしたのだ。
「ウチの両親、わたしが小学生の時にはとても仲悪かった。だから雫ちゃんち行くと、和気藹々としててさ。おばさん、オヤツ手作りだったでしょう。だからすごく居心地良かった。わたし──本当の家族より雫ちゃんや雫ちゃんの家族が大事だから、今迄嫌われたくなくて、話せなかったの。もしかしたらおばさんは、お母さんから少し話を聞いてるかもしれないけど」
「朱夏のお母さんは今は?」
「清瀬で一人暮らししてるよ。でも連絡は取ってない」
此処も何やら事情がありそうだった。
普通娘がこれだけの被害に遭ってたら、母親は黙っていないだろう。ただ加害者が自分の夫ともなると、難しい事も沢山ありそうだ。
「朱夏、もし今度何かあったらすぐ相談して欲しい。そりゃ、ブルーに乗ってすぐ駆けつける訳には行かないけれど」
「確かにそれなら、お父さんもビックリするね」
「T-4は訓練機だから、ミサイルは搭載出来ないしな〜」
「たまに居るよね。T-4のエネルギータンク、ミサイルだって騒いでる人!」
「あー、いるいる。反発の多い地域でフライトあると、基地の前で『ミサイルも撃てる戦闘機でのアクロバット飛行、反対〜』とかな」
「自衛隊も苦労するねー」
朱夏はようやくリラックスした笑顔を見せた。
逆に余りの罪悪感で、一カ月は自主的に反省会をしたくなる気分で休暇を終えたが、現実どう対応したら良いのか考えるのが先だった。
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