第3話 残念なのは自分だった?
朱夏の部屋は神楽坂というより、飯田橋に近く少々古い町並みの残る一角だった。
良くこんなアパート残ってたなと感じるような外装の建物だったが、それだからこそ、中から見ると柱や梁などが太めの古い建物だった。六畳と四畳半二間。都心では破格の値段だったそうだ。
「何とか二部屋欲しくてね、直接大家さんに掛け合ってさ。入居前のクリーニングとか、内装の修理とか自分でしたんだよ」
朱夏は照れたように笑い、座布団を勧めると自分は湯沸かしポットを取りにキッチンに立った。
「松島、結構どか雪降ったってニュースになってたけど、大丈夫だった?」
「まあ、毎年の事だから」
「まあ、雪なら雫ちゃんのせいにされないよね」
…そっちか。
名前のせいか、遠足が雨で延期になると俺のせいになったりしたっけ。
「あのさ…」
「言わないで。雫ちゃんは何も悪くない」
「いや、でも…」
朱夏はどうぞと、お茶を勧めた。
「これはわたし自身の事だから。あの後、すごく後悔したんだ。…自分がとても汚いように感じて。雫ちゃんを騙したような気がして」
「……」
何だか話が見えない。
少なくとも最初のデートの日、俺たち二人は楽しく一日を過ごしたと思う。
二度目のデートはもう少し力を入れて、遠出しようと計画を立てたのだから。
朱夏から断りのラインが入った後、それなりに落ち込んで、少ない夏休み、帰京するのを取り止めた程だ。
少なくとも、朱夏に「騙された」事は無かったと思う。
それは俺だけがそう感じただけで、朱夏はそうではなかったと、そう言う事か。
「幼馴染って言ったって、四六時中一緒にいる訳じゃないし。お互い知らない事なんか山程あるだろ。俺が航学行ってから、顔合わす機会あまりなかったし」
その間、確かに朱夏がどう言う風に過ごしていたか、俺は全く知らなかった。
今、不動産関連の会社で、ミニコミ誌やサイトの編集をしていると話していた。
仕事を楽しんでおり、生活は充実しているように見えた。
「何か悩んでる?」
「今?ううん」
「じゃあ…」
何で?
でもこちらを見ずに答える朱夏を見ると、無理に聞くのも悪いような気がした。そしてそれは自分の本意ではない。
朱夏が答えられるようになるまで待つ。
それが一番良い。
どうせ幼馴染。
時間はまだある。
そう思った。
「朱夏、メシにしようか。朱夏が焼売作るって言うから、昼あまり食べなかったから、腹減った」
朱夏はホッとしたように微笑った。
「うん、おばさんに雨木家のレシピ教わったんだ」
「お前、俺よりウチに来てないか」
「えへへ、そうかもしれない」
良かった。
やっぱり今は聞くべきじゃない。
朱夏は妙なところ真面目で、率直だ。
向かい合ってる相手が、朱夏にとって大事なら、朱夏は自分の気持ちに真っ直ぐに応対した。それはイジメっ子を止めに入った昔から変わらない。
幼馴染で一応一度デートまでした相手となると、朱夏にとって自分はまるでどうでも良い相手、と言う事は決してないだろう。あまり無理に話させたら、追い詰める事になるかもしれなかった。
「焼売包むの手伝うよ」
「えー!ブルーのパイロットさんに、焼売包ませるとかあり得ない!」
「何言ってんだ。ウチのレシピなら、俺の方がキャリア長いぜ」
「あはは、確かに」
朱夏の部屋で夕飯を食べて、でも宿泊は丁重に遠慮し、その夜は東久留米の実家に帰宅した。
実家に帰宅すると母が暢気にドラマを見ていた。
母が好きなのはミステリー系のドラマで、深見逸彦シリーズとか、二人は相棒とかロングランのシリーズを映画もチェックする程愛好していた。
「あのさ、母さん」
「待って!これから左京様のネタバレタイムに入るから」
画面の中で刑事役の俳優が、ひたすら二重三重に起きた事件について語っていた。
待つ事には慣れているので、ダイニングの椅子に座って、俳優が語り終えるのを待つ。
「あー、スッキリした。今日の犯人意外だったわねー」
母の顔を見ていたら思わず聞こうとした事を忘れ、今のミステリードラマの謎解き部分について質問するところだった。
そんな事をしたら、俺の質問は永遠に出来ないところだった。
「あのさ、朱夏の親ってまだ前沢の方に住んでるよな?」
前沢はウチの住所と同じ東久留米市の町名だ。
「アレ?アンタ知らなかったっけ?朱夏ちゃんちって7年前に別れたのよ。お母さんは確か隣の清瀬市にいるけど、お父さんは何処に住んでるか、朱夏ちゃんも知らない筈」
「──知らなかった」
驚いた。
「まあねえ、航空学校入ってから、アンタあまりコッチにいなかったもんね」
「朱夏はお袋さんに着いてった?」
「ううん、確か高校出て就職して企業の寮に入った筈。今の会社は転職して二個目の会社って話してたわ」
それも知らなかった。
自分が朱夏を知らない間に、朱夏はかなり変動のある人生を送って来たのだ。
ただ見た目だけ、大人になった朱夏を理解した気になってただけなんじゃないだろうか。
自分の知らない、何か深い悩みがある。
それは今日の朱夏の表情を見てたら、よく分かった。
ただそれは──無理に聞き出して良い話ではない。
母の話していた情報も、そう判断させるには十分だった。
松島に帰ると、またフライトにフライトを重ねる日々が始まった。
「きゃっ!」
格納庫で急に背後から叫び声が上がった。
4番機の翼の下に小さく丸まって頭を抱えた、皐月由奈三曹がいた。
「大丈夫か?!」
頭をぶつけたらしい。
本気でぶつけてたらシャレにならない。
整備士ならまず最初に注意するところだ。
「あー、またやったのか」
更に奥から、叫び声を聞いてやって来た整備小隊長の宇部一尉が声をかけた。
「気を付けろよ。いつかケガするぞ」
「は、ハイ、すみません。気を付けます」
宇部一尉はこちらに向かい直すと、溜息ついて言った。
「このコはねぇ、整備する箇所とか故障箇所とか非常に敏感に探し出すし、仕事ぶりはとても真面目で優秀なんだけど、変な所ヌケててね。ぶつけたり転んだり、目が離せないんだわ。雨木二尉も気をつけてやってくれない?」
すっかりしょげ返る皐月三曹を見てると、普段のあの厳しいくらいの表情からは全く想像がつかないくらい、小さく頼りなく見えた。
ORの足代三佐など彼女を評して「あのコ、ちょっとハリネズミみたいだよね」と言っていた。
分からないでもないが。
ただ気をつけてやってくれない?と言われても、皐月三曹の方で受け入れてくれるかどうか。
「ちょっと頭見せてみて」
「え?!イヤ、ダメです!」
「もしキズになってたりしたら、どうすんだ。後頭部って自分で見れないでしょ」
押してそう声をかけたら、意外と素直に自分の前に立ってくれた。
少しコブになってるけど、キズはないようだ。
「後で痛みが続いたら、ちゃんと病院行けよ」
「は、は、は、は、ハイ」
くるりとこちらを向いて素早くお辞儀をすると、彼女はさっさとまた元の持ち場に戻ってしまった。
ロクに顔を見なかった気がする。
「ふ──ん」
向かい側にいた、宇部一尉はニヤニヤと笑っている。
「何ですか?」
「いやいや、意外な気がしてね」
「???」
「まあ、その内に分かるよ」
宇部一尉はウィンクして行ってしまった。
──何だか全く分からなかった。
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