第52話 俺は涙を流さない

 次の休日、メライアはザニアとの待ち合わせ場所であるカフェに来ていた。手に持つのは、城下町の求人資料。絶賛発展中の城下町では、いつでも人手を求めているのだ。これで彼女を運び屋から更生させる。

 逸る気持ちを抑えるようにハーブティーを飲んでいると、待ち人が遂に現れた。

「ごめーん。おまたせー」

 善は急げだ。現れたザニアに、早速本題を切り出す。

「ザニア、悪いことは言わない。運び屋はやめておけ」

 向かいの椅子に座った彼女は、露骨な動揺を見せた。

「え、ど、どういう、なんのこと?」

 一気に決める。

「ネタは上がってる。私の手帳、見てただろ?」

 ザニアは取り乱した。両の手で机を叩き、髪を振り乱して叫ぶ。

「あ、あれは、違うの! 間違えたの! ほんとだから!!」

「あまり騒ぐな。目立つと大事になる。それに私は、そのことを咎めるつもりはない」

 追い詰めるつもりがないことを端的に示すと、彼女はようやく観念した。俯きながら、か細い声を漏らす。

「どうしても、お金が必要だって言われて……」

 どうやら彼女だけの問題ではないようだ。しかし用途によっては援助もできる。

「よくある話だ。仕方がない。だが稼ぎ方というものがある。私が紹介する仕事なら――」

「それじゃ駄目だよ」

 金額の問題だろうか。渋る彼女にメライアは言う。

「大丈夫だ。金額の心配はいらない。なんなら、もう少しグレードの高い仕事でも――」

「そうじゃないの。金額の問題じゃない」

 問題が金額でないのなら、あんなことをする理由がわからない。まさか知らない間に大罪に手を染め、表で働けなくなったのだろうか。しかしそれならそれで、打つ手はある。

「心配いらない。素性を気にしない職場は思ったよりもたくさんある。案外なんとかなるものだ」

「違うの」

「じゃあなんなんだ」

 要領を得ない会話に苛立つメライア。ここで怒っても仕方がないのはわかっているのだが、焦りからかどうしても苛立ちが先行してしまう。

「あたしの仕事はほっといてよ。それより――」

「いいや、今は君の仕事だ」

 なんだ? なにかをはぐらかそうとしている。それほど後ろ暗い事情があるのだろうか? しかし大抵のことであればどうとでもなるはずだ。

 黙り込んだザニアに、メライアは無言の圧力をかける。状況は拮抗していた。

 こうなれば根比べだとばかりに、メライアは待ち続ける。しかしザニアがなにも言わずに席を立とうとしたことで、その沈黙は打ち破られた。

「なにを隠してるんだ」

 逃さないようにメライアが腕を掴むと、彼女は声を荒げる。

「メライアには言えないよ!!」

 一体、なにが言えないというのか。

 凍りつく空気。それでも腕を掴み続けるメライアに、ザニアは吐き捨てるように言った。

「……ヴァンパレスの活動資金にするから、あの業者で売らなきゃいけないの」

 ヴァンパレス。

「おい、どういうことだ」

「もういいでしょ!!」

 ザニアは叫び、メライアの手を振り切った。呆然とするメライアをよそに、ずんずんと立ち去ってしまう。その後姿を、ただただ見送ることしかできなかった。



 結論から言えば、メライアの友人――ザニアは、ヴァンパレスの資金洗浄をやらされていたのだ。

 スラムでの人攫いを調査していたガリアは、そちらのルートから芋づる式に情報を得ることができた。まず第一に、この人攫いはヴァンパレスが人身売買を目的に行っていたのだ。その上で貧民街の人間を勧誘して、資金洗浄をやらせていた。これが一連の事件のカラクリである。

 連中は口が上手い。貧民街で人生を諦めていた人間を言葉巧みに洗脳し、国のための誇れる仕事だと言い張って資金洗浄を行わせる。直接後ろ暗い仕事をしているわけでもなく、ただ社会に貢献しているという実感だけを与えることで、逃げられない快楽を与えるのだ。

 深みに嵌った人間は、徐々に身銭すら切り崩し、ヴァンパレスに活動資金として提供する。ザニアは恐らくその段階だったのだろう。以前は酒場に飲みに行くぐらいの金は残していたようだが、最近では寝床すらままならない生活を送っているようだ。

 ネタが割れれば、後は取り潰すだけ。人身売買も、資金洗浄のプロセスも、全部叩き潰せばいい。

 しかし人間の感情というものは、そこまで簡単でもないようだ。真実を知ったメライアは、部屋にこもりきりになってしまった。今はキルビスが代わりにパトロールへと出ている。

「メライアちゃん、どうするの」

 マジータちゃんの問いに、ガリアはなにも答えられない。

「俺に聞くなよ」

 彼女が部屋にこもってから、丸一日。「考えをまとめる」と言ってはいたものの、この様子ではどうしようもないだろう。五分以上の長考は、えてして意味をなさない。

「好きなんでしょ。慰めてあげたら」

 ザニアなる女性は共通の友人だったのか、マジータちゃんまで荒れている。彼女はもう少し冷静な人間だと思っていたのだが、見込み違いであったらしい。

「そういう問題じゃねえだろ」

 扉の前で繰り広げられる不毛な会話。ガリアには友達が居ない。気の利いた言葉をかけることも、彼女の身になって考えることもできなかった。

「あんたこそメライアの友達なんだろ。なんかないのかよ」

 なにもできない苛立ちから、ガリアまで荒れ始める。強い語調に気圧されたのか、マジータちゃんは俯いた。

「私は……メライアちゃんに助けてもらってばっかりで、なにもできないから……」

 消えそうなほどにか細い言葉。以前、彼女は自らを根暗で性格が悪いと称していた。謙遜だろうと思っていたが、あながち間違っていないのかもしれない。二人の間になにがあったのかは知らないが、きっと今の関係のような爽やかな馴れ初めではなかったのだろう。

 諦めてしまえばそこで終わり――言葉にするのは簡単だが、行動が伴わなければ意味がない。ガリアがなにもできていない現状で、それを口にしてもただただ陳腐なだけだ。

 だから、ガリアは動かなければならない。

「……わかった」

 ガリアはそう言い、扉を開く。無策ではあるが、動き出さなければ始まらない。なんとかなる、それだけを頼りに、今まで歩いてきたではないか。

「メライア……入るぞ」

 メライアは机に向かい、なにやら意味のないことをブツブツと呟いていた。それは嘆きと悲しみの発露と、後悔と、あるいは……もしもの話か。

「メライア、とりあえず、外の空気でも吸わないか? こんなところにこもってたって、良いことなんかなにもないぞ」

 ガリアが言うと、彼女は泣きはらして赤くなった顔をこちらに向けた。こんな弱気な彼女は初めてだ。初めて知った一面に、ガリアは思わずドキリとした。

 ほんの少しだけガリアを見て、それからすぐに視線だけを逸らす。乾いた唇を、ゆっくりと動かした。

「……ごめん、ガリア。君が大変な時で、私がしっかりしてなきゃ……いけないのに」

 出自やらなんやらの話だろう。確かにガリアの問題はなにも解決していなかった。しかし不思議と、今はどうでもいいと思えるのだ。

「いいんだ」

 ガリアの言葉に、しかしメライアが首を縦に振ることはない。

「せっかく、私が自由に動けるように、君が取り計らってくれたのに、私は……なにも、できなかった。上司として……失格だ。ごめん。私がもっと、しっかりしないと、いけないのに」

 不毛な会話。煮え切らない態度に、ガリアは思わず苛立ってしまう。自分の短気が憎たらしくてたまらなかった。

 あんたはそんな卑下するような人間じゃないのに。どうしてそんな事を言うんだ。

「いいんだ……メライア」

 うまく言葉にできるかどうかは、わからない。ガリアはバカだから。

「俺はさ、メライアと姉ちゃんが、一緒に考えるって言ってくれた時……本当に嬉しかったんだ。それだけで、本当に気持ちが楽になった。救われたんだ」

 確かに問題はなにも解決していない。先送りにしただけなのだから。だけどそれでも、問題を先送りにすることで救われる心だってある。今は立ち向かえない問題でも、いつかは向き合えると信じて。

「だから、メライア。あんたはそんな事言わなくていいんだ。自分を悪く言う必要なんてないんだ。それに、辛いなら俺が一緒に居る。俺が一緒に考える。だから、メライア……」

 ガリアの言葉に、彼女は俯く。沈黙は雄弁と言うが、そんなことはない。俯いたままの彼女がどんな表情をしているのか、ガリアにはさっぱりわからないのだから。

 どれだけそうしていたことだろうか。やっと、沈黙が破られた。

「……ありがとう。少し、楽になった」

 再び顔を上げたメライアは、いつもの彼女――というほどではなかったが、いくらか平静を取り戻していたようだ。

「行こうか、ガリア。今は目の前の問題を解決する」

 そうだ、それでいい。

 嫌なことから目を逸らしたって良いんだ。いつか向き合うことになるとしても、それが今じゃなくても良い。いつかきっと、なんとかなるから。

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