第2話 目指したのは5番機
そもそも「雨木雫」(あまきしずく)なんて言う如何にも雨が降りそうな名前を、何故付けたのか。
苗字は仕方ない。
これは先祖代々のものだからだ。
しかし男の子に何故、「雫」と付けたのか?
小学生の頃は散々揶揄われ、やはり少々コンプレックスにはなった。
幼馴染で年下の朱夏にも「ちゃん」付けで呼ばれる有様だが、それは親しさの表れとして認知しているので良しとする。
名付け親は母だった。
由来は某有名な国民的アニメ監督制作のアニメーション作品からだそうだ。
確かに母が影響を受けたのは、無理がない。
あの作品は目指す夢を持った少年と、目指す夢を見つけた少女の、良いストーリーだった。
しかしそこで何故母はよりによって「ヒロイン」の名前を付けたんだろう。
「女の子が生まれるって疑わなかったのよ。ホラ、お兄ちゃんから8年も経って生まれたじゃない?次は女の子だろうって、両家のおじいちゃんとおばあちゃんが言っていてね。てっきりそのつもりでいたから」
母は明るい、あまり物事に疑念も拘りも持たないタイプだ。
…少しは持って欲しかった。
故に反動から男性的な世界に憧れて、戦闘機のパイロットを目指した。
少子化も相まって、段々と希望者自体減少傾向にはあったものの、難関であった事は変わりない。
高校時代は試験の点数は落とさなかったし、たまにいる「自衛隊に入るなんて。エアラインにすれば良いのに」と難色を示す教師の声も、聞こえないフリをして自分の意志を貫いた。
そして子供の頃から夢だった、ブルーインパルスのパイロットにとうとうなれた訳だから、もう少し気分が上向きでも良い気はするのだが。
総括班長の後藤二佐が空を見上げて「明日は降るなぁ、雪かきの準備がいるな」と溜息をついているのを見たら、何やら責任を感じてしまうのだった。
年が明けると、自分は4番機のTRとして配属された。
4番機。
ブルーに乗れれば、何番機であっても拘るべきではない。
そう。
良く分かっている。
アクロバット飛行を行うチームとして、配属される機体ごとに、適正と特徴ははっきりしていた。
隊長機の1番機。
ブルーと言えば1番機の写真がまずあげられる程、これはブルーチームの顔と言って良い。
2番機はレフトウィングとも呼ばれ、体形を変える時は2番機が主軸になる。なかなか大切な役割だ。
3番機は2番機に合わせて、バランスを取る役割で、若手のパイロットが起用されることが多く、26歳と言う30代前半が多いブルーのパイロットの中で若い年齢で起用された自分は3番機になるのかな、と考えていた。
そして5番機は副隊長とも言えるポジションで、ソロの課目も多く、エースパイロット──ブルーチームとしては花形とも言えた。少しブルーを見慣れて来たファンから人気があるのも、5番機だ。
続く6番機は5番機とデュアルソロを行い、やはり緊張感を伴うクールな課目の多いポジションだ。
じゃあ、4番機は?
4番機は良く隊列飛行では隊長機の1番機のすぐ後ろに着く事が多い。
マニアからは「1番機の排気をモロ被りする、ハード(かわいそう)なポジション」などと言われる。
体形のバランスを調整する大切な役割ではあるので、かなり高度なテクニックがいるが、5番や6番のような分かりやすい派手さがない。
しかも数少ない4番機が要と言える課目──キューピッド。空にデカいハートを描くアレ。
ハートは5番機と6番機が描くものの、最後突き抜ける矢は、4番機が描く。
しかしその矢は、一区分の風の強くない晴れた青空でないとなかなか実行されず、何かの突発事項でも、矢の部分だけ省略されることが多い課目だった。
実際にORの後ろに付いて乗るようになると、途端にその世界に魅せられた。
通常のF系の編隊飛行に比べると、かなり間を詰める事になるので、スリリングには事欠かない感じだ。
他の機体との間合いや全体的なバランスを考えなければならない4番機の役割は職人的な技量が必要で、いずれ自分が受け持つのだと考えると、5番機が良かったなどと言う雑念は吹っ飛んだ。
ORの足代三佐は今年32歳。パイロットとして、技術が熟練した頃とでも言うべきだろうか。安定したテクニックで、後ろに付いていてとても勉強になっていた。T-4だってーー舐めたらいけない。そう思った。
「まあねえ、4番機ってちょっと役割的には損だよな。サインの列なんか短いし」
「え?そうなんですか」
「うん、4の次は5だから、5番機の列って長いし際立つよね」
「……」
「チビッコに4番てどれって聞かれて、ハートの矢の部分だよって説明すると『矢なんてなかったよー!』とか言われちゃうし」
足代三佐も苦笑気味だ。
「どの機も苦労はあるし、まあ、ボチボチ行こうか。RAINくん。とりあえずお天気だけは良くなるように祈ってて。省略されない為にも」
ポンと肩を叩かれたが、何と返事をして良いやら。
一度隊員の異動の多い時期にドサクサに紛れて、東京に帰った。
やはり朱夏とちゃんと話そうと思った。
もちろん「ごめんなさい」と断ったのは朱夏だから、そのままでも良いのだが、相手は女性でそれなりに一晩過ごした間柄ではあったから、こちらも多少の責任があるような気がした。
俺の実家は東久留米市で、朱夏の実家も市内にあるが、朱夏は今一人暮らしをしていて、新宿の神楽坂の辺りにマンションを借りていた。
「ウチに泊まれば?」
「お前、この前『ごめんなさい』ってラインして来たばっかりだろ」
「そうなんだけど、混みいった話をするのに雫ちゃんの実家は賑やか過ぎるし、大体わたしたちがデートした話、おばさんだって知らないじゃん」
確かに母にバレたら、状況とは違う方向に話が拡散する。
「泊めたからって、雫ちゃんがいきなりオオカミになる確率なんて、沖縄に雪が降るより低いから、心配してないよ」
妙な信頼もあったものであるが、朱夏の指摘も間違ってはいなかった。
「雫ちゃんの好物の手作り焼売作っておくから」
焼売に釣られた訳ではないが、朱夏の提案を受け入れて電話を切った。
3日後。
神楽坂の赤城神社のカフェで、朱夏と待ち合わせた。
再三総括班長の後藤二佐から言われていたせいか、朱夏が来る前に、拝殿に今年の天候を祈ってお参りもしておいた。
カフェでコーヒーを飲み終わる頃に、朱夏が長い髪を靡かせてやって来た。
「ごめんね、昨日夜まで仕事入ってて。掃除に手間取っちゃった」
先日お付き合いを断った相手かと感じる程、朱夏はいつもの朱夏で明るかった。
「何か久しぶりの東京で目、回したから、此処で待ってて丁度良かった」
事実ではある。
青森の三沢も宮城の松島も、冬は人の訪れも少なく、閑散としている。
東京の人の多さには、帰京する度にどっと疲れてしまう事もあった。
「ああ、そう言えば雫ちゃん、とうとうブルーインパルスのパイロットになったんだよね!すごいね、おめでとう!」
「あ、ああ。うん。どういたしまして」
「おばさん、知り合いにラインしまくってたよ」
「…だな」
松島に赴任してすぐの頃、ラインIDを教えた覚えのないような親戚や知り合いから、沢山お祝いの言葉を貰った。
全部母の知り合いであるようだった。
何とか返事を返しきるのに、ひと月かかったのだ。
「じゃあ、わたしの部屋行こうか。少し歩くよ」
朱夏に頷いて、伝票を持つと、レジに向かった。
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