第94話 業務引き継ぎ
その後に女王蟲竜を一人で惨殺したガリアは、虫の脂に塗れたナイトロの拳でアリアを掴んだ。
「さあアリア。手詰まりだな。ゆっくりお話しようじゃないか」
血走った目でアリアを見据える。しかし彼女は動じなかった。
「あなたのプライドを著しく傷つける事ができたようで、作戦は失敗しましたが私は満足です」
ナイトロの手に力を込める。肉体が悲鳴を上げ始めたアリアは、しかし余裕を崩さない。
「良いのですか? 私は貴重な情報源。捕虜にするのが得策……マリエッタ殿もそうお思いでは?」
ガリアはマリエッタに水晶の瞳を向ける。殺してもいいと言ってくれ!
「……そうですわね。ガリア、生け捕りにするべきでしょう」
「……仕方ねえ」
この場の指揮権がガリアにあるとはいえ、その判断が外でも尊重されるわけではない。有力な捕虜を勝手に殺害したとなれば処分は免れないだろう。
「脂が不愉快なので早く離してください」
「その手には乗らねえからな」
ギルドに戻り、無事お縄となった。巣穴は今後冒険者が本格的に探索し、万一の場合に備えるらしい。最終的な埋め立てまで含めて良い公共事業になるのだという。
大したことはしていないのだが無性に疲れた。成果は普通以上に上げたわけなので、さっさと帰ってメライアに褒めてもらおう。
解体した蟲竜をキルビスに送り届けてから、メライアの元へ報告に向かう。気にかけてくれていたらしく、ノックしたらすぐに出てきた。
「君なら問題ないと思っていたよ」
表面上は平静を装っているようだが、表情からは隠しきれていない安堵感が漏れ出している。無事に帰っただけでこんなに喜んでくれるのだから、相当に気に入られているのだろう。
吉報は大いに限る。
「ああ。女王も居たが全部片付けてきた。それに、アリア達も捕まえてきたぞ」
彼女は目を丸くした。まるで予測の範囲外とでも言いたげに訊ねる。
「なに、ヴァンパレスが噛んでいたのか?」
「らしいな」
「そうか……方針が変わったのか……?」
彼女は静かに腕を組むと、深く考えるように瞑目した。これまでヴァンパレスの襲撃は政府関係の施設に限られていたのだ。それが街一つに広がったのであれば、それは一大事と言える。
しかし、そんなことよりもガリアは彼女の立ち居振る舞いに目を奪われていた。
ほっそりとした腕はしかし組まれている影響からか少しばかり筋肉が浮いて服を押し上げている。閉じられた瞳から伸びた睫毛は惚れ惚れするほどに長い。
流石に顔をじっと見られれば分かるのか、彼女は右目だけを開いてガリアを見やる。
「どうした?」
優しい声にドギマギしてしまう。ここ最近の怒涛の出来事が、脳の何処かを刺激したのだろうか。いつも顔を併せているはずの彼女が、今日は特別に魅力的に見えた。
「ああ、いや、別に……」
いや、彼女はいつも魅力的だ。しかし、今日は少し違う気がする。
「? 変な奴め」
彼女はそう言って軽く笑う。感情を押さえられない。
「……今日は、メライアがいつもより綺麗に見える」
「へっ!?」
彼女は急に赤くなり、動きがギクシャクとし始めた。つややかな髪を撫でながら、悩ましげに腰をくねらせる。
「そ、そうか、実は、化粧品を少し変えてみたんだ……。ガリアが、疲れて帰ってくるだろうと、思って……。その、気付いてくれたなら、変えてみた……甲斐があるかなって。な、なにを言ってるんだろうな、私は……」
「あ、ああ、化粧品か、なるほど……」
変な空気になってしまった。どうしよう。
「ああ、そうだ。飯にしないか? 忙しくて昼飯食ってないんだ」
「そ、そうだな。うん。ご飯にしよう」
あまり空気が変わることもなく、二人は連れたって食堂へと向かった。ギクシャクとした空気のまま、長い廊下をただただ歩く。
「さ、最近どうだ? 結構いろいろな仕事振っちゃってると思うんだけど……その、負担になってたり、しないかって」
遠慮がちに彼女は言った。ガリアは慌てて腕を振る。
「いやいやとんでもない。信用されてるって感じがして、悪くない」
「そうか。それなら……良かった」
彼女は心底安心したとでも言いたげに息をつく。そんな些細なことに気を揉んでいたのか、あるいは彼女にとってガリアのことは些細な問題ではないのか。
どうしたらいいんだ。
「あ、あの、う……」
口を開いては、これは違うと言葉を飲み込む。そんな事を繰り返す内、不意に誰かに呼び止められた。
「ああ、メライア。ちょうどよいところに」
エリオルリータ女王陛下だ。護衛を引き連れた彼女は、二人の姿を見ると遠慮がちに首を傾げる。
「……お邪魔でしたか?」
「い、いえ、とんでもない!」
メライアが襟元を正す。ガリアも釣られて背筋を伸ばした。
「では」
陛下がメライアをキッと見据えて口を開く。
「メライア。あなたの異動を、もう少し早めたいのですが」
「……え?」
それはどちらの声だったのだろうか。
「メライアが、異動?」
陛下は首を傾げた。
「ガリアは聞いていなかったのですか? メライアには、外交部門で連邦への一時駐留をお願いしようと思っているのですが……」
「陛下、その話は」
制するように前に出るメライア。しかしガリアは追求をやめようとは思えなかった。
「駐留ってことは、しばらく留守にすると?」
「はい。ですから、彼女の後任をあなたにと考えていたのです。ここのところ、業務の引き継ぎが多くはありませんでしたか?」
それは、そうだが。
「メライア……なんで教えてくれなかったんだ?」
訊ねても、メライアは俯くばかりで弁解の一つもしない。本来であれば、ただの部下に早々に異動の話を持ち出す必要はない。適切に業務の引き継ぎを行えば問題はないからだ。よって、彼女はいくらでも弁じ立てることができる。
しかし彼女はなにも言わない。申し訳ないと思う気持ちが、少なからず存在しているからだ。その態度が、ガリアの感情を逆撫でした。
「なんでだよ。なんとか言えよ。俺はただの部下なんだろ? 言う必要がなかったから言わなかったんだろ?」
「違う、私は……」
「違ったらなんなんだよ。メライアは俺のなんなんだよ!」
ああもう、台無しだ。
それ以上、なにも言えなくなってしまった。ガリアは彼女に背を向けて、長い廊下を走り出す。
部屋に駆け込む。キルビスはまだ第四格納庫に居るのだろう、部屋に居たのはソフィアだけだった。
「あ、戻ってきた。今日もご飯は食べちゃったの?」
「……いらない」
「ハァ? 明日も仕事なんだから、ちゃんと食べなよ」
「いらない」
「……はぁ。まあ、お腹空いたら言ってよ。ちゃんと作ってあげるから」
それ以上言葉を交わすこともなく、ガリアはベッドに潜り込む。今は、今だけは、なにもしたくなかった。
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