第6話 第二の男

風薫る5月。

ど真ん中の日に、毎年受け入れている東京からの松島基地見学ツアーに参加して、朱夏が松島にやって来た。

何と言うか、隊の誰にも今日のインタビュアーが自分の幼馴染である事は言えていない。

一つ驚いたのは、朱夏は副業だと軽く説明していたが、依頼して来たのは日本でも十指に入る超大手IT企業だった。良く芸能人のブログや芸能系の番組のネット配信をしている会社だ。

確かに外交的な朱夏の性格ならば、マスコミには向いているだろう。

ブルーは自衛隊の他の隊に比べると、一般誌やTVの取材は多かったが、朱夏の所属するこの企業は、空自でも初めての試みだったようだ。予てから達成目標である『自衛官募集中』を宣伝する為、近年広報も必死だった。

「雫ちゃーん!」

身長が168cmあり、スタイルも良く肩よりもずっと長いサラサラの髪をなびかせた朱夏が、自分目掛けて手を振るのは確かに男冥利に尽きるのだが、何だかキーパーもライダーも含めて、チーム内の視線はかなり痛かった。

『一体どう言う関係なのか』隊長以下、全員が自分の背中にそう問いかけていた。

やっぱり足代三佐に根回ししておけば良かった…。

「取材を受けて下さいまして、ありがとうございます。私、株式会社サイ・ウェブコムのライターの日山朱夏と申します。今日は一日よろしくお願い致します」

朱夏は今日のツアーのアテンドをする、総括班長の後藤二佐と、松島基地渉外室の長田一尉に挨拶をした。

「こちらこそどうぞよろしくお願いします。御社のブログにはウチの広報もアップさせて頂いてるので、実は結構長いお付き合いなんです。私も良く書き込みさせて頂いてます」

「そうなんですね!ありがとうございます」

「ところで付かぬ事を伺いますが…」

後藤二佐はチラリと俺を見た。

「ウチの雨木とはどのようなご関係で?」

まさか今ここに並ぶ隊員全員が、耳をダンボにしているとは思わず、朱夏はにっこり笑顔で答えた。

「はい、幼稚園時代から同じ団地に住んでおりまして、幼馴染なんです。それで今回は4番機の記事を書こうと指名させて頂きました」

一瞬、隊員の並ぶ列に「へえ〜」と言う声が聞こえたような気がした。

「4番機の整備士の方が、まだブルーチームには珍しい女性だと伺いまして。私、ずっと女性の活躍に焦点を当てて記事を書いて来たので、良い記事が書けそうだと思いまして、楽しみにして来たんです」

「皐月三曹は彼女の父親もドルフィンキーパー──ブルーインパルスの整備士だった事がございまして。お役に立てれば良いのですが」

皐月三曹はピシッと総括班長の斜め後ろに立ち、朱夏に敬礼した。

こう言う時、皐月三曹は本当に凛として綺麗に見える。

「皐月由奈と申します。よろしくお願い致します」

「ではまず、他の見学者もいますから、ブルーの格納庫からご案内しましょうか」

後藤二佐は先に立って、朱夏を案内した。



「あんな可愛い幼馴染がいるなんて、RAINくん、なかなか隅に置けないなあ」

「い、いやいや、あの『幼馴染』ですから」

ウッカリな発言をすれば、益々ややこしくなる。余計なことは言わないに限る。

足代三佐は「ふーん」と頷いて、こちらを見た。

「ただの『幼馴染』なんだね」

「はい、『ただの』幼馴染です」

……今は。

「水難の相だけじゃなくて、女難の相まで持ってると思わなかったね」

「な、な、な、何ですか?女難って」

「アレ?思い当たるの?」

「ない、ナイ、無いです。あり得ません」

「そっかー」

口笛を吹くフリだけして、足代三佐は先に準備の為去って行ってしまった。

そんな事あるはずないが、どうもあの人には全て見破られているようで、怖い。

自分も救命具を着けに行かなければ。

遠く朱夏と去って行く皐月三曹の背中を見送り、足代三佐を追った。



インタビューはどうやら無事に済んだようだ。

噛み合わないんじゃないかと、余計な心配もしたが、流石朱夏と言うべきか、何と皐月三曹がチラホラと笑顔を見せながら、朱夏と話しながら歩いて来た。

丁度ヘルメットを被り、機体に乗り込んだところだったが、思わず視線が釘付けになってしまった。

「あのハリネズミちゃんの針抜いて、ハムスターにしてる」

足代三佐の忌憚なさ過ぎる感想は置いといて、気をつけないと5月の松島でも雪が降るんじゃないかと言う奇跡が起きていた。

「アレなら良い広報になるのかな?RAINくんの彼女有能だな。流石に一流企業のライターさんだね」

「そうっすね」

「アレじゃあ、皐月三曹の事も目に入らないか。しまったなぁ…基地司令が基地内結婚なら祝辞読まなきゃって、言葉ググってるって所まで話進んでるのに」

「え?祝辞?」

「キャノピー閉めるよー」

ガッチャンと音を立ててキャノピーが閉まった。

ちょっと待て。

今の足代三佐との会話を巻き戻す。

彼は何と言い、オレは何と答えた?

『Blue Impulse4 Stand by』

管制からの無線が入る。

既に1番機はコースに入ってタキシングを開始していた。



地上に戻って、ヘルメットを置いて来ると、朱夏がおーい、と手を振って待っていた。

正直こんなにすり減ったフライトは初めてだ。

本人たちの預かり知らぬ所で、話は勝手に一人歩きしていた。

食堂のおば様方を経由して、基地司令の耳に皐月三曹との話が膨らみ過ぎた形で伝わったようだった。

「隊長は『まだ二人とも若いので、静かに見守りたいと思います』って答えたらしいんだけどねえ」

足代三佐は始めのファンブレイクから、1番機との間合いを大層きっちりと詰めながら、暢気に応えた。

この人が怖いのは、涼しい顔で平気でギリギリに技をこなしたりする所である。

後から「あ、間違えた」としれっと呟くので、後席に乗っているとスリルに事欠かない。

「あの人、RAINくんの彼女なのか。それとも元カノ?」

「幼馴染って言いました」

「さっき『彼女』って言ったら頷いてたよ」

「それは──」

「皐月三曹の見慣れないもの見ちゃって、思わず本当のことを言っただけだよね」

機体がクッと90度に傾いた。

「違います──っていうか、コレまた無線全開じゃないですよね?」

「今更遠慮しなくても大丈夫」

「遠慮じゃないです!」

本当に、この先輩は!

今日は見学用に少なめの課目だから良いが、もう少し長かったら洗いざらい吐く事になってたかと考えると、ゾッとする。

「雫ちゃん、皐月三曹の話とても面白かった!飛行機って本当無駄がないね」

「日山さんの質問が良かったので、話しやすくて良かったです」

地上で女子同士は大層仲良くなっていた。

考えてみたら、男ばかりの職場で皐月三曹も気持ちの上で、ゆったり仕事する気分にはなれなかったのかもしれない。

偶に相手の言葉に応えて笑顔になったり、真顔になったり。

それが皐月三曹の本質かもしれなかった。



「じゃあね、雫ちゃん。また東京で」

『人間』航空祭と呼ばれる入間基地航空祭しか知らない朱夏は、「松島基地は広くてブルーもゆっくり見れて良かった」と笑顔で帰って行った。

あまり話す時間はなかったが、やっぱり自分はもう少し強引に押しても良かったんじゃないかと、朱夏の背中を見送って、感じた。



5月末に萩原一尉のラストフライトがあり、慌ただしく異動して行くと新たな5番機のTRとして川嶋宙(かわしまそら)三尉から二尉に昇級したばかりの新人が、やって来た。

それが着任早々、皐月三曹とどうやら揉めている。

格納庫から何と涙を拭きながら走って行く皐月三曹を見かけた。

距離があり呼び止める事は出来なかった。

格納庫に入るとそこにいたのは、川嶋二尉だった。

「何があったんだ?」

「別に、先輩が気にするような事じゃないです」

「いや、それは──」

皐月三曹、明らかに泣いてたぞ。

そしてそれはブルーチームに彼女が来て以来、沖縄の「美ら海エアフェスタ」が雪で中止になるより、あり得ない珍事なのだ。

「雨木先輩、相変わらず親切ですよね。だから誤解されるんです」

「は?」

川嶋二尉は、これまた男性には珍しいくらい色が白く、イケメンと言うより綺麗な顔立ちをしていた。空幕広報が無理推しする訳も分かる気がする。

その顔でしれっと言われると流石に少し腹が立った。

「誤解も何も…。皐月は紅一点だし、色々男ばかりの中で気使ってんだから、少しは遠慮してやれよ。大体お前より隊の中では先輩だぞ」

「変に思い込んで、仕事増やしてるから注意しただけです」

「は?」

「先輩、細かく気がつくようでいて、意外とヌケてますよね」

「おい」

「まあ、良いけど。すみません、自分ランニング行って来ます。失礼します」

敬礼だけはいやに綺麗にして、川嶋二尉は去って行った。

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