第100話 いつかこの声が
その晩、ガリアは言われた通りメライアの部屋に来ていた。彼女の隣に腰掛けて、その横顔に目をやる。
伝えたいことがある。先日の言動を詫たい。言いたいことは山ほどあったが、しかし彼女の表情を見て言葉が全て引っ込んでしまった。
綺麗に片付けられた部屋からは、生活感が追い出されている。これは誰かを招き入れるための入念な準備の跡だ。
そして主賓であるガリアを迎え入れたメライアはの表情は、いつもと変わらないようでいて……その下では様々な感情が渦巻いているかのようだった。緊張、喜び、不安、高揚。それを表すための単語はバンパニア公用語には存在していない。
そこそこ長い時間を共にしていたのだが、彼女のこんな表情は見たこともなかった。
その横顔に見とれて、ついつい黙り込んでしまう。美術品を前にして息を呑む感覚を、ガリアは初めて理解した。高鳴る鼓動とは裏腹に、思考が研ぎ澄まされていく。この美しさを少しでも長く目に焼き付けていたい。そんな不純な集中力がガリアの思考を長く伸ばす。
どれだけそうしていただろうか。沈黙を割くように、彼女がおずおずと口を開く。
「その……すまなかった。駐留のこと、言えなくて」
ずっと気にしていたのだろう。彼女の面持ちはいたく沈痛だった。
「いいよ。俺も酷いこと言ったし」
だからガリアがそう言うと、彼女はほっと胸をなでおろす。この件はお互い様だと、共犯意識を持つことで人と人は痛みを分け合うことができる。
しばし安堵に浸かった彼女は、ここからが本題だとばかりに佇まいを整えた。
「君に言えなかった理由、君がどうでも良かったとか、そういうのじゃ、ないんだ。むしろ、逆で……その……怖かったんだ。遠く離れてしまうことで、君の心が、私から離れてしまうのが」
自嘲するような笑み。
「おかしいだろ。私は
そこまで言って、遂に彼女は俯いてしまった。臆病という言葉の通りに何度も何度も吸って吐いてを繰り返す。ガリアはただただ彼女の言葉を待ち続けていた。
やがて、意を決したように彼女は顔を上げる。
「ガリア……私は、君が好きだ。こうして一緒にいると心が安らぐし、その……いいところを見せたい、と思うんだ。どんなに惨めな思いをしても、君の前でだけは、格好をつけていたい。でも、受け入れてもらいたくもあって……」
捲し立てるように言った彼女は、ガリアの返答を待たずにズラズラと思いの丈を吐き出し続けた。
「君のことを考えていると、私は、本当にどうしようもない人間になってしまうんだ。今もそうだ。私は、部下である君に全てを知ってもらいたいと思っている。受け入れてもらいたいと思っている。こんなの、上官として許されないことなのに」
彼女が自分の気持を隠し続けていたのは、恥ずかしいからだけじゃない。騎士としての、上司としての事情が、葛藤が、きっとそこにはあったのだ。
「私は、周りに思われているほどできた人間じゃないんだ。それでも、ガリア……君は、私のことを……好きでいてくれるかな」
言うまでもない。少しも迷うことはなく、ガリアはハッキリと告げる。
「関係ないさ。俺はメライアの……その……人間性? みたいなのに惹かれて好きになったんだし……」
言葉にするのが難しい。しかし、彼女のただ一面だけを見て惚れ込んだわけでないのは事実だ。近くでいろいろな側面を見て、そのうえで、メライアという人間を好きになった。
ガリアの言に、彼女は照れたような笑みを見せる。
「嬉しいなあ、やっぱり。もっと早く言えていれば、こんなに悩むこともなかったのかな」
「どうだろうな。結局は、なるようにしかならねえよ」
「そうかもしれない。……うん、言葉にできて、よかったよ」
そこで会話が途切れてしまう。お互いの好意を確かめあった。それで、次は? どうするんだ?
好き合った男と女がなにをするのか、知っているが、具体的なことがわからない。ここからどうしたら二人の関係は進展していくのだろうか。それがガリアにはさっぱりわからなかった。
そうだこんな時はほうれん草、もとい報連相だ。
「あのさ、メライア……この後どうすればいいのか、俺、わからないんだ……」
すると彼女は苦笑した。ずいとガリアに身を寄せて、ゆっくりと体重をかけてくる。
「生憎、こればっかりは経験がなくて。私もあんまり詳しくないんだ。だから……」
そう言うと、彼女は上目遣いで彼女を見やった。きっと、これまでの人生で一番ドキドキしていたと思う。
「君のやりたいようにしてくれ」
※
メライアの喘ぎ声があまりにもデカくて不愉快だったので、キルビスはソフィアと一緒に外食に出ていた。あんなブ厚い壁をブチ破るだなんて。私もいつかああなるのだろうかと、わずかばかりの恐れと共に。
新鮮な野菜をふんだんに用いたサラダに舌鼓を打っていたソフィアが、不意に疑問符を浮かべる。
「お姉さんは良かったの? ガリアのこと好きなんでしょ?」
なんだそのことか。どうやら彼女にもとうにバレていたらしい。気付いていないのは彼だけか……などと弟に恨めしさを向けつつ、キルビスはにべもなく言い放つ。
「メライアから聞いてたしね。それにガリアが爵位持ちになれば、一番にこだわる必要はなくなるわけだし」
この国における爵位持ち……要するに貴族は重婚が可能だ。(不妊などの事情がない限り)全員の子供を養うという条件付きではあるが。
するとソフィアは嘲るような笑みを浮かべる。
「爵位って……ええ、期待してるの? アレに? もしかして、姉バカってやつ?」
……まあ、確かに普段の彼を見ていればそう思ってしまうのも仕方がないだろう。しかしキルビスは、贔屓目……も多少はあるだろうが、それを抜きにしても彼にはそうなるだけの環境が整っている思っていた。
「どうかな。まだ詳しくは言えないけど、十分あると思うよ。ソフィアも席が埋まらないうちに粉かけておいたら?」
するとソフィアはわずかに頬を染める。
「え、ええ~。あた、あたしは、んまあ、嫌いじゃない、嫌いじゃないけど」
口元に手を当て視線をそらす。長い耳はぴこぴこと上下に揺れてその存在を主張していた。まだ本気じゃない――キルビスは確信する。さていつまでもつかな。彼の内面に触れたなら惚れないわけがない。キルビスは姉バカだった。
「あんなにいじらしくてかっこいい男の子なんてそうそう居ないからね。後で後悔しないように」
なぜかキルビスが得意気に言うと、ソフィアは急に冷静になる。
「えっ……それはなくない?」
「なんで!?」
この物の価値を知らない女に今からここでガリアの良さを教え込んでやってもいいのだが、血生臭い光景はこの小粋なカフェテラスに似つかわしくないのでぐっと抑え込んだ。
「ま、まあ、人生系経験を積み上げていけば、じきにわかるようになるから」
「あたしお姉さんより
「へっ!?」
二十五のキルビスより一五○近く上だということは、要するに一七○いくつ……だというのにこの肌ツヤ。これが神の血筋の御力か。
「恐るべしハーフエルフ……」
その恩恵に預かりたかったが、キルビスの家系はどちらかというと(思想的な意味で)悪魔に近いのでどだい無理な話だろう。
それからしばらく談笑し、思ったよりも盛り上がったので居酒屋へ向かい二次会。偶然会ったギルエラと合流し三件はしごした頃には日付が変わっていた。明日も早いのでそろそろお開きにしよう。
夜風に吹かれて酔いを冷まし、ガリアの居ない部屋へと戻る。
「が、ガリア、そこ駄目、あっ」
あいつらまだヤッてやがった!!
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