覚悟のラブコール

第95話 卑しい気持ち

 最近、ガリアがモテている。

 メライアの心中は、決して穏やかなものではなかった。

 ガリアは自分に恋慕の情を抱いている。それは何度も確認しているし、彼の態度からも疑いようのないことだ。

 外交任務の異動を告げられてから、彼の気持ちに応えるべきかどうか、長らく迷い続けていた。猶予はあまり長くない。一度連邦に駐留してしまえば、最低でも半年間は離れ離れになってしまう。付き合ってすぐに遠距離恋愛というのはいかがなものかと、何度も何度も葛藤した。

 一時は、キルビスやマジータに任せてしまうのがいいとまで考えた。彼のためを思えば、会えない遠くの女よりも、やはり身近な女性と深い仲になる方が、いいと思うのだ。

 しかしこの胸の高鳴りと独占欲は、如何様にも否定できるものではなかった。

 だからこそ、彼の周囲に連なる女性からの好意には敏感にならざるを得ない。

 あの日、キルビスは宣言していた。ガリアのことを、異性として意識していると。

 マジータは言う。第一夫人を狙いたくなったと。

 それだけじゃない。

 マリエッタはガリアのことを憎からず思っている。二元論で言い切ってしまうならば、好意を持っていると断言してもいい。

 ギルエラはよくわからないが、あいつはそういうところがある。なんだかんだで気に入っているのは間違いない。

 ソフィアとかいうハーフエルフとの橋渡しを頼んだのは、大局的には大成功であったが……恋の駆け引きで言えば、失敗なのだと思う。予想だにしない伏兵であった。とはいえ、女王付きの騎士という激務をガリアに任せることを考えれば、私生活を補助する役回りは必ず必要になってくる。彼の雑務能力は、正直に評するならば凡人の域だ。覚えはいいのだが。

 ガリアは、お世辞にも素敵な男性とは言えない。育ちがあまり良くないのは仕方がないとして、それを差し引いても少し身勝手だし、スケベだし、お尻触ってくるし、あまりデリカシーがないし、自分に甘いし。長く彼を見てきて、それは間違いないとハッキリ言える。

 ただそれでも、好きになってしまったのだ。

 良いところだって挙げられる。なんでも飲み込みが早いし、どんなにつまらない話でもちゃんと最後まで聞いてくれる。いざという時に頼りになるし、容姿だってそこそこ……いや、かなり……メライアの好みを勘案していいなら、だいぶ、いい。

 だから意を決して、気持ちを伝えようと思っていた。そのうえで、今後のことを彼と相談しようと思っていたのだ。

 だというのに。

 全部台無しになってしまった。

 いつだってそうだ。どうしてこうも間が悪いのか。なにをしようにも、思い通りに行ったことなんて何一つない。

 いっそこのまま顔を合わせず別れ別れになってしまった方が、気分が楽になるのではないだろうか。晴れることはないだろうが、土砂降りになるよりマシだ。

 昨夜も結局眠れなかったし。

 アルコールに頼ろうかとも思ったが、部屋にあったレーズンラムは臭いがきつくて半分も空けないうちに気持ち悪くなってしまった。まだ不愉快なあの臭いが壁や天井にこびりついている。後でマリエッタに押し付けよう。彼女はこういう酒が好みだったはずだ。

 憂鬱だが、今日はガリアⅢだったなにかに尋問をしなければならない。別人とはいえ同じ顔の男と顔を合わせるのは気が進まないが、これも仕事だ。せめてアリア人格だったら話もしやすいのだが。他の二人はよくわからないから嫌いだ。

 重い腰を上げ、メライアは捕虜の部屋へと向かうのだった。



 一人で考えていても堂々巡りになるだけだ。キルビスは相変わらず忙しいようなので、ガリアはマジータちゃんに相談することにした。

 事務処理の合間を縫って仕立て屋を訪ねる。ガリアの顔を見て、彼女はなにかを察したように言った。

「ここじゃ言いにくいでしょ。私の部屋に来ない?」

 今は閑古鳥が鳴いているが、いつ誰が来るかはわからない。まかり間違ってメライアとでも遭遇したら最悪だ。ここは彼女の提案に乗ることにした。

 あまり生活感のない部屋で、彼女にこれまでのことを話す。

「俺にはメライアの考えがわからない。なにも教えてくれなかったし……想像もつかないんだ」

 すると、彼女はガリアの隣に腰掛けた。

「それは……辛かったよね。自分のこと勝手に決められるって、それだけでも腹が立つと思うし」

 優しい語り口で、彼女は続ける。

「……あのさ、もし、ガリアくんが、良かったら……なんだけど」

 言いながら、彼女はそっと肩を寄せた。柔らかな香りが鼻孔をくすぐる。触れ合う肌から伝わるのは、体温と……胸の鼓動だ。ガリアはぐっと息を呑む。

「いっそ、私と付き合っちゃわない?」

 それは、予想だにしない……しかし、危うい魅力を孕んだ提案だった。

「私はメライアちゃんみたいな出世株じゃないから、ずっとガリアくんの傍に居られる。君の望むことだって……まあ、おっぱいはあんなに大きくないけど、なんでも、してあげたいから」

 ほっそりとした指がガリアの胸をなぞる。経験のなさそうなぎこちない動きだったが、その感触はとても甘美なものだった。

 ガリアの心が揺れる。

「だから、その……」

 甘えた声で、伏し目がちにそう言った彼女を直視できない。弾けるような胸の鼓動は、一体どちらのものなのか。

 別にガリアはメライアと交際しているわけではない。だから、彼女に義理立てしてやる必要はないのだ。ここで誘惑に負けたところで、誰もガリアを責めることはできない。

 いやでも負けるのはなんか嫌だな。

 ガリアは負けず嫌いだった。

 ここは……そうだ。負けるではなく、提案に乗ると表現しよう。それなら対等な交渉のように思える。

 少しばかり冷静になったガリアは、覚悟を決めてマジータちゃんに視線を向けた。恥じらいに頬を染めたその表情は、とても……魅力的だ。

 しかし、冷静になったガリアはわずかばかりの違和感を見逃さなかった。

 シチュエーションが出来すぎているのだ。

「……こうも、いい雰囲気で言われちゃあな」

 カマをかけてみる。

 沈黙の質が変わった。マジータちゃんの表情は変わらなかったが、しかし纏う空気感が目に見えて違うものになったのだ。これは、そう……彼女の本性。

 不意に、彼女は言った。

「……だから君のこと好きなんだよ」

 俯きながらも、ガリアに預けていた体重を再び支えるように背筋を伸ばす。頬の赤らみは一向に引かないようだったが、その声からは先程までの甘えるような色が消え失せている。

「メライアから話は聞いてた。君達のことだから、絶対上手く行かなくて喧嘩すると思ってた。それに乗じてこうやって話を聞いてやれば……君は落ちると思ってた。多分、間違ってないよね」

「……そうだな」

 彼女がこうして切り上げなければ、きっとあのまま先に進んでいただろう。カマをかけたのだって興味本位であって、彼女を拒絶したわけではないのだから。

「絶対に上手くいく。こうすれば君の一番にだってなれる。だけど全部フイにしちゃった。バカだよね、私」

 吐き出すように彼女は言う。

「でも、今は最高に気分がいいんだ。私は昔からこうだった。なんでもかんでも計算ずくで思い通りにしようとする。人の心はわかりやすいし、物の動きは単純だし、魔力の流れも読めるから」

 濁流のように溢れ出す彼女の言葉に、ガリアはただただ耳を傾けていた。

「全部思い通りになった。だいたいなんでも上手く行った。今の人生は最高だと思う。私は本当に恵まれてる。自分の頭で考えられるから。先の先まで見通せるから。だから私は、私が嫌い」

 大魔道士の慟哭は終わらない。

「なんでもかんでも計算づくでやろうとする自分が、本当に嫌い」

 それはきっと、普段の彼女の振る舞いに現れているのだろう。

「でも、は可愛くて好き。無邪気で、人当たりがよくて……ちょっとだけ、ずる賢いから」

 自分が嫌いでたまらなくて、それでも全ては否定したくないから。醜い本性の残滓ざんさいを、ほんの少しでも見てもらいたいから。受け入れてもらいたいから。

「俺はどっちも可愛いと思うよ」

「ごめんね……ありがと」

 ガリアの言葉に、彼女は俯いたまま、ほんのわずかに頷いた。

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