第4話 多分、これは幸運
わたし──皐月由奈が松島基地第4航空団飛行群第11飛行隊に異動になったのは、昨年11月の末だった。
我が家は父は空自、母は海自に勤めている典型的な自衛隊一家で、母は艦載機のヘリ──SH-60Jのパイロットだった。父もパイロットを目指していたのだが、航空学校への受験を断念し、曹候補として航空自衛隊に入隊し、ずっと整備士としてキャリアを築き、ドルフィンキーパー…ブルーインパルスの整備士を務めていた。
松島での任務を終えると、その後宮崎の新田原基地に所属していた305飛行隊から直々の指名が来て異動になり、その後は沖縄の那覇、そろそろ退官間近だ。
そんな両親を持ったわたしを育てたのは、母方の祖母だった。
祖母は流石あの母の親なだけあり、大層男気に溢れた性格だった。
祖父の残した養鶏場を頑なに守り、一度鳥インフルエンザで、経営出来なくなるような事もあったが、飼う鶏の飼料から見直し、卵の質を向上して、まずは地元に展開する洋菓子店と直の契約を結び、評判が上がった頃に首都圏の一流洋菓子店との契約も決めた。
この奇跡の復活はマスコミも目を付けたらしく、一時期祖母を取材する為テレビ局がよくウチに来ていた。
祖母の養鶏場は百里基地のある、小美玉市にある。
12年前までファントム──ベトナム戦争時に開発されたと言う既に引退したF-4戦闘機にプラスして、エアラインの航空機もバンバン飛んでいた地域だ。
他地域の養鶏家や畜産農家からは、騒音から卵の産まれる量や乳牛の搾乳量に問題が出るのでは?と良く聞かれたが、そんな事はなく、むしろ質、量共に安定し取引先の評判は上々だった。
そんな女手ひとつでわたしを育てたと言って良い祖母が、わたしによく言い聞かせていたのは「途中で道を曲げたり、諦めたりしてはならない」と言う事だった。
わたしが自衛隊への入隊を目指していると、高校の担任に進路指導で相談した時に、先生は我が家の事情をよく飲み込んだ上で「他の道も考えて見ないか?」と勧めた。
「今は女性でも働きやすいように配慮されてるとは言え…お前の体格じゃ保たないんじゃないかと、先生は心配している」
この先生は飛行機好きが高じて、小美玉市に引っ越して来た程だった為、自衛隊の中の事情にはそれなりに詳しかった。
わたしの154cmしかない身長を心配して、先生は話しているようだった。
幼い頃から口の悪い男子から「ありんこ」とか「ハムスター」、大きくなってわたしの自衛隊機好きがバレるとミリタリーから「1ミリ」とも呼ばれた事がある。低い身長はわたしのコンプレックスではあるが、希望の整備士をやるには都合の良い部分もあった。
「そうか。整備士希望か。まあ、それもいいかもな」
親よりも心配してくれたが、先生は卒業式の日笑顔で見送ってくれた。
整備士として各基地に赴任するようになって三年程経った頃、入間の中司飛の整備士になった。
そこでも身長が低いことは散々ネタにされてしまったが、細かな部分に気付き、男性や手の大きな人では及びにくい部分に整備の手が届くので、隊では重宝がられ可愛がって貰えた。
ただ必ず言われるのが「由奈は冗談が一つも通じない」と言う事だった。
それは──こう言っては何だが、中司飛のパイロットは皆40代以上の、はっきり言うと「おじさん」ばかりで、冗談の内容も古かったり分かりにくかったりする部分が多く、何処が落とし所なのか全く分からない。
ただでさえ…わたしは人と何の用事もないのに会話をするのが苦手だ。
だから冗談を、明るく且つ相手を不快にさせない冗談で返す──なんて高等技術は、わたしには相当なテクニックを要求する会話術なのだ。
だから松島に来てからも、多くの同じ隊の仲間からやれやれと言う目で見られ、じきにそう言った会話はわたしには求められなくなった2月頃、それでもわたしに──と言うか観察していると、彼は誰にでも、なのだが、親切に声をかけてくれる先輩の存在がわたしにはちょっとした救いだった。
雨木二尉はわたしの担当する4番機のTRだ。
基地内をランニングしていたら、雨木二尉が後ろから追いついて来た。
「よく走ってるな、皐月三曹は」
まだまだラク勝な呼吸で、雨木二尉が話しかけて来る。
正直、わたしはもうギリギリだ。入間と違い松島は、広過ぎる。
そう言えば雨木二尉は三沢の基地内で行われたマラソン大会で3位だったと言っていた。
戦闘機メインの基地で、それはなかなかすごいかもしれない。
他のブルーのパイロットに比べて、小柄で華やかさに欠けるが、実力のある人だと思う。
「…女子だから、小さいからって、役に立たないって言われたら悔しいから、せめてこれくらいは」
「皐月三曹の事役に立たないなんて、そんな事言うヤツいないだろ。宇部さんだって、皐月三曹は頼りになるって言ってたし。丁寧だよな、いつも」
雨木二尉はにっこり笑った。
笑顔の素敵な人だなぁと思う。
わたしも笑顔で返せたらと考えるけれど、考えれば考えるほどリラックスとは程遠い心境になり、いつもつっけんどんな返事になってしまう。
「この前、ぶつけたところは平気?」
聞かれた途端、ドッキンと音を立てて心臓が鳴ったのが分かった。
「だ、だ、だ、だ、だっ大丈夫です。コブ一つで済みました」
あの時頭を撫でられたのを思い出して、自分が真っ赤になるのが分かった。
「…皐月三曹?」
あまりにリアルに思い出して、逆上せたのだろうか?
この後ブラックアウトして、記憶がなくなった。
目が覚めると、救護室だった。
看護士の浅井さんは同い年で仲が良かった。
「ちょっと!」
「……何?」
「雨木二尉が、お姫様抱っこで運んで来たわよ!!」
「──えっ?!!」
がばりと起き上がると、またくらりと目眩がした。
「寝てなさいよ、バカねー」
ばたりとそのまま頭を枕に戻した。
「由奈が真っ赤になって倒れたって。自分に合わせて走ってたから、無理させたんじゃないかって言ってた」
「……」
そうじゃなかった。
雨木二尉はわたしに合わせて走っていた。
先日、うっかりと4番機の翼に頭をぶつけた時、雨木二尉が後頭部を怪我していないか見てくれた。
その時のことを考えると、今でも胸が苦しくなる。
何故だろう…。
こんなの初めて父にファントムのコクピットを、見せてもらって以来だ。
きっと雨木二尉は気味の悪いヤツだと思っただろうなと、軽く落ち込んでしまった。
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